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最終話 君の永遠になれ

革ジャン男、美木にソフトクリームを渡してもらったユイは、嬉しそうに側のベンチに座り、ゆっくりとその小さな甘い塔を堪能し始めた。

春樹とユイの母親と、頭を外した中途半端なウサギの隆也は、それを少し離れた別のベンチで見守った。


「事故だったんです。4年前の昨日」

問うた訳ではなかったが、母親は静かに語り始めた。

「父親がここのOBだった事もあって、学園祭に行くことは、あの子と父親の恒例行事になっていました。いつものように1日目をここで過ごし、そして自宅に帰って来るはずでした。でも、途中のバイパスでトレーラーの玉突き事故に巻き込まれてしまって。父親は亡くなってしまい、あの子も怪我を・・・。あの子は事故の直前眠っていたらしくて、事故の記憶はないようです。それだけが救いでした」


「ひどい怪我だったんですか?」

春樹が訊くと、母親は小さく頷いた。

「体はたいしたこと無かったんですが、頭を打って、脳に損傷を負いました。それまでの記憶はちゃんと残っているんですが、その後の記憶を長時間、保つことができないんです。なんとか保てるのは、まる1日。

翌朝起きると、その前日の記憶は全く残っていないんです」


「え・・・。それじゃあ、もしかして4年前から?」

隆也がウサギの頭を持つ手にぐっと力を入れる。

「ええ。あの子の日々は、ずっとあの学園祭の日の翌日なんです。事故のことも、父親の死も知らず、あの子は6歳のまま、永遠にその翌日を繰り返すんです」

気の遠くなるほどの険しい山を、いくつも乗り越えて来たような母親の静かな声を聞きながら、隆也は何とか想像してみた。

どんなに楽しい時間を過ごしても、どんなに大切な出会いをしても、それが記憶に残らないと言うのは、いったいどういう事なんだろうと。


更新されぬまま日々を繰り返すことは、人間としてとてつもなく悲しいことではあるが、父親の死をずっと知らずにいられることは、唯一の幸せなのではないだろうか。

もしかしたら、悲しみというものとは無縁の、永遠の虚無の中にあの少女は住んでいるのかもしれない。

隆也は、一心にソフトクリームを舐める少女のあどけない横顔をじっと見つめながら考えた。

しかし、ふとその時、頭を過ぎるものがあった。

さっきバッグの中身を見つめ、お金が無いことに気付いた少女の悲しそうな顔。


父親にお小遣いを貰ったのは4年も前で、今はそのバッグに入っていないだろう。

けれど、あの少女の悲しそうな顔は、6歳の女の子が、お金をなくしてしまった時のそれだったのか?


『でも、時々波のように恐ろしい混乱がくる。とても怖くて心細くて・・・』


その瞬間の彼女の手に触れた春樹の、流した涙。

波のように突然襲ってくる不安、混乱。

彼はいきなりその特異な感覚を共有してしまったのだ。


どう処理していいか分からない、複雑な気持ちのまま顔を上げると、春樹の視線と合わさった。

何かを考えているかのように、その琥珀の瞳でじっと隆也を見つめてくる。

人の目を見ながら考え事をする癖をやめろと、心の中で焦ってぼやくと、フッとその視線は離れ、春樹は口を開いた。

「お母さん、明日もう一度この学際に来られませんか? ユイちゃんを連れて」

母親は少し驚いた表情をしたが、語らぬ春樹の胸の内を察してくれたのか、微笑んで約束してくれた。

「あの子の体調が良ければ、また明日もこの時間ここに、来させて貰います」と。


ソフトクリームを食べ終えて再び母親の所へ駆け寄ってきたユイは、その言葉を聞いていたのかもしれない。

「ねえ、ママ。明日も来る? あしたもユイ、このお兄ちゃん達と遊びたい」

--- お兄ちゃんたち? --

隆也はハッとして手元を見た。すぐさま大慌てで巨大な頭をかぶったが、前後逆だ。アタフタと回転させる。

--- やばい、やばい ---

春樹と母親は笑いを堪えながらユイに頷いた。

「じゃあ、また明日おいでね、ユイちゃん。お兄ちゃんとウサギさん、ここで待ってるから」

「うん、約束ね。また明日遊ぼうね、お兄ちゃん。ウサギさんも、また明日ね!」

ユイは母親の手をしっかり握りながら、春樹と隆也ウサギに元気良く手を振り、そして人混みの中に消えて行った。


「明日、またね・・・か。何か、悲しくなるな」

隆也はポツリと言ってみた。

春樹も小さく頷く。

「でもね、あの子は笑顔でいようとしてる。ひとりぼっちで戦ってるんだ」

「でも悲しい記憶は無いんだろ? 父親の死も知らないんだし」

「朝、鏡を見ながらハッとするんだ。10歳の自分は、昨日の6歳の自分じゃない。母親も、どこか雰囲気が変わってる。季節の違う日は、もっともっと戸惑う。だけど彼女は声をあげてうろたえないんだ。自分に失われた時間があることを、なんとなく分かってる。脳には記憶されなくても、彼女の過ごした時間が、細胞のひとつひとつに染み入るように、彼女に何かを残して行ってるんだと思う。

だから悲しいし、怖いけど、母親に問うこともせず、あの子は本能で、元気を出して1日を過ごさなきゃいけないって、思ってるんだ。昨日と激しく違う今日って言う日のつじつま合わせを、あの子は毎日やってのけてる。がんばって、笑って生きて。

