釣りと斧づくり
ムカがしばらくの間フライを巻き続けていたが……「ふう」と、ため息をついて作業を終えた。天気予報のチャンネルを、杖を使ってガチャガチャと変える。
「海は穏やかですねえ。台風やハリケーンは発生していますけど、別の大陸ですからねえ。残念です」
そう言って、川釣り用の準備を始める。そうしてから、先ほどまで巻いていたフライを1つ手に取る。
「風の精霊との相性を確かめておきますか」
これはフライフィッシングという手法の釣りに使う疑似餌で、空中を飛ぶ虫に似せている。
水中に垂らして泳がせるのではなく、空中を飛行する虫に似せて疑似餌を操り、虫と誤認して水中から飛び出して食いついてきた魚を釣り上げるのである。そのため、風の精霊との親和性が非常に重要になってくる。
ただ時々、魚ではなく鳥がだまされて食いついてくることがある。その場合でも風の精霊との親和性が高いと、鳥をかわして逃げ切ることもできるので、それも一つの楽しみになる。もちろん、鳥がツグミやヤマシギのように美味な種類であれば、避けずにそのまま釣り上げることもある。
ムカも瞬く間に仕度を終えて、独特な形の釣竿を手にしてツルペン講の講堂から出てきた。そのままゴーレムたちが農作業をしている畑を横切って森へ入る。町へ抜ける道ではない、細い獣道のような所を進んでいくムカである。
たちまちムカの動きを察知したコカトリスや火食いトカゲが、ゾロゾロと森の中から現れてくる。そしてムカにじゃれついてきた。ムカも鼻歌を歌いながら森の奥へ歩いていく。
ムカが釣りをしに行くことを理解しているのだろう。おこぼれを期待しているのか、ムカの前や後ろをチョコマカと行ったり来たりしてコケコケ鳴いている。トカゲも短い足を器用にバタバタ動かして、コカトリスにも劣らない機敏な機動を見せている。
森が深くなって道らしきものも消えていく。地面が樹木の根とコケの絨毯に覆われて、見上げるように高い巨木が林立してくる。
そこでは長さ10メートルはありそうな巨大な蛇や、歯の生えた巨大ミミズ、ツルペン講堂ほどのサイズがある巨大なスライム、手のひらサイズの巨大なスズメバチに蟻、さらには、一抱えもありそうなカビの玉などが寛いでいるのが木々の間を通して見えてきた。
皆、ムカに対しては攻撃も警戒もしていない。しかし、ついてきたコカトリスや火食いトカゲに対しては違うようだ。昼飯がやってきたとばかりに襲撃を開始して、激戦を繰り広げている。
石化ガスや火炎放射が縦横無尽に繰り出されて、一匹の巨大な蛇が石にされてついでに焼かれてしまった。早速、宴会が始まる。
「やれやれ……森を焼かないようにして下さいよ」
ムカが背後の宴会参加者に告げて、そのままの足取りで森の奥へと歩いていく。さすがにもう、後をついてくるコカトリスやトカゲはいない。
木の根が縦横に張って階段のようになっている地面を軽い足取りで進むムカ。と、急に前方が明るくなった。
ムカの目の前には、幅500メートルほどの穏やかな流れの川が広がっていた。鳥の群れの動きを観察して、釣り場を決める。
釣竿を取り出して組み上げ、仕掛けを取りつける。流れるように手馴れた動きでチェックを済ませ、そのまま川の中へ入っていく。空中で疑似餌を振り回すので、川に入るスタイルになるのである。そうすれば360度全ての方向に疑似餌を飛行させることができる。
川底の足場を確かめて、ムカがうなずく。
「うん。今日も穏やかな流れだね。じゃあ始めるかな」
疑似餌に風の精霊がまとわりついたのを確認して、ムカが釣竿を大きく振り上げる。ひゅうううん、と小気味良い風切り音を立てて、疑似餌が生きている虫のように水面スレスレの高さで滑空し始めた。
教授の研究室では、ようやく次の観測が行えるメドが見えてきていた。
「それでも、他の研究室の手前もあるから、おおっぴらに喜びを表現するのは気が引けるけれどね」
教授がそう言って軽く肩をすくめている。
ちょうど研究員と学生達と、酒を飲んで寛いでいる所のようだ。しかし、この後も色々な準備や雑用をしないといけないので、エールビールとナッツの詰め合わせをツマミにするシンプルなものである。
「それもこれも、研究計画のプレゼンが早くできたおかげだよ。皆さんありがとう」
教授が感謝の意を研究生や生徒たちに伝え、皆で何回目かの乾杯を行う。
実際、他の研究室からも大量の研究計画が立案されている状況だ。審査会へのプレゼン提出がもう少し遅れていたら、それらの山に埋もれて教授の研究が頓挫していたかもしれない。
