第1話 学園祭のドッキリ
パンパンと両手を叩き合わせてみたら、モワッと白いホコリが舞い上がった。
「うへぇー」
隆也は顔をしかめながら小さく呻いた。
けれどその表情を誰かに見られることは、絶対にない。
そのあと隆也は、目の前の校舎のガラス面に自分の姿を映し、「おっ。いいね」と呟き、今度は満足げだ。
11月初旬の青い空。心地よく乾いた空気。
春樹の居るK大の学園際に潜り込んだ今日の隆也は、どこからどう見ても、一匹の『可愛いウサギちゃん』だった。
隆也が着ているこのピンクのウサギの着ぐるみは、一週間前に、隆也が自分の大学の学園際の催しで、演劇部に借りたものだった。
本来ならばもう返却しなければならなかったのだが、催促されないのでずっと隆也のアパートに置いたままになっていた。
そして今朝。
そのウサギを見ながら隆也は、あるイタズラを思いついたのだ。
本日は春樹の大学の学園祭の2日目。前夜祭、本祭、後夜祭の、3日連続の祭りの中日だ。
こっそり大学内の春樹を見つけ、着ぐるみのまま忍び寄り、いきなり飛びついたら奴はどんな顔をするだろう。
押し倒してのしかかったら、いつも穏やかなあいつも、慌てるのだろうか。
バラした時の怒った顔もまた一興。
隆也は、まるで中学生レベルの自分の思いつきにニヤニヤしながら、着ぐるみという大荷物を抱えてK大の門をくぐり、木陰でウサギに変身したのだ。
春樹とは、メールのやりとりは頻繁だったが、互いのゼミの課題やバイトが忙しく、実際に会うのは月に2、3回だった。先週の隆也の大学の学園祭には遊びに来てくれるものだと思っていたのに、見事にすっぽかされた。
今日は、その腹いせも込みのイタズラだ。
それにしても。
もう11月だというのに、この日は季節を間違えたかように、パワフルな太陽が照りつけている。
たくさんの学生やビジターでごった返す大学敷地内を歩きながら、しだいに隆也は『やばい』と思った。
このままフラフラ歩いて、はたして春樹に出会えるのだろうか。
午前中は友人のサークルの手伝いで、正面ゲート付近のホットドッグ屋台に居ると言っていたが、姿が無かった。
校庭の時計を見ると、もう12時を少しまわっている。しくじったか?
ジワジワと着ぐるみ内の温度は着実に上昇を続けている。
春樹に出会う前に、熱中症で倒れたりしたらシャレにもならない。
ときたますれ違う小さな女の子の、「うさぎちゃんだー」という無邪気な声に応えて手を振りながら、隆也はかなり必死になっていた。
携帯で居場所を訊いてしまったら意味ないしなあ、と考えあぐねながら中央ストリートの端っこまで来た時だった。隆也はやっと目指す友人の姿を見つけ、着ぐるみの中で、人知れず安堵の笑みを浮かべた。
相変わらずの細身の体に、トレードマークのツヤツヤした絹の髪。スッと伸びたモデル並みの長い首が、今日のジャケット姿を更にスタイリッシュに感じさせている。
純日本人体型の自分とはえらい違いだと、見るたび思うが、今日は自分が「ウサギ」なので、ちょっと劣等感は薄い。
ウサギで良かった。
しかし、目の前の春樹を見ながら、隆也は首を捻った。
少しばかり、様子がおかしい。
斜め向こうの人の波の方に視線を向け、ボンヤリして突っ立っているのだ。
誰かを捜していると言うより、何かに驚いているように感じた。
けれど、それをおもん慮る余裕は隆也にはなかった。
一刻も早く計画を実行に移さねば、体が持たない。
隆也はポフポフと足音も立てずに春樹の背後から近づき、ぼんやりしているその背中にガシッと飛び付いた。
「・・・あ」
しかし春樹はチラッとこちらを見ただけで、特に大きな反応は見せず、またぼんやりした視線を人混みに移した。
《えーーっ》
失望しながら隆也は尚もガシガシと春樹の体を揺さぶってみた。
着ぐるみの布の上からでも、頭の中を読み取れるようになっちまったのだろうか、こいつは。と、少し慌てながら。
「ああ、もう。分かったから、やめろってば、マサト」
気だるい口調で、その唇が動いた。
《・・・マサト?》
隆也はピタリと動きを止めた。
「ねえ、マサト。さっきの女の子・・・見たろ? あっちに行ったよね。あの子」
《女の子?》
「気になるんだ。・・・ね、ちょっとマサトも一緒に来てよ」
いきなり春樹に着ぐるみの腕を掴まれ、訳も分からず隆也は屋台でごった返す人混みの中を引っ張られながら歩いた。
丸い頭の通気口からは、焼きそばや、焼き鳥の匂いが流れ込んでくる。
空腹と謎のマサトが、隆也の頭を巡る。
「やっぱり、見つかんないね、あの子」
「なあ、いったい誰、捜してんの?」
もうどうせドッキリは失敗だ。もういいや、と思いながら隆也は喋ってみた。
声がくぐもって、別人の声のように響いた。
「さっきの女の子だよ。マサト、見てなかった? 僕の前で躓いて転けそうになった子。かわいい女の子だった」
「気になるのか?」
「うん」
「いくつぐらい?」
「9歳か、10歳」
「春樹、おまえ、そんなちっちゃい子がいいのか?」
「いや、そうじゃなくて・・・。あ、ほら、あの子だ」
春樹は急に立ち止まり、小さなビジターの為の金魚すくいコーナーを指さした。
そこには確かに小学校中学年くらいの少女がいた。
ストレートの髪を肩まで伸ばした色白の可愛らしいその子は、しゃがみ込んでニコニコと水槽の中の金魚たちを覗き込んでいる。
「あの子がどうかしたのか?」
「いや、さっき助け起こした時にね・・・」
「助け起こした時に?」
「・・・あ、・・・いや、いいんだ、ごめん」
なるほど、そう言うことかと、隆也はニンマリした。
「その時手が触れて、何かを読んじゃったのか? 春樹」
春樹はハッとしたように振り返った。
春樹にとっては、いきなり目の前の人物が、〈マサト〉から不気味なウサギに変わった瞬間だろう。
隆也はやっと満足した。ドッキリは成功だ。
「気をつけないと、ロリコンだとか思われちまうぞ、春樹」
「・・・マサトじゃないのか?」
キョトンとする春樹の顔が楽しかった。
「誰だよ、それ。この大学にはマサトっていうピンクのウサギが居るのか?」
隆也は、そろそろ許してやるかとばかりに、着ぐるみの大きな頭をスポンと外し、それを小脇に抱えた。
「隆也!」
「いかにも。 隆也だ。・・・つーか、何で気付かないんだ?」
「隆也・・・」
「うん。俺だって」
「ごめん、隆也。ちょっと、触らせてもらっていい?」
「は?」
良いも悪いも、そんな返事をする間も与えられず、隆也はすっかり汗ばんで火照った顔を、春樹のヒンヤリとした両手の中に、包み込まれた。