5歳王女「てめぇら、仁義ってもんを教えちゃる」
「てめぇ誰に向かって銃向けとんじゃ!」
それが、ワシの最期の言葉だった。
腹に鋭い痛み。次の瞬間、視界が暗転した。
――ああ、これで終わりか。
昭和の時代をヤクザの組長として駆け抜けた人生も、鉄砲玉にやられて幕を閉じるのだ。
後悔はなかった。ワシの仕事はまあ悪くはなかったと思う――
◇
目が覚めたら違和感だらけだった。
まず、視界が妙に低い。それから体が軽い。長年鍛え上げた筋肉も腹に蓄えた肉も、何もかもが消失している。
この柔らかな寝台と、天蓋付きのベッドは何だ?
ワシは混乱しながらも自分の手を見た。小さい。やけに小さい。それも女の子の手だ。
――なんじゃこりゃあ?
「マフィ王女殿下。お目覚めですか?」
聞こえてきたのは女の甲高い声。
誰じゃあ、その「まふぃ」いうんは。
声を出そうとして、違和感に気づく。
喉がおかしい。まるで赤ん坊のような、甲高い声しか出ない。
「……あ……う?」
「まあ、愛らしいお声。さ、本日も妃殿下がお待ちかねですよ」
抱き上げられた。
何をしやがる、と体を捻ろうとするが、まるで力が入らない。
綿でも詰まった人形のようだ。
状況を理解するのに、そう時間はかからなかった。
ワシは死に、そして――生まれ変わったらしい。
それも、どこぞの国の「王女」として。
齢、五歳。
このフリルやレースで飾り立てられた小さな体が、ワシの新しい器らしい。
冗談にも程がある。
◇
マフィ・オズ。
それがワシの今生の名だ。
この世界に来てから数日が経ったが、どうにも肌に馴染まん。
着せられる服はフリフリ。
食後に出されるのは甘ったるい菓子ばかり。
熱い茶としょっぱい煎餅が食いたい。
何より落ち着かないのはこの国の状況だった。
先日、今生の父である国王と、知らんオッサン連中が立ち話をするのを聞いた。
「魔王軍の動きが活発になっております」
「うむ。我がオズ王国はヤツらと直接国境を接する最前線。予断は許されん」
「しかし陛下。小国である我らだけではいずれ……」
「分かっておる。だからこそ中央諸国からの支援を取り付けねばならんのだ」
魔王軍。
おとぎ話のