70 時間は少々戻り、ヒルランドの事情
人身売買組織が壊滅した直後、囮役だったヒルランドに異動の辞令が下りた。
元々遊撃性の高い部署なので突然の異動辞令自体は珍しいものではなかったが。
「エルルージュですか?」
赴任先を聞いて流石に首をひねる。
世界有数の魔石の産出地であるエルルージュは、滅多に住民の入れ替わりがない。
魔石の産地を守る兵も、年に決まった人数が数人ずつ入れ替わるだけで、それも赴任する人間及び家族の内情を調べた上で、心身ともに健全なものが行くことになっている。
そう、エルルージュは幹部候補の人間が一度は赴任する土地だ。
そんな場所にこんな中途半端な時期に、まだ階級もろくに無い人間が赴任することになる意味を図れずに困惑した表情を浮かべる。
「君は彼女に会っただろう?」
大きな無骨な机の向こう側に座る上司に、ヒルランドは少し首を傾げて見せる。
「君に魔石を託してくれた女性だ」
重ねて言われて思い出した。
あの組織に捕まっていた時、コッソリと虹色魔石をくれた小柄な少女…いや女性が思い浮かんだ。
「はい、覚えております」
姿勢を正し頷くと、上司は満足そうに説明を続ける。
魔石都市エルルージュへ向かう乗合馬車の中、旅装束のヒルランドは一人馬車の隅でため息を吐く。
あのノースラァト魔隊長(魔術部隊隊長の意、他意は無い)と同じ勤務先になるのは光栄だと思う、魔術部隊の小隊をまとめ上げ、尚且つ肉弾戦でも一般兵など物ともしない豪傑。
問題はもうひとつの方だった。
秘密裏に例の女性を尾行し、虹色魔石の仕入先を突き止めよ。
魔術部隊の総隊長直々且つ内々の指令と共に、ヒルランドに数個の虹色魔石が渡される。
一度使ってその使い勝手の良さは確認済みだったが、本来隊長クラスにしか渡されないはずのこの魔石を、一兵士である自分に渡された理由を考えるとため息が出た。
得意な魔術の分野が隠密に向いているからといって……。
恩人である彼女を探らねばならないのには抵抗がある。
そして、赴任先である魔石都市エルルージュに到着し、任務を開始して愕然とする。
なぜ、彼女は、あのノースラァト魔隊長と一緒に暮らしているんだ!?
訳がわからない、ノースラァト魔隊長の身内であるなら、なぜこんな指令が来る。
直接本人に聞けば早いではないか、と。
しかし、命令は命令である。
彼女の住む自宅の周囲に探知魔法を掛けておく、ノースラァト魔隊長は攻撃魔法は得意だがこういった細かい魔法は野営に使うような実践で実用できるものしか興味が無いらしく、気づかれることは無い。
彼女が外出すると探知魔法が作動するので、いつも詰めている内擁壁の詰所で彼女が門を通るのを待ってから尾行する。
数日前も街で買い物をする彼女を尾行していた。
いつもどおり買い物をしていたが、その日はいつもとは違い興味津々で記述棒屋に入って行った。
彼女は魔道具士でもあったのだろうか?
ヒルランドは疑問に思いながらも、彼女が店から出るのを待った、店から出てきた彼女は若干肩を落としている。
そして、その彼女に小さな少女が接触した。
彼女と少女は短い会話の後、路地の陰で何かの取引をしたようだった。
ヒルランドは表情を引き締め、自身に掛けていた存在感を薄くする魔法をもう一度かけ直し、路地裏に消えていった少女の後を追った。
少女は土地勘があるらしく、細かい路地を縫うようにして歩いてゆく。
引き離されないようにするのが精一杯だった。
だが、途中で横道から飛び出してきた赤毛の青年にぶつかり、少女を見失った。
痛恨のミスから5日、久しぶりに彼女が外出した。
ヒルランドは装備を整えて彼女の後を追う。
今日彼女は記述棒屋には入らなかった、だが、先日少女が彼女と密会した路地に、今度は灰色の髪の男が居た。
ヒルランドは呼吸を整え、身構える。
だが、男と対峙する彼女の様子がおかしい、どうも本気で嫌がっているようだ。
その彼女に執拗に絡む男。
気がついたときには、男から彼女を守るように身を呈していた。
振り返った先にいた彼女が疑問に思う前に先手を打つ、あくまで偶然を装って。
「ああやっぱり! 覚えてませんか、僕のこと。 そうだ! 頂いた虹…魔石の代金、まだお支払いしてなかったですよね! あの魔石のお陰で、無事に任務を果たすことができました。 本当にありがとうございます」
外見通りの幼い言動をしたヒルランドに、彼女はふわりと微笑んだ。
「こちらこそ、助けていただいてありがとうございました」
何気なく外された手は少し震えていて、彼女の動揺を教えていた。
だから、本来ならばすぐに別れるべきだったのに、喫茶店へと誘っていた。
暖かい飲み物1杯分、彼女が落ち着くだけの時間と自分に言い訳して。
そして、彼女のフルネームを聞いて内心愕然とする。
マモリ・レイ・ロンダット
ロンダット…間違いようが無く、現在ヒルランドの上司である男の妻である。
印も無いことから、ただ同居している身内である可能性も捨てていなかったのだが…。
動揺してからは、当たり障りのない会話をしマモリを家まで送り届け、詰所へ戻り本部へと送る報告書を書くことで平静を取り戻そうと努めた。