服はボロボロになる定め
「そうかそうか」
教授の研究室では、ハラップの斧の話を聞いた製造元の専務が喜んでいた。
「ぐはは。一振りで鎮火か。そりゃすごいなあ。うちの技術者も6名が病院送りにされたが、作ったかいがあったってもんだ。スンガイ社のいい宣伝になったよ」
満足げに何度もうなずく。
「これで、森林組合やレンジャー組合、消防署からの、斧やナタの受注にも弾みがつくだろうよ」
それを聞いた教授は微妙な顔をしている。
「それは良かったのですが、こちらは……すいません、ウダン専務さん」
また手ひどくボロボロにされたジャケットと靴が、テーブルの上に置いてある。
しかし専務はご機嫌だ。
「ぐはは。だが、今回は2日半もったのだろう? 進歩してるということだ。それにどこか一部が破損しているわけでもないしな。全体が一様に破損する状態っていうのが良いんだよ」
気にしないで、服と靴の残骸を慎重に袋に入れていく。
「今回は、岩滑りが着用したんだったね」
教授が複雑な顔のままでうなずいた。
「はい。それも、火山の噴火口に岩滑降していくような人でして。途中で何度か小噴火にも巻き込まれたそうです」
「ふむふむ。物好きも極まれり……という奴だな。よく燃え尽きて炭にならなかったものだよ」
それを聞いて専務も感心しながらも呆れる。しかし、嬉しいらしい。
「まあ、防寒防水ジャケット向きな場所ではない、とは思うけどな」
教授も(本当に。自殺行為スレスレじゃないのかな? スハム君)と、彼が奇声を発して岩滑降する姿を思い描いていた。
その時、全館放送が流れた。
「ただ今、システムが外部からのサイバー攻撃を受けています。対処中ですので、ご利用の皆様は念のためにバックアップをお願いします。繰り返します……」
「またか」
教授が苦い顔をしている。
「ぐはは。先日大変な目に遭ったようだからねえ。もう対策は施してあるんだろう?」
教授と、ドアを開けて報告に来た研究員に向かって、専務が言う。
研究員が自慢げに胸を張った。
「当然ですよ。教授。独自開発したセキュリティシステムが作動しました。データやソフトへの被害はありませんでしたよ」
研究員からの報告を受けて、ほっとする教授。
「うん。それはよかった。今クラッシュしたら、私は辞職しないといけない」
冗談とも本音とも取れる言い回しをする。
専務がニヤニヤ笑いながら立ち上がった。
「では、また来るよ」
そう言って部屋から出て行ったのを見送り、教授が研究員に聞いてみる。教授の目が少しキラキラし始めているようだ。
「さて……今回の追加調査の準備はどうだい」
「順調です。観測パイルも40万本準備できました。でも、この研究室が負担する費用は前回と同じですよ」
自慢げに笑う研究員。
「君は本当に優秀だね。そろそろ博士論文を書かないのかい?」
教授にそう言われて、研究員はちょっと照れた風になった。
「いえいえ。今回の調査が終わるまでは時間がありませんよ」
そう言い残して、研究員も部屋をあとにする。廊下の向こうからは、学生達のはしゃいでいる声がしてくる。
それを笑顔で見送った教授である。1人になった自室で、窓の外を見ながら再び深刻な表情になっていく。小さくため息をついてから、外の湖畔を眺めた。
「確かに……ね。時間はないかもしれないなあ。僕の予想が外れていてくれれば良いんだけど」
教授の部屋にある空中ディスプレーには、世界各地の火山の活動状況がリアルタイムでグラフ表示されていた。
教授がそのディスプレーの前に戻って、データを見つめる。
(亀大陸のパヘロドゥンガは、半年間で50センチほどの隆起。溶岩の状態は特に変化は見られない。太平洋の火山島のいくつかで噴火。しかし、火山性ガスの噴出は許容レベルの範囲内……)
他にも色々な火山の状況を確認していく。パヘロドゥンガは、人間世界での北米にあるイエローストーンに該当する。
イスタナ山脈とその周辺地域では火山はないので、地震調査用のデータを一通りチェックしていく。
(……平穏だね。このまま続いてくれれば良いのだけど。あ。そろそろパヘロドゥンガの研究をしているチームとの定時通信の時間だな)
岩滑りのケランとスハムは、その時ちょうど活火山から流れ出ている溶岩流の岸辺にいた。
北大西洋にあるアイスランド島のあちこちにある地面の裂け目のような火山から、これまた川のようにスルスルと真っ赤に溶けた溶岩が流れている。ちょうと夏の季節なので雪も雨も降らず、冷たい風もそれほど気にならない。
草も全く生えておらず、溶岩が冷えた大地ばかりで土すらもまだない島は、彼らにとっては夏場のスキー場でだ。溶岩が流れた大地は、岩滑降にちょうど良い傾斜になっている点も良い。斜面には突起物も少なく、滑らかな岩肌が断崖絶壁の海にまで続いている。そこを、ピトンを使って岩滑降していたのであった。
やっている事といえば、噴火口から滑り始めて断崖絶壁のスレスレまでいって止まる……というチキンレースである。滑った距離と、滑り終えた地点が絶壁から何センチか、で勝敗を決めている。
結局はスハムの勝ちに終わってしまったのであるが、ケランもかなり健闘していたようだ。勢い余って、何度か止まりきれずに絶壁から海へ飛び込んでしまってはいるが。
今は、濡れネズミになっているケランの服を乾燥している。ついでにティータイム休憩するために、こうして溶岩が盛んに流れている岸辺までやってきて寛いでいるのであった。
「うん。さすがに乾くのが早いな」
ケランが自身の着ている服と靴を触って確かめている。左手には熱々のハーブティーが湯気を立てている。
一方のスハムはコップを溶岩にかざして湯を沸騰させている。防御障壁を展開しているおかげで、溶岩流の至近距離まで近づいても何ともないようだ。
「じゃあ、それが乾いたら町のバーに行こうぜ、ケラン。白夜の季節だから店のテラスで飲もう」
ケランも同意する。
「いつものバーだね。だったら、このボロボロ服のままでいいか」
確かに2人の服装は、どうしたらそこまでボロボロにできるのかと思うほど分解が進んでいる。そのくせ、足元に装着しているピトンの無骨な輝きが異彩を放っているのだが。まあ普通の人は、不審に思って近寄ってこないのは確実だろう。
「そういえば……仕事がたくさんあったんじゃなかったっけ? ケラン」
スハムが沸騰したコップにハーブを突っ込んで煮出しながら、ケランに聞いてくる。
ケランがニヤリと笑う。
「岩が呼んだんだから仕方がない。呼ばれたら応えるのが、ノームの礼儀だからね」
ムカがキレているのが、スハムですら想像できた。とはいえ、かく言うスハム本人がケランをアイスランド島へ誘ったのであったが。