最終話 山河へ
街道脇の民家の軒下に身を隠しながら雨をしのぐ新八。そこに宇八郎たちが追いついた。新八の左の二の腕から滴り落ちる血が足元を赤く濡らす。
「どうした?」
宇八郎が尋ねた。
「さっきまで凄まじい銃撃戦だった。一発食らった。だが今はこの静けさだ」
横殴りの風に煽られながら、大粒の雨が地面をたたく。
「……雨、か?」
宇八郎の言葉に新八がうなずく。
「お互い、この雨で銃が使えなくなったのだろう」
「ということは……?」
「あぁ。こっちが圧倒的に不利だ」
旧幕府軍の主力である伝習隊のほとんどは武士ではない。農町民・博徒等による徴募兵によって構成されていた。そのため、銃砲を採り入れた戦術には、いち早く順応した。そして、扱うのは後込めの最新式シャスポー中。銃さえ使えれば、言わば敵なし。しかし、剣戟による白兵戦では素人同然であった。
「おそらく、先に行った奴らは一目散に引き返してくるだろう。それを追って敵も押し寄せて来る……」
「腹を決めるか」
宇八郎の声に頷く靖兵隊士たち。新八は右の袖を食いちぎり、左腕の傷に巻き付けた。
「あの金で豪遊したかったな」
宇八郎の言葉に者たちの顏に自然と笑みが浮かぶ。
しばらくすると雨音にまざり、地面を叩く足音が次第に響き始める。
「ある程度敵をやり過ごしてから、脇腹を突く」
新八の言葉に無言で頷く隊士たち。もはや笑みは消えていた。
そして、目の前を人波が通り過ぎる。一時の空白――。再び人波が続く。勢いが違った。
「行くぞ!」
軒下を飛び出す新八たち。靖兵隊士たちは二手に分かれた。新八たち元新選組の面々は押し寄せる新政府軍に対峙し、宇八郎たちは通り過ぎていった新政府軍を追った。
多勢に無勢――。ではなかった。街道の道幅はさほど広くない。そして銃は使えない。ほぼ一対一の勝負。道幅を利用した各個撃破の形となり、新八たちは存分に剣を振るえた。
奮戦する新八たち。そこに宇八郎が駆けつける。
「ひとまず削った。残りは置いてきた奴らの獲物だ。で、どうする?」
新八たちの剣技の冴えの前に、距離を取る新政府軍兵士。双方の姿をはじけた雨粒が徐々にかすませていく。
「負ける気はしねぇが、体力が持たねぇな」
多勢に無勢――。だった。
宇八郎の言葉に頷く新八。その時だった。
「退く者は斬る!」
豪雨の中、覚えのある言葉が聞こえた――ような気がした。胸の高鳴りを覚えながら振り返る新八。しかし、視線の先にあったのは、白くかすむ街並みだった。
再び新政府軍に向き直る新八の眼に映る、押し寄せる黒い人波。これを咄嗟に捌いた。新政府軍の新たな増援。壬生城の新政府軍を束ねる鳥取藩士・河田左久馬が、本隊を率いて参戦した。もはや、旧幕府軍に、物量共にこれに太刀打ちする術は残っていなかった。
「退くぞ!」
宇八郎の掛け声のもと、新八たちは駆け出した。
(気のせい……だったのか?)
