例の斧
2週間後。教授が久しぶりにツルペン講にやってきた。
ようやくシステムが復旧して、頭痛の種が減ったらしい。森を通って、コカトリスやスライム、火食いトカゲなどを杖で追い払いながら講堂に入っていく。
「こんにちは。グラウ君はいるかい?」
今回は3人とも仕事をしていた。ケランはようやくピトンの打ち直しに取り掛かっている。
「やあ、先生。そこら辺にかけていてくれよ。すぐ行くから」
グラウが返事をする。傷だらけのスラロームカヤックに、ハケを使って補修剤を塗っていた手を止めて、手袋を外して手を洗いに出かけていく。
「教授、斧ができたそうだね」
ケランもピトンをかなづちでカンカン叩きながら話しかけてくる。
そばには次の仕事なのだろう、ピッケルと、登山靴の土踏まずに装着するアイゼンがいくつか壁に立てかけられている。つま先に装着するアイゼンは崖や急斜面を登るために使うが、これは氷河や氷床の上を歩くために使うタイプである。どれも100年は年季の入った代物のようだ。
「うん。ドワーフの金属加工会社に無理を聞いてもらってね。やっぱり何回か魔力が暴走して、ケガ人が出たみたいだよ」
ケランが作業場から出てきて教授を出迎える。
「いらっしゃい、教授。まあ、そうだろうな。お茶を淹れるから、ちょっと待っていてくれ」
ムカが2つほどフライを黙々と巻き終わる頃、ツルペン研磨講の石造りの講堂の中では、ケラン特製のハーブティーを手にした教授が一緒に雑談をしていた。
外はうららかな日差しが降り注いでいて、そよ風が周辺の森の木々を揺らし、ザワザワと木の葉のすれる音が静かに響いている。
自家製野菜を栽培している農園では、ゴーレムたちが雑草拾いや野菜の間引き、脇芽摘みなどをしているのが見える。相変わらず、のっそりのっそりと全くやる気のない動きだ。
そのゴーレムをからかうように、数十羽の小さい鶏に見えなくもない小コカトリスたちがツンツンとゴーレムをつついている。それよりも大きいコカトリス群れは森の中にいるようで、講堂からは確認することができない。その他には、大きなトカゲたちが農園の端に集まって日光浴をしているのが見える。
「そのドワーフの会社って、防寒服や登山靴の試作品を出しているところだろ? 毎度毎度ボロボロにされているけれど、くじけていないのかい?」
ケランがハーブティーをすすりながら、教授に聞く。隣に座っている教授も同じお茶をすすりながら、「うん」とうなずいた。
「頑張って試行錯誤を繰り返しているよ。君たちのようなハードユーザーは貴重みたいでね。試作品を改良するのに必要なデータ収集という面では、かなり助かっていると、その会社の専務が言っていたよ」
ケランが外の畑を眺めながら同意する。
「そうだろうなあ。オレたちが遊ぶ場所は、普通、誰も来れないからなあ。面白いデータが取れているんだろうなあ」
教授がハーブティーをすすって、ビスケットを一枚かじる。
「うん。それでドワーフの専務に、君たちを専属に雇ってみるとか、冒険のスポンサーについてみてはいかがですか、と提案してみたんだよ。そうしたら、意外にも専務が難色を示してね。金のために冒険するようになったら、求めるデータが収拾できなくなると言うんだよ。そんなものなのかな? ケラン君」
ケランがニヤリと笑ってビスケットをかじった。
「おう。そのドワーフ、オレたちのことをよく分かっているじゃないか。そうだよ、その通りだ。オレたちはあくまで遊びでやっているんだよ。仕事をして金を貯めて、それに見合った場所を探して、最高の時期を狙って遊びに行く。その流れが最高に大事なんだよ。冒険を商売にしてしまったら、そんな自由はなくなってしまうだろうな」
教授が首をかしげながらも理解しようと努めている。
「ふうん……そういうものなのか。僕たちの研究も似たようなものかも知れないね。企業の御用聞きの研究も、それはそれで大事だけれど、それとは関係ない研究も大事だからね。資金調達の苦労は大変だけど」
ケランが足元に転がっている小石を拾って、それを畑の隅でケンカしている小コカトリス2羽に向けて投げる。見事に頭に命中して、面食らった2羽がケンカを止めて別々の方向へ逃げていった。
「スポンサー受けしないといけなくなるからな。見栄えのする場所しか選べなくなるだろうし、オレたちのように、どこの講にも属さないアウトローの集団ってのは、世間から見れば胡散臭いものだよ。そんな連中に肩入れしたら、その会社の評判まで悪くなるものさ」
教授が思索にふける様子になっていく。
「ふむ……つまり、金銭が絡まない関係であるほど、両者が得る利益が大きくなる傾向がある……か。面白いものだねえ」
ケランがニヤリと笑う。
「それに、遠慮なく試作品をズタボロにする楽しみもなくなるからな」
雑談を続けていた教授のポケットに入っていた電話に、着信がきた。「ふう」とため息をついて教授が電話に出て何事か話をして、電話を切る。
