ハラップの家
一週間後。魔法使いの世界のオーガ消防士ハラップのアパートでは、非番で休みの彼が部屋掃除をしている。その妻は料理を作っていた。生後間もない赤ちゃんもいるが、すやすやと眠っている。
「あなた。そろそろ来る頃じゃない?」
妻がハラップに声をかける。彼女はキッチンで、赤身の強い魚の身の塊を炭で焼いてあぶっている。同時に、つけダレに混ぜる薬味を細かく刻んでもいた。
「お、おお、そうだな。よし、これで部屋もきれいになったぞ」
ハラップが無音型の掃除機をかけ終わった。続いてソファーのクッションを新しい物と取替え、テーブルクロスも新品にしていく。オーガの体格仕様なので、いずれも巨大だ。
アパートの部屋は居住者の好みに合わせて、ある程度までは天井の高さや床面積をカスタマイズできる。しかしそれでも、2メートル半を超える身長のオーガ夫妻には、まだ天井が低く感じる様子である。
オーガ族は基本的に魔法使いではないので、家具やドア窓などは全て特注品になってしまう。それでも注文しても入手できない物も多々あるので、そこは仕方がなく一番弱く魔法がかかっている種類の物で代用している。
しかしこういった家具や道具は、魔法を発動させて使用することが前提で作成されているものだ。発動させないままオーガの体力で使用してしまうと、すぐに壊れてしまうことが多かった。
ましてやハラップの場合は無属性なので、なおさらである。
「ねえ、このサイズでいいのかしら?」
妻がお客用の食器を出しながら、ハラップに訊ねる。
この世界の魔法使いは、ほとんどが元世界で原人や旧人から進化した人種だ。人間世界の人に比べると一回り背が低いのだが、ノームはそれよりもさらに小さい。
そのために結局、魔法使いの子供向けの食器にならざるを得ない。どうしてもどこかにかわいい柄がプリントされて、それがキャアキャア騒いで動いている。
ハラップも困った顔をしている。
「百貨店や通販でも探したけれど、結局ノームサイズの食器は手に入らなかったんだよ。申し訳ないが、これで我慢してもらうしかあるまい。彼には私から断っておくよ」
ソファーに自作の階段を取り付けながら妻に言う。妻もうなずいた。
「そうね。お願いしますね」
ドアの呼び鈴がチリリンと鳴った。
「さすがに時間に正確だな、ノーム氏は」
服を手ではたいて埃を落としながら、ハラップが玄関まで迎えに出ていく。
「ようこそ、ケランさん」
少しかがんで足元を見る。
「やあ。お邪魔しに来たよ」
ケランがノームの正装である、大きな三角帽子に大きな手袋、樹皮の靴のいでたちで立っていた。身長の半分くらいある大きい三角帽子を取って優雅な動作で振り、挨拶をする。
背中には大きなバッグを背負っているが、斧は肩に担いでいる。結界ビンに収まりきらなかったのだろう。
(まるで高級な人形みたいだな……)と内心思いながら、ハラップがケランを招き入れた。
「どうぞ、お入り下さい。あ。靴は脱がなくて構いませんよ」
「おう、そうかい」
手を靴に伸ばしていたケランが了解する。
ハラップの奥方に挨拶して、勧められるまま階段を上がってソファーに座る。当然のように床に足がついていない。
「かわいいーっ」
思わず黄色い声で、奥方が失言してしまった。慌てて「す、すいません」と、赤くなってキッチンに駆け戻っていく。
「かわいい?」
きょとんとするケラン。どうやら、産まれて初めてそんなことを言われたようだ。
ハラップが冷や汗をかきながら、苦しい顔で弁解する。
「すいません、ケランさん。妻はノームを見るのが初めてなんですよ。我々オーガからすれば、ちょうど背丈が子供に似ているもので」
「んー、そんなもんかい?」
(うむむ……確かに、これで少年くらいの実年齢だったら、かわいいかもなあ)
と、ハラップが思ったが、声には出さなかった。
まだ不可解な顔をしていたケランだったが、本題に入ることにしたようだ。肩に担いでいた2メートルもある長大な斧を、ぐい、とハラップに手渡す。
ハラップに目を輝かせて聞く。
「まあいいや。どうだい? この斧」
それを見たハラップ。斧をまず両手で握る。
「はい。いいですね。しっかりと手になじむようです」
次に斧を片手で持って、その重さを実感した。
「重さもいい感じですね。物打ち所に、遠心力と力が乗る感じがします」
刃物では一般的に、物打ち所と呼ばれる部分がある。普通はこの部分で対象物を切るので重要だ。
「うん。まずは気に入ってくれて、私も嬉しいよ」
ケランも笑っている。
ハラップが少し声を弱めてケランに視線を戻す。
「それで、あの……代金のほうなんですが」
ケランが訪問前に伝えた通りの言葉で再度答えた。
「故郷への送金と、君たちの生活費を除いた額から払えるだけで構わないよ」
「本当に、それで構わないのですか? もっと費用がかかっているのでは?」
ハラップが危惧するが、ケランは笑ったままだ。
「実はね。オーガの無属性斧なんて珍しいもんだから、色々な講や会社が興味を持ってくれてね。資金援助やら無料サービスをしてくれたんだよ。本当に、それだけ払ってくれれば、ツルペン講としては若干儲けが出るくらいなんだ」
ムカの受け売りを、そのままその通りに伝える。
それを聞いてハラップもようやく安心したようである。紙封筒に入れたお金を差し出した。魔法が使えないのでカード払いはしていない。
「はい。それでも心苦しいのですが」
「毎度あり」
気軽な声で受け取るケランである。お金を無造作に大きな背負いバッグの中へ突っ込む。
「食事を作りましたから、どうぞ召し上がって下さい」
赤身魚の身の叩きが盛りつけられた巨大な皿に、牛か何かの生レバー刺し、それに肉の刺身を、ハラップの妻が大量に運んできた。もちろん、赤ワインもジョッキにたっぷりと注がれて運ばれてくる。
「おお。すごい量だなあ」
それを見て、感心するケラン。
ハラップが食膳運びを手伝いながら説明する。
「ノームの食事を知りませんし、作ったところでモノマネですから、ケランさんの口には合わないと思いまして我々オーガの食事にしてみました。生ものが多いのですが、大丈夫ですか? さすがに内臓料理や血の飲み物は外しましたが」
料理と食器を運び終えて、夫婦で向かいのソファーに座る。ギシッと軋む音がした。
「さすがにオーガだねえ。これだけ食べればパワーも出るよなあ」
ケランがずらりと並んだ生肉料理や刺身を見て感心する。
「では、いただこう」
ナイフとフォークを使って、肉の刺身に取り掛かった。
がその時、そのナイフやフォーク、グラスに描かれたワンポイントな絵柄が、キャアキャアとはしゃぎ回った。
慌ててハラップが謝る。
「すいません、ケランさん。ノーム用の食器が入手できませんでしたので、子供用の食器で代用しました」
ケランは全く気にしない風だ。フォークに向かってにらめっこをする。
「あ? いいよ。私たちも似たような食器を使うことがよくあるからね」
ハラップの横に腰掛けている妻は、目をウルウルさせている。完全にハートを撃ち抜かれたようだ。
ケランは幸い気づいていないようで、刺身や叩きをパクパク食べている。
「へえ。生肉ってこんな食感なんだね。味もタレと一緒だと旨みが際立ってきて、面白いなあ」
感想を述べながら、ワインをぐいと飲む。
ハラップ夫妻もケランの食べっぷりを見て安心した様子で、自分たちもガツガツ食べ始めた。
さすがにオーガの食べっぷりを見ていると、猛獣が食事しているというイメージが浮かぶ。これに血の飲み物を加えたら、完璧だろう。
やがて食事が全て平らげられて一息ついた後、ケランがハラップに声をかけた。
「では、テストプレイしてみようか」
そうして、ハラップをアパートの外の公園に連れ出していく。お昼時なので、木陰でランチをとっている魔法使いの家族連れが何組かいた。オーガとノームの絵に描いたようなデコボコ具合に注目している。
「まあ、この辺りでいいだろ」
ケランが公園中央の芝生広場に立って、斧を持ったハラップに説明を始めた。
「その斧は、もう君の所有が宣言されている。なので、発動用の術式詠唱は必要ないよ。君が思った通りに斧が反応するはずだ」
周囲を軽く見回す。
「では、火災現場を想定して、私が爆風混じりの火炎を起こす。それを君が無効化してくれ。叩き潰すようなイメージで斧を振ればいいはずだ」
そう言って、杖を取り出して軽く振る。
「はい」
ハラップが緊張した顔で了解し、斧を両手で持ってケランと対峙する。
ケランは既に精霊魔法の詠唱を進めているようだ。魔法陣が足元に発生して、それが急速に赤く明るく輝いていく。同時に、杖の先も同じ反応を示し始める。ケランが不敵な笑みを見せた。
「どうせだから、大出力でいくぞ」
「はい」
ハラップも災害現場に出場した時の様な、精悍な表情に変わっていく。
精霊魔法の詠唱が完成し、ケランの杖の先が一際赤く輝く。
「温度2500度の爆炎だ。君が炭になっても復元してやるから、思い切り叩き潰せ」
ケランが杖を大きく振りかぶった。
直径十数メートルもの火球が杖の先で発生していく。同時に爆音が衝撃波となってハラップに襲いかかってきた。それを簡単に切り裂いて無効化するハラップの斧。
それを確認するケランの顔から笑みがこぼれる。
「よし、いくぞ」
そのまま、巨大な火球をハラップに投げつけた。
「おおおおおっ」
ハラップが雄叫びを上げる。
迫り来る2500度の火の玉に斧で斬りつけた。その瞬間。直径20メートル程にまで膨張していた火球が、ウソのようにかき消されて消滅した。
突然の魔法攻防戦に、公園の魔法使いたちが腰を抜かしている。
アパートのベランダからも、多くの魔法使いたちが何事だと顔をのぞかせている。魔法使いでない他のオーガやドワーフの住む部屋にあるベランダの洗濯物は、確かに瞬時に乾燥できたようだ。
そのあまりの威力を目の当たりにして、斧を持ったまま呆然としているハラップ。
ケランが杖をしまって、彼に笑いかけた。
「な。いい斧だろ? 炎に限らず、精神を含めた全ての精霊を叩き殺せる斧だよ。小さな火災だったら、一振りで鎮火できるだろうな。もちろん、壁や床なんかも物理的に叩き壊せる。かなり良い鉱石を使っているから、そうそう壊れたり曲がったりすることはないはずだ」
ハラップが高揚した表情でうなずいている。目がキラキラだ。
「はい。私の力そのものが魔力に変換されるのですよね。これはもっと真剣に筋力トレーニングを積まないといけないなあ。潜在魔法力を鍛える方法はあるのですか?」
ケランが肩をすくめる。
「ないな。だから『潜在』なんだよ。まあ、その魔法を使う経験を重ねることで、人によっては強くなる場合もあるみたいだがな。普通は年老いると共に減衰していく。だから、あまり無茶な使い方はするなよ」
ハラップが了解する。
「はい。現場ではいつも全力ですが、限界はいつも冷静に判断しているつもりです。限界を超えてしまうと、私も要救助者になってしまいますからね」
ケランが満足気にうなずいた。
「うむ。良い返事だ」