第五話 安塚の戦い
慶応4年(1868年)4月22日午前2時、幕田村――。
大粒の雨、横殴りの風の中、戦支度を終えた兵士たちの前に第七連隊を指揮する米田桂次郎が進み出た。
「これより我らは姿川を越え、敵の守りを破り、安塚村を突く!」
米田の言葉に無言で頷く兵士たち。
「見てのとおり天候は最悪だが、これが我らの進軍を後押しするであろう。いわば『桶狭間』!」
兵士たちの意気が上がった。
「雨で銃が使い物にならぬよう手抜かりなく! いざ!」
豪雨の中、第七連隊をはじめとする旧幕府軍は、一部の兵を残して進軍を始めた。
姿川北岸に達した旧幕府軍。米田はまず、陽動の射撃を命じた。これに対岸まで警戒に出ていた新政府軍が応じた。この間、本隊は橋を渡り対岸に達する。
本隊が新政府軍の側面を突く。新政府軍はたまらず後退を始めた。これを追う旧幕府軍本隊は、安塚村北端の新政府軍陣地まで強襲するが、新政府軍の猛烈な銃撃の前に足止めを食らう。対峙する両軍。
「さて、どうする?」
雨に打たれながら、宇八郎が新八に尋ねた。
「ひとまず奴らの注意は俺たちに向いた。ここまでは大鳥さんの策のとおりだ」
ここに宇都宮を発した第一大隊が合流し、迂回して近づく第二大隊が新政府軍の側面を突けば、目の前の敵を突破するのは容易い。
「しばらく現状維持といったところか」
新八の言葉に、宇八郎たちが頷く。豪雨の中、散発的な銃撃がしばし続いた。
午前4時頃――。
米田の元に第一大隊からの伝令が届く。
「第一大隊、戦場に到達! 部隊を左右に展開し、これより三方から敵陣を突きます!」
「承知した!」
米田が声を張った。
「第一大隊に三方からの攻撃を指示していたとは……。さすが大鳥さんだ」
宇八郎の言葉に新八は答えなかった。時を置かず、地面の泥をはじく音が響く。
「俺たちも行くか!」
新八の声に靖兵隊士は首を縦に振り、本隊と共に新政府軍に向かって突き進んだ。
その頃、雀宮宿――。
「かれこれ秋月殿が戦線に達した頃だろうか……」
迂回部隊としてこの地に到達していた伝習第二大隊の大川正次郎がつぶやく。そして、共に迂回部隊を率いる鈴木に声を掛けた。
「それでは手はず通りに!」
頷いた鈴木は、迂回部隊の半分を率いて進路を西に取った。これを見送る大川。
「それでは案内を。鳥居殿」
若き壬生藩士、鳥居大和――。友平と共に内応の使者として宇都宮に赴いた彼は、友平が壬生城に戻った後も旧幕府軍に付き従っていた。心の奥底にある想いを宿しながら……。
大和は、黙って頷くと先陣を切って歩き出した。その背中を島田の鋭い視線が貫いていた。
午前5時頃――。
安塚村の戦況が動く。壬生城からの新政府軍の増援第一陣が戦線に加わった。戦闘開始直後、安塚村の守備隊は壬生城に増援を依頼。これに応じたものであった。
十分な装備を有する新手の敵。一時、安塚村の中央まで達していた旧幕府軍も、これに押し返され、川を越えて幕田村まで後退を余儀なくされていた。
姿川に架かる淀橋――。この橋を確保すべく、両軍の銃撃戦が繰り返される。
「敵の増援……。これも大鳥さんの読み通り、だな」
身を屈めながら宇八郎が口にする。
「しかし、敵の側面を突く部隊が遅すぎる。もう到達してもおかしくないはずだ!」
にわかに苛立つ新八。
しばしの膠着が続く。橋の両たもとに布陣する両軍。不用意に渡ろうとすると、容赦なく銃弾が降り注ぐ。互いに決め手を欠いた。
(早く来いよ! あの時のように!)
心の中で叫ぶ新八。
そして午前6時頃――。
新八たちの後方から大量の泥を撥ねる足音が近づく。そして、怒涛の勢いで新八たちの横を通り過ぎていった。新八と宇八郎の顔は泥だらけ。互いの顔を見合う二人に言葉はなかった。横を通り過ぎる一人の兵の腕を新八がつかむ。泥だらけの地面の倒れこむ兵士。
「迂回部隊は敵の側面を突くはずなのに、どうしてここにいる!?」
新八は語気を強めて尋ねた。
「豪雨で視界を遮られ、道を誤りました!」
兵の腕をつかむ新八の手が緩む。兵はこれをほどき駆け出していった。
「何をやってやがる! ガキの遊びじゃねぇぞ!」
新八の叫び声は豪雨に吸い込まれた。
雨で流された泥の下から現れた新八の顔は、怒りに満ちていた。駆け出す新八。これを追う宇八郎ら靖兵隊。しばらくして、米田を見つけた。
「秋月殿からの報せで状況は聞きました。合流した第二大隊の一部が左翼から陽動の射撃を行っています。作戦はまだ続いています。皆さんも前進を!」
米田は新八たちに指示を出すと、自らも敵陣に向かって走り出した。
顔を見合わせる靖兵隊の兵士たち。
「これまでだ。退こう!」
彼らの想いを代弁するように、宇八郎が声を張った。
「退いてどうする? のこのこ宇都宮に戻るのか?」
冷静に尋ねる新八。
「会津へ向かおう! そこで立て直そう!」
「駄目だ!」
間髪入れずに新八の言葉が響く。その気迫に宇八郎や兵の動きが止まる。
「まだ味方が戦っている。それに……」
――敵前逃亡。士道に背くまじきこと。
(嫌なことを思い出しちまった)
新八は言葉を呑み込み、米田の後を追った。これを矢田たち旧新選組隊士が追う。
「どうしますか? 芳賀さん?」
靖兵隊士が不安そうに尋ねた。
「……仕方ねぇ。弾がなくなった奴は俺と来い。残りは橋のたもとを固めて、万一に備えて味方の退却を支援しろ」
指示した宇八郎は、数名を連れた新八の後を追った。