「やれやれ。済まないけれど、私はこれで失礼するよ。と、その前に……」
教授がそう言って結界ビンを取り出し、解除術式を唱える。ビンの中から長さ2メートルを超える、大きな斧を取り出して見せてくれた。そのままケランに渡す。
「ほら、どうだい?」
「うん、いいね。いい出来だ」
ケランが斧の刃の腹を指でさすって、品質を確かめながら答える。
「工業化が進んだ連中の世界にも、まだ職人がいるんだね」
さすがに40キロ近くある斧は重くて持て余すらしく、両手で持って教授に返す。
「精霊魔法を無効にするねえ。重さがこたえるよ」
教授も完全に同意している。
「ははは。私も同感だよ。重くて仕方がない。結界ビンに入れるのもコツがいるしね」
「だろうなあ。それじゃあ、潤滑剤の調合をグラウがしてくれたら、私が砥ぐよ」
そう言って、ケランが請け負う。
ドタドタとグラウが戻ってきた。手にはガラス瓶が。
「やあ、待たせたね」
教授が別の結界ビンを取り出して、解除する。
「うん。君が注文したとおり、オーガ君の口の粘膜細胞を綿棒で取ってきたよ。これだ」
解除したビンをグラウに渡す。
「しかし、彼は忙しいねえ。魔法災害の現場に毎日呼び出されて出場しているよ。有能だと消防署でも評判だね。人材派遣会社の部長とも話したんだけど、会社の花形みたいだよ」
教授も気に入ったようで、ハラップについて熱心になって話している。
「この斧が彼の専用になれば、レスキュー隊員の受験資格も得られるようだよ」
「ほう、そうかい。では、私も頑張らなくてはな」
ケランが笑って、仕事に戻っていく。
ビンの中の細胞を慎重にガラス瓶に移して、グラウがうなずいた。
「よし。あとは任せてくれ。スライムの小胞体にこいつを注入して培養するよ」
森の中へ駆け出していく。
その後姿を見送りながら、教授がケランに訊ねてみた。
「説明では、あれを培養して潤滑剤を作るそうだが……何か理由があるのかい?」
ケランがピトンを打ちながら説明を始める。
「そうだよ先生。あのスライムの小胞体には万能細胞が仕込まれているんだ」
説明によると、ハラップの細胞をスライムに注入して、目的の細胞へ分化するように指令するそうだ。すると、自動的に大量培養ができるらしい。
武器と所有者の相性を一致させるには、砥ぐ時に所有者の血液で砥ぐのが一番だと話すケラン。しかし、今時そんな野蛮な事はできない。しかも今回は、斧が巨大なので血液も20リットルほどは必要になる。
「いくらオーガだって、そんなに献血できないだろ? だから組織培養するんだよ。これだと赤血球もないし、臭いもないから、黄色い塩水みたいなもんだ。よし、できた」
ピトンを打ち直して、次のピトンを手に取った。
教授が感心する。専門外の事については素人同然のようである。
「なるほどねえ。確かに血液には、所有者の魔法適性情報やら遺伝情報やら含まれているからね。武器をなじませるには一番確実な方法だね」
そう言って、森のほうを見る。
ムカはまだ怒っているのか、相変わらず無口なままでフライを巻いている。
「あ。そうそう」
教授が別の結界ビンを取り出して解除し、中からスンガイ社の試作品その2を取り出した。
「改良された登山靴と、防寒防水ジャケットだよ。また、誰か希望者にフィールドテストしてもらって欲しいんだ」
教授が試作品を壁のハンガーにかける。
「他にも、鍵や錠前、玉なんかの試作品で依頼が来ているんだけど、忙しいようだね。別の伝統工芸講メンバーに頼むよ」
教授が残念そうな声で、ポケットの中の結界ビンをカラカラ鳴らす。
「ちょっと、待って下さい。教授」
久しぶりにムカが口を開いた。
「依頼を請けますよ。一番単価が高そうなのはどれですか?」
きょとんとする教授。
「ムカ君? どうしたんだい?」
ムカがケランを指差した。
「こいつが、講の口座に振り込まれた精霊力を勝手に全部使ってしまったのです。補填させます」
「あ? 何だよ、それ」
ケランが文句を言う。
「異議は却下します。もうじき台風シーズンの夏到来なのに。このままじゃ、どこへも遊びに行けませんよっ」
ムカが言下に切って捨てた。
教授もようやく理解できた様子だ。
「ああ、そうだね。では、この鍵と錠前の型枠なんかどうかな? 削りが荒くて、引っかかるんだ」
結界ビンを1つ取り出し、封印を解除して試作品を見せる。
「これは秋シーズンに発売予定の製品だね。大量生産されるから、それなりに単価は高いと思うよ」
そう言って2人に見せる。量子暗号型の鍵と錠前のようだ。季節ごとに解除術式が自動変更されて、登録された持ち主以外では開ける事ができないタイプである。
「では、それにします」
ムカが即決して言った。不満げなケラン。
「最優先でお願いしますよ、ケラン」
釘をさして、またフライ巻きを始めた。