走りながら新八の脳裏にはあの男の影が浮かんでいた。雨雲からかすかに明るさが滲む、午前8時頃だった。
その後旧幕府軍と新政府軍は、しばらく、姿川の南岸で両軍入り乱れての乱戦を繰り広げる。疲弊する旧幕府軍。
午前10時頃、遂に第一大隊の指揮官の秋月登之助は全軍に撤退を命令。後詰が待つ西川田村まで撤退を開始した。
そして午後1時過ぎ、旧幕府軍は全軍、宇都宮に向けて撤退していった。
一方の新政府軍。旧幕府軍を追って姿川を渡河し、旧幕府軍が去った幕田村を占拠。しかし、かなりの損害を受けていたこともあり、これ以上の追撃はできず、河田は一部の部隊を残して壬生城に後退した。
旧幕府軍が幕田村を放棄したその頃――。
大川率いる奇襲部隊は、壬生城下の東を流れる黒川を越えて、情勢を伺っていた。
そこに、大川が放った斥候が戻る。
「敵の本隊が安塚に向かって、早一刻を過ぎ、壬生城に戻る気配はありません」
頷く大川。
「我らが城に近づけば、友平殿は間違いなく内側から応じてくれるのであろうな?」
大和は首を縦に振った。これを見た大川も意を決したように頷いた。
「待たれよ!」
島田が声を張った。
「不用意に城に近づいてはなりませぬ!」
「何を!」
島田の声に大和が声を荒げた。身を乗り出す大和を大川が制する。
「万一にも城からの攻撃を受け、徒に時を費やせば、安塚から転進する敵の攻撃をまともに受けることになります」
腕組みをする大川の横で、怒りの表情を滲ませる大和。これを横目に、島田は斥候に尋ねた。
「壬生城には安塚の負傷兵が運び込まれていると言っていたな?」
首を縦に振る斥候兵。
「某が負傷兵に紛れて城下に入ります。そのうえで上河原口を開きます」
大川はしばらく考えると腕組みをほどいた。
「実は、大鳥さんも気にしていました。お任せします。我らは前進し、上河原口の近くに潜みます」
「そんな!」
大和が声を張ったが大川はこれを気にすることなく、行動に移した。
負傷兵を装うために所々衣服を破り、額や腕に布を巻く島田。準備万端で出発しようとすると、人影が近づいてきた。
「俺も行く。この目で、壬生の心底を確かめる!」
決意のこもった大和の眼を見て、島田は言葉を発することなく歩き出した。大和がこれに続く。
壬生城下上河原口に続く街道――。
島田と大和は道端に潜み、負傷兵の列を待った。目の間を通り過ぎる新政府軍の負傷兵たち。二人はその最後尾について、ゆっくりと歩き出した。
壬生藩士が守る上河原口を難なく通過する二人。
「まさか……」
大和は愕然とした。城下には銃を構えた壬生藩士たち。
――またしても藩に裏切られた。
その場に崩れ落ちる大和。
「奴を責めるな。断り切れなかったんだろう」
島田が声を掛けた。大和の両拳が小刻みに震える。
「これから俺があいつらを引き離す。その間にお前が大川殿を引き入れろ。お前はお前の心に従え」
言い残した島田は、城下の中に消えていった。
一人に残された大和。しばらくすると壬生藩士たちが北西の方へ駆け出して行った。
「台宿口が突破された!」
どこからともなく発せられた言葉に引き寄せられていったのである。
(あのおっさんか……)
大和の脳裏によみがえる島田の言葉。大和は上河原口を守るわずかな壬生藩士を不意打ちに退け、外で待機する大川に合図を送った。城下になだれ込む奇襲部隊。
「火を放て!」
大川が叫ぶ。新政府軍の物資を消耗させる――。大川が大鳥から授かっていた、せめてもの策だった。
「だめです! 火が付きません!」
雨は上がっていた。しかし、猛烈な豪雨で湿った家屋は、奇襲部隊の放った火を無情にも消し去っていった。すると、奇襲部隊の足元に銃弾が弾ける。壬生城内からの攻撃。偽りの声で持ち場を離れた壬生藩士たちも戻り、銃撃戦が繰り広げられた。
大川が放っていた斥候が戻る。
「安塚に向かった敵が城下に近づいております!」
大川は天を仰いだ。
「撤退だ!」
大川の指示の元、奇襲部隊は城下の東へ向かって駆け出して行った。これに従う島田。そして……。
「大敗だな……」
宇都宮への道中、宇八郎が新八に声を掛けた。
――この雨が味方してくれる。
大鳥の言葉とは裏腹に、雨は無情にも新政府軍を味方したのであった。
この戦いで、旧幕府軍の主力である伝習隊に大きな損害が出た。同時に戦果を得ないまま、多くの物資を浪費することになったのである。重い足取り、兵たちに言葉はなかった。
「結局、会津は来なかったな」
宇八郎が続けたが、新八は言葉を返さなかった。
「退く者は斬る、か……」
呟く新八。怪訝そうな宇八郎に新八が続ける。
「向こうの指揮官は、本当に斬ったのだろうか?」
「普通は斬らねぇよ」
「……そうだな」
しばしの沈黙の後だった。
「仕方ねぇ。また、あいつの下で戦うとするか」
晴れやかな顔で新八は言った。
壬生での出会いと想いは、日光、会津の山河へと続く……。
完