それでも時々、つじつま合わせが出来なくて、ふっと訳もなく悲しくなるんだ。さっき、あのバッグを開けたときのように」

「お前が泣いてしまうほどに、か」

「僕は・・・」

「ん?」

「僕は自分のこの能力をすごく呪ってるけど、あの子の孤独と比べたら、なんて事はないのかもしれないって、そう思った」


春樹はそう言って、恥ずかしそうに笑った。

春樹がここに至るまでの、死ぬほどの苦しみを知っている隆也には、軽々しく頷くことが出来なかったが、そう言うことの出来る春樹の強さと優しさが、隆也には嬉しかった。


「なんか・・・こんな真面目な話を聞いてる俺が、こんなふざけたウサギで、ごめん」

ただ、真剣に本心を言っただけなのに、そのあと春樹は笑い転げた。

失礼なやつだとムッとした。


「それよりさ、隆也。これからちょっと、いろいろ準備があるんだ。手伝ってくれる?」

「準備?」


そのあとの春樹の行動力は本当にすごかった。

先ほどの革ジャン男に何やら相談を持ちかけ、そこから各コースの先輩、友人、果ては学生課の職員にまで話を持ちかけ、交渉のために飛び回った。

あげくに隆也が着ぐるみを借りている他校の劇団員のところにまで連絡を入れ、頭を下げて協力を要請した。

その行動力はきっと1年前の、特殊な社会人経験で培われたものなのだろう。

隆也はすっかり春樹のアシスタントと化し、舌を巻きながら春樹に付き添った。

なかなかの敏腕アシスタントだったと、我ながら思う。終始、ウサギではあったが。

ようやく全ての手筈が整ったのは、すっかり日付が変わってしまった頃だった。



             ◇


次の日、小ホール内の特設会場では、春樹の提案に賛同した友人や先輩やOBたちが、うずうずしてその時を待っていた。

表向き、普通に一般客を入場させながらも、皆ひとつの目標に向けて、準備を整えていた。

台本があるわけではないが、4年前のあの日をできるだけ再現することに、皆意識を集中した。


「春樹の頼みじゃ、断れないしな」

「なにポイント稼いでんだよ。春樹、こいつに気をつけろよ」

「あほか。俺はマジで春樹の提案に感動してだなあー」

春樹が傍を通るたび、そんな声が飛び交い、春樹が笑い返す。

隆也はこの学部での春樹の慕われっぷりに驚き、少しばかり不機嫌になりながらも、ウサギの格好のまま、黙々と動き回っていた。


「あ、来たぞ、あの子じゃないか?」

なぜか今日は焼きそば屋台の中で、昨日と同じ出で立ちの革ジャン男が言った。

見ると、ゲートのほうからユイが、母親と手をつなぎ、昨日と同じように目を輝かせながらこちらに歩いて来る姿があった。

春樹と隆也ウサギが、出迎えるようにその正面に立った。


「わあー。ウサギさんがいるよ?」

ユイは嬉しそうに声を上げ、母親の手を離れて2人に走り寄った。

「ウサギさん、遊ぼ」 そして春樹を見て問う。「お兄ちゃんは、このウサギさんのお友達?」


ピンクのウサギはおどけてお辞儀をし、春樹はしゃがんで少女の目線まで降りると、ニコッと笑った。

「うん、僕とウサギさんは、とっても仲良しなんだ。そして、ユイちゃんも、お友達なんだよ」

「ユイも? ユイも、お友達なの?」

「そうだよ。ずっと前から友達なんだ。だから僕らはユイちゃんのこと、何でも知ってるよ」

「ほんと?」

「うん、本当。ユイちゃんはね、お化け屋敷に行きたいんだよね。パパと行ったお化け屋敷に」

「え・・・、なんで、分かっちゃうの?」

「だって、友達だから。僕たちだけじゃないよ。ここにいるみんな、ユイちゃんの友達だよ。ユイちゃんはね、ひとりぼっちじゃないんだよ」

「・・・ほんと?」

大きく見開かれた、少女の瞳が潤んだ。


「本当さ。昨日のあの場所にいってごらん。お化け屋敷があるよ。お化けたちみんなでユイちゃんが来るのを待ってたんだ。ずいぶん長いこと、待ってたんだから」

「うん・・・。行く。ユイも、ずっと、ずっと待ってたんだよ」

目に涙を溜めたまま、本当に嬉しそうに少女は笑った。


2人に差し出された手が、微かに震えている。まるで全てを理解しているように。

そんなはずはないと分かっていても、そう思わずにいられなかった。


楽しいこと、嬉しいこと。 少女の体、細胞、ひとつひとつに刻まれて欲しいと願う。

触れてもいないのに、春樹がその想いに頷くように、隆也の方を見つめてきた。


明日になれば、今の自分たちは、跡形もなく消えてしまう。

それでも、この瞬間の少女の笑顔が、胸を熱くする。

自己満足。 どこへも届かない想い。 でも ・・・それでも・・・。


小さな右手、左手、春樹と隆也ウサギがそっと握ってやる。

少女の手に触れた春樹の目もウサギのように赤く、潤んでいた。


・・・ったく。泣き虫なんだから、お前は。

心の中で春樹に毒づきながらも、ウサギの着ぐるみの中は、結構な洪水だった。


俺、ウサギで良かったよ。


3人で手を繋ぎ、特設お化け屋敷に向かいながら、隆也は結構真剣に、そんなことを思った。



               〈END〉



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