94 取引
「よぉっ!」
イーシニアルは呼び出した人物がやってきたのをみとめると、内門の壁に預けていた背を起こし左手を振り上げた。
「どうした、何かあったのか」
厳しい顔の実弟の背に手をやり、まぁ少し話でもしようぜと街へと誘おうとする。
「いや、まだ仕事中だ、そう時間も取れない」
真面目なノースラァトの返事に、お前のカタさは変わらないなぁと苦笑を漏らし、内門の詰所から少し離れた場所へ移動するのみにとどめた。
「……マモリに何か?」
単刀直入に聞いてくるノースラァトに苦笑する。
「いや、マモリは中々筋がいい、法的なこともかなり覚えたし、基礎的な記述式も問題ない、今は応用と創作をやっている。 中々独特な式を作って面白いぞ、アレなら良い魔道具士になれるだろう。 本当ならアトリエで実技に移りたいところなんだがなぁ」
手放して褒めるイーシニアルに、ノースラァトの頬が僅かに緩む。
「それなんだが、近々休みをまとめて取れそうだ。 その時にそっちに行くから実技を教えてやってくれないか」
「構わんが、えらく過保護じゃないか。 お前があんな小さい子を嫁にした事にも驚いたが……ちゃんとやれてるのか?」
ニヤリと意味深に頬を歪ませたイーシニアルが、後半を声の音量を落として尋ねる。
ノースラァトは、やや思案し……通常の夫婦とは違うが、自分たちは自分たちの距離で自分たちらしく家庭を築いていると認識していたので"やれている"と応える。
すると、あからさまに残念そうな顔をしたイーシニアルは、斜めに掛けていた鞄の中から片手に収まる大きさの透明な瓶を出し、中の黄金色のトロリとした液体を光にかざし、もう一度ノースラァトに意味深な視線を送った。
「この前、久しぶりに"流浪の薬屋"が俺の腕の具合を見に寄ってくれたんだが。 その時、弟にちっこい嫁さんができたことを話したら、体格差のある夫婦は色々大変だろうと、こんなものを都合してくれたんだが……そうか、兄ちゃんの杞憂ならいいや、コレはまた他に取っておくことにするよ」
「………イーシニアル、それは、まさか」
イーシニアルはノースラァトの表情を見て、我が意を得たりとニィーッと口元を緩める。
「"流浪の薬屋"の十八番、媚薬だよ。 催淫作用が少なく、鎮痛作用と拡張作用に優れた一品。 体格差のあるカップル御用達の"黄金の蜜"だ」
紆余曲折の末、黄金色の液体の詰まった瓶はノースラァトに渡り、そしてイーシニアルは兼ねてからの念願であった"兄貴"という呼び名を獲得したのだった。