彼の連絡先
モヤモヤしたものを抱えながら過ごした週末。
そして、いつものように出勤した月曜日の朝。
「夏海さん、おはようございます!」
この声は…。
「佳奈ちゃんか。おはよう!」
出勤途中、佳奈ちゃんに声を掛けられる。
「はい、これ!」
「何、これ?」
彼女に紙切れを手渡される。
携帯電話の番号と、メールアドレスが書かれた紙。
「春人の連絡先です。もー、何やってるんですか、夏海さん!連絡先ぐらい、自分で聞いて下さいよ!」
「春人君に聞かれなかったから…。」
私も聞かなかったが…。
「だったら、夏海さんが聞けば良かったじゃないですか!電話番号ぐらいで、何も変わったりはしないですから。夏海さんの連絡先も、教えていいですか?」
「いいけど…。」
「私が出来るのは、ここまでですからね。後は、紙切れのように捨てるのも、大事に育てるのも、夏海さんの自由ですから。」
「うん。」
もう会えないかもと思っていた私は、何だか嬉しくなった。
紙切れ一枚で、私の運命が動き出すような気がして…。
その日の夜、春人君の連絡先を、携帯のメモリーに登録する。
そして…、かれこれ一時間…。
携帯電話と、にらめっこしたまま何も出来ない私…。
いきなり電話するのは、おかしくないのか?
色々誤解されるような事態にならないか?
もし、電話に出てくれなかったら、どうするの?
初めはメールの方がいいかな?
でも、何て送ればいいの?
やっぱり、日を改めた方が…。
イヤ、ダメだ!
そんな事をしたら、ますます連絡しにくくなる。
いい年して、さっきから何をやってるんだ、私は!
そんな無限ループを繰り返しながら、時間だけが過ぎて行く。
よし!
まずは、『一緒に食事でも』だ!
私は、彼ともう少し話がしたいだけなんだから!
『些細な出会い』を捨てるのも、育てるのも私の自由!
震える手で携帯を持ち、ふと時計を見ると、既に、二時間が経過していた。
その時…。
「わぁー!」
突然、着信があり、慌てた私は、携帯電話を落としてしまう。
慌てて拾い上げ、誰からか確認すると、春人君からだった。
『もしもし、春人君?』
声が裏返った…。
『夏海さんですか?何か、声がおかしいですけど、大丈夫ですか?』
『だ、大丈夫!私も、電話しようと思ってたところだったの。』
かれこれ二時間も…。
『そうだったんですか。俺は、夏海さんの番号を聞いたんで、一度、連絡しておこうと思って。』
『そうだったの…。』
佳奈ちゃんに言われたんだな…、きっと…。
『何か元気ないですけど、本当に大丈夫ですか?』
『本当に大丈夫だから、気にしないで!』
『…。』
そこで、一言、返してくれると話が続くんだけどなぁ…。
『また…、飲みに行こうよ…。』
自然に言えたよね?
『勿論、いいですよ!佳奈子も一緒ですか?』
『私と二人じゃ…ダメ?』
『いい…ですよ、二人でも…。』
『良かった…。私…、春人君と、少し話がしたかったの。佳奈ちゃん抜きで…。』
こんな事、言っちゃって良かったかな…。
『どんな話ですか?』
『それは、電話じゃ…、ちょっと…。』
私の言い方は、誤解を与えなかっただろうか?
『何を言われるか、ちょっと怖いですけど…。』
『今週の金曜日の夜は、どうかなぁ?』
さすがに、急過ぎかな?
『いいですよ。この前と同じ所でいいですか?あんまり、店とか知らないので。』
『いいよ、あそこで。じゃあ、この前と同じ時間でいい?』
『大丈夫だと思いますけど…。少し遅れたら、すいません。』
『春人君も忙しいだろうから、気にしなくていいよ。』
『じゃあ、何かあったら連絡します。』
『うん。じゃあまた…。おやすみ。』
『おやすみなさい。』
緊張した…。
私、自然に出来たよね?
そして、金曜日の夜。
早く着き過ぎてしまった私は、先週と違うドキドキを抱えながら彼を待つ。
春人君は、時間通りに来た。
しかも…。
「もしかして、走って来たの?」
息を切らして。
「今日は…、待たせちゃ…いけないと…思って…。」
呼吸が整っていない彼。
その姿を見て、胸がキューッとなる。
「別に良かったのに。私は気にしないから。」
「イヤ…、でも…。」
「取り敢えず、店、入ろうよ。」
並んで歩こうとした私は、自分の失敗に気付く。
今日、ヒールが高い靴、履いて来ちゃった…。
最初は、少しぎこちない二人。
いつもより、お酒を飲むスピードが早くなってしまう。
すると、酔いも手伝い、徐々に打ち解け始めた。
「春人君は、佳奈ちゃんが好きなんでしょ?」
「えっ!」
思考回路が麻痺し始めていた私は、直球の質問をしてしまう。
「図星…かな?」
「夏海さんって…、鋭いですね…。」
「だてに、歳は取ってないからね。春人君の気持ちは…、伝えないの?」
「アイツ…、彼氏がいるし…。それに、俺はもうフラレてますから…。」
「…?告白した事あるの?」
「ええ…、まぁ…。三回ほど…。」
「えー!」
三回って…。
「一回目は、幼稚園の時…。これは、よくある話です。『大きくなったら結婚しよう』って言ったら、『嫌だ』って言われました…。」
「…。」
佳奈ちゃんらしいと言うか…。
「二回目は小学六年の時…。『好きだ』と言ったら、『何の冗談?』と…。この時は、信じてもらえませんでした。」
「そこで、めげなかったんだ…。」
「はい…。佳奈子に、そういう対象に見られていない事は、何となく気付いてはいましたけど…。三回目は、中学の卒業式の日でした。」
「今度は、何て言われたの?」
「『本気で好きなんだ』と言ったら、『そういう対象で見れない』と、きっぱり言われました…。」
「…。」
彼は、私と全然違うじゃん…。
「高校は別々だったんで、しばらく会わなかったんですけど…。二十歳の時、家の近所で、偶然、再会したんです。」
「そこで、運命を感じちゃったとか…。」
「はい…。恥ずかしながら…。でも、もう彼氏がいて…。しかも、昔の俺の告白なんて、覚えてないような感じで…。」
「覚えてないって事はないと思うけど…。佳奈ちゃんとしては、春人君とずっと友達でいたい、という事じゃないかなぁ…。」
「今は、いつか振り向いてくれるんじゃないかという、女々しい期待をしてる状態です…。」
二十年以上、何も行動しなかった私に比べれば、春人君は凄い…。
そして、強い…。
この日は、少し飲み過ぎた。
足元が、少しおぼつかない…。
「あっ!」
「おっと!大丈夫ですか、夏海さん?」
よろめいた私を、受け止める春人君。
そして、私の鼓動は急に早くなる。
「今日はここでいいから。春人君は反対方向だし。」
改札前で別れを告げる。
「ダメです、そんな状態じゃ。この前みたいに送ります。」
「申し訳ない…。」
結局、一緒の電車に乗る私達。
「今日はごめんね。醜態も晒してしまって…。」
「大丈夫ですよ。楽しかったですから。」
「また遊んでくれる?」
「勿論です。夏海さんさえ良ければいつでも。」
タクシー乗り場で、春人君と別れる時、また小さく手を振る私。
彼も優しく微笑み、小さく手を振る。
タクシーに乗り込み、すぐに振り返ると…。
彼は、まだそこにいた。
嬉しくなった私は、もう一度、タクシーの中から手を振る。
それに気付いた彼も、手を振り返す。
さっきよりも大きく…。
角を曲がる直前に振り返ると、彼はまだ、私の乗ったタクシー見送っていた。
彼の目に、私は映るようになっただろうか?
「彼氏ですか?」
タクシーのドライバーに声を掛けられた。
「いえ…、違うんですけど…。」
まだ、彼氏ではない…。
しかし、彼の事が好きになってしまったのだと、自覚せざるを得なかった…。