第3話 奇妙なズレ
「ユイちゃんユイちゃん、すぐそこにソフトクリーム屋さんがあるよ~」
すっかりウサギに成りきった隆也が、おどけた仕草で少女に教えた。
「ほんとだ! ユイ買う! バニラとチョコ、どっちにしようかなぁ」
5人ばかりの客が列を作っている、そのソフトクリーム屋台の前で、少女は再び花が咲くような笑顔を見せ、斜めがけの小さなショルダーバッグの中を、ゴソゴソ探り始めた。
きっと財布を探しているのだろう。
「なあ春樹、この子、今日は1人で来てるのかな。昨日はパパと来てたみたいだけど」
「それがね、ちょっと妙なんだ」
「妙って?」
隆也がそう訊きかけたとき、ソフトクリーム屋の屋台の中から、ソフトクリーム屋にはちょいと似つかわしくない、革ジャンに厳ついあごヒゲの男がヌッとこちらに身を乗り出してきた。
「あれ? 春樹じゃん。今日はフリー? 可愛子ちゃんと妙ちくりんなウサギ連れて、どこ行くの」
「あ、美木。うん、ちょっとそこで知り合った子なんだ」
「ナンパ? それとも子守り? それよかさ、寄ってってよ。春樹だったらいっぱいサービスするよん」
・・・何だこいつは。妙ちくりんなウサギで悪かったな。春樹はフリーでも子守りでもないぞ。サービスったって、そんなにソフトクリームばっかり食えるか!
妙に馴れ馴れしい声を出す革ジャン男に、隆也は身勝手な不快感を覚えた。
そんな隆也の憤慨をよそに、春樹は静かに美木の方に近づき、身を乗り出して小声で訪ねた。
「ねえ美木、今年って、どこかでお化け屋敷やってたっけ」
「お化け屋敷?」
革ジャン男、美木も、同じく声をひそめて答える。
「いいや。お化け屋敷って、うちの軽音部と演劇部が毎年合同でやってた目玉イベントだったんだけど、3年前の準備中にセットの通路の壁が倒れて学生が大怪我しちゃったらしくてさ。それから取りやめになっちまったんだって。苦い伝説だよ。ま、俺の入る前の話なんだけど」
「それからずっと、やってないの?」
「そうだよ。大講堂横の小ホール、今年も使われないままさ。使わないんだったら、軽音の屋内ライブハウスにしたいとこなんだけど、許可してくんねえの」
春樹は美木の話を聞き終えると視線を隆也に戻した。
お化け屋敷は、やっていない。今日も。もちろん、昨日も。
「ねえユイちゃん。今日はここに、おうちの人と一緒に来たんだよね。・・・はぐれちゃったのかな?」
春樹が姿勢を低くし、優しくユイに話かけたのと同時に、一心不乱にバッグの中を探していたユイが、悲しげな目を春樹に向けて来た。
「お小遣いが、ないの。昨日パパがくれた、お小遣いも、お財布も無いの。ちゃんとカバンに入れておいたのに・・・」
そう言った後、必死で不安を堪えるように少女は唇を一文字に結び、藁をも掴むように伸ばした手で、春樹の手を再びキュッと握った。
隆也はその後の光景に、一瞬鳥肌が立った。
てっきりお金を落としたらしいその少女が、そこで泣き出すのだと思っていた。
けれど瞳を見開き、声もなく大粒の涙を流したのは、春樹だった。
少女にしっかりと手を掴まれ、その少女に跪く形で春樹はただ、身じろぎもせずに泣いていたのだ。
行き交う人々も、先ほどの美木という青年も、この光景に少しも気付かず、依然としてさっきまでの慌ただしい時間の流れの中に居る。
少女と春樹と、そしてその2人を見ている自分だけが刹那、世界から切り離されてしまったように感じた。