教授も徹夜のプレゼン準備作業をしていたのだろう、口と顎ひげの手入れが甘くなっていて、数本ほどピンピンとあらぬ方向を向いてしまっている。頬などにも薄く無精ひげが生えていて、衣服も着たきりでヨレヨレである。
そこへドワーフの太い声が響いて、専務が研究室へやってきた。
「よう、先生。できたぜ、試作品第2号だ」
挨拶もそこそこにして、専務が防寒防水ジャケットと同様の登山靴をドンと、研究室の机の上に置く。
「フィールド試験してくれ」
教授が感心している。
「やあ、ウダン専務さん。早いですね、もうできたんですか」
「おう」
専務が胸を張って、ぐはは笑いを始める。
「うちの技術者を煽ったら、早くできたよ」
「あんまり、こき使ってはダメですよ。ウダン専務さん」
教授が苦笑して、コップに残っていたエールビールを一息で飲み干した。
「分かりました。こちらも、やっと仕事の山を越えたところですよ。明日にでもツルペン講に私が届けますね」
「おう、頼むよ」
専務が笑った。相変わらず巨大な白い歯がよく似合う。
教授がジャケットと登山靴をしげしげと眺める。
「前回よりも、かなりシンプルになりましたね。一方でデザインはより前衛的になったような。機能優先は良いですが、一般受けしないかもしれませんよ?」
しかし専務は気にしていない様子である。
「いいんだよ、これで。皆が一様に褒めるデザインというのは、実は時代遅れということが多いんだよ。うちの会社は衣料や靴では新参者だからね、ロゴマークやブランドなんかに力を注いでも意味がないんだ」
専務が話ながらジャケットを見つめる。かなり満足そうな表情だ。
「機能を際立たせるデザインと細部へのこだわりが重要だ。遠くから見てもすぐに我が社の製品だと分かるような。そういう自己主張をしないと、他のメーカーとの差別化ができないからね。全ては利益を最大化させるためだよ」
その時、緊急連絡が教授に入った。ディスプレーが自動的に空間に作成されて、情報と現場の映像が流れてくる。伝えているのは伝統工芸講のスタッフである。ひどく緊張した面持ちだ。
「教授。ば……爆発事故です。刀剣打ち工房で鉱石の魔力が暴走した模様です」
確かに、ディスプレーに映っている映像は、強力な爆弾が炸裂したような惨状を伝えている。どうやら、職人の工房を中心に半径1キロ内の建造物が全て吹き飛ばされたようだ。
教授が真剣な表情でスタッフに聞く。
「ケガ人は……死者はでたのですか?」
スタッフが周囲の人たちと短く会話してから答える。
「刀剣打ち職人は、防護服と防御障壁を備えていましたので、気絶だけで済んだようです。あ……今、彼が病院に搬送されます。死者は、消防署の探索では出ていないようですが、軽傷のケガ人は多数出ています」
あたふたと、スタッフが職人の担架に付き添って救急車両に同乗していく。そこで通信も切れた。
「そうか……ケガ人だけで済んで良かったと言うべきかな。しかし、むう……困ったな」
教授が腕組みをして考え込んでいく。
「災害保険はかけてあるから、施設の復旧には問題ない。それはいいんだけど……斧が出来ないなあ」
それを横で見ていた専務が声をかけてきた。
「なあ、教授。何があったんだい? 斧なら、うちの会社でも作っているがね」
教授が専務を見上げて、複雑な顔をしていく。
「ええ。しかしこれは見ての通り、危険な鉱石を使っているので、ウダン専務さんに相談するのを控えていたんですよ。オーガ族の消防士が使う、専用の無属性オリハルコン製の斧を製造してもらう依頼です」
専務の目が光った。
「遠慮は無用だよ。教授。ワシらは金属精錬のプロだぞ」
バン、と教授の肩を叩く。教授の体が軽く吹っ飛んだ。そのまま、専務が不敵な笑顔を浮かべていく。
「無属性か。また珍しい鉱石をつかうんだな」
「引き受けて下さると私も嬉しいのですが……一つ条件があります」
教授が咳き込みながらも指を1本立てて、専務に示した。
「なんだね?」
「依頼主のオーガ君は、単年契約派遣なんですよ。しかも給料の大部分を国許に送金しているもので、製造料は高額でないことが条件です」
「ぐはは」と笑う専務。白下駄の歯がきれいに全部見えた。
「いや、あんた、いい人だなあ。分かったよ。無属性鉱石はうちの会社でも滅多に扱わないからな。これも技術者のいい勉強になるだろう」
(いえ……その技術者の身の安全が気がかりなのですが)
とは、もう言えない教授であった。