第二話 前夜
慶応4年(1868年)4月21日、幕田村――。
宇都宮城の南西約7キロに位置する村の南、姿川の北岸に新八たち第七連隊の姿があった。
姿川は宇都宮の西側を南北に流れる。幕田村には河岸が設置され、宇都宮や鹿沼からの物資がここを経由して江戸に運ばれていた。
近くの小屋で雨をしのぐ新八たち。小雨が降る中、幕田村の南、地元の百姓たちがが、黙したまま雨に打たれながら胸壁を築いている。
「さて、俺も少し手伝うか」
「やめておけ」
新八が立ち上がろうとすると、宇八郎がこれを制した。
「そのために金を払ったんだ。金の分はやってもらえばいいんだよ」
宇八郎は冷たく言い放った。新八は再び腰を下ろした。
「しかし、まさか宇都宮城の堀にあれだけの金があるとは思わなかったな」
宇八郎は新八を見ながら得意げに語り掛けた。前日、宇都宮城に入った新八たちは、宇都宮藩士が城を脱出するとき堀に投げ込んでいた軍用金を見つけ、その一部を靖兵隊の軍資金としていた。
「俺たちの金じゃないけどな」
新八がつぶやく。
「いいんだよ。俺たちの仕事は戦うことだ。土いじりをする必要なんてないのさ」
新八が川の対岸、南に視線を移した。視線の先は雨で白い霧がかかっていた。
「まさか、あの中に敵がいるなんてことはないよな?」
呟く新八。それを聞いた宇八郎の笑い声が響く。その二人に近づく影があった。第七連隊を率いる米田桂次郎である。
米田桂次郎――。第七連隊の隊長を務める元幕臣。18歳(満16歳)の時に万延元年遣米使節に参加して渡米。トミーの愛称で米国で親しまれた男である。
「芳賀殿、永倉殿。たった今、敵が壬生城に入ったとの報せがありました」
二人の顔がにわかに厳しくなる。
「即刻斥候を放ち、壬生方面の状況を探れとのお達し。お願いできますか?」
米田は微笑みながら依頼した。
新八は、近藤・土方との決別後、芳賀宜道こと市川宇八郎を隊長、永倉新八、原田左之助を副長として靖兵隊を組織するも、その後米田桂次郎らと合流。大鳥の江戸脱走に際して、第七連隊に組み込まれていた。
「承知した」
米国人女性を虜にした米田の屈託のない笑顔を見せられては、なかなか断れない。宇八郎が答えると、米田は二人の前から去っていった。その後ろ姿を不満げに見送る宇八郎。
「所詮俺たちは下っ端だ。そう腹を立てるな」
穏やかに口にした新八は、小屋を出ていった。
夕刻――。
新八たちの耳にかすかに銃声が届く。勢いよく立ち上がる新八と宇八郎。二人は小屋の外へ飛び出した。同じように多くの兵士たちが雨に打たれながら、霧の向こう、銃声の方向に顔を向けた。しばらくすると、水を跳ねる足音が徐々に近づいてきた。
「矢田!」
新八は駆け出した。これに米田や宇八郎らが続く。元新選組隊士・矢田賢之助は、新八の指示で姿川を渡り、壬生方面の偵察に出ていた。新八の前で両ひざに手を置き、息を切らせる矢田。身体からはかすかな湯気が立ち上っていた。
「川の対岸には、敵が陣を築いています」
息を切らせながら、矢田は集まった者たちに伝えた。
前日20日――。壬生城に入城した新政府軍は、21日に旧幕府軍が幕田村に進出したことを知ると、一部の部隊を壬生城の北約7キロの安塚村に派遣。さらに北進して村の北部の姿川南岸に陣地を構築していた。
矢田は霧の中を南に進んだところで、新政府軍が放っていた斥候と遭遇。小競り合いを行った後に帰還したのであった。
「無駄なお話を続けているからだ。上の連中がな」
(あいつなら、とっとと兵を動かしていいただろうな)
吐き捨てた新八は、米田に視線を送る。一同の視線を一身に浴びる米田。指揮官としての判断が迫られた。
「この視界の中で不用意に打って出るのは得策ではない。大鳥さんの指示は幕田で陣の構築。ひとまずこの地に待機し、敵の出方を見る」
一同が頷く。米田は、一部の兵を姿川に架かる淀橋のたもとに移動させ、陣の周辺の警戒を強化。各々がその役目に散っていった。
「ケガはないか?」
新八の声に頷く矢田。新八は灰色の空を見上げた。
(これで壬生攻略は難しくなったか……)
新八は、土方のことを思い出していた。
その夜――。宇都宮城内。
雨が降る中、幹部の宿所内に旧幕府軍の指揮官が集められた。
「これより、壬生城の敵を討つ!」
立ち上がった大鳥が、額に汗を滲ませながら声を張った。
「お待ちください! この雨の中ですか?」
その場に集まった者たちの思いを代弁するかのように、一人の将が口を開いた。
「いかにも!」
力強い声を発した大鳥は一人の男を呼び寄せた。
「この者、壬生藩大砲奉行・友平慎三郎と申す。壬生城六ケ所の守り口の一つ、台宿口(日光口)の守将である。我らに加勢し、ともに敵を討つとの申し出があった。この機を逃す術はない!」
どよめきが沸き起こる。心なしか大鳥の表情は誇らしげだった。早期の壬生攻撃を主張していた大鳥だったが、同行する会津藩士の反対で実らなかった。無為な議論が続く中、壬生に入った新政府軍が守りを固めてしまった。この状況を打破する好機が訪れた。そう感じたのである。
「この雨が我が策の助けとなろう!」
大鳥は、意気揚々と作戦を話し始めた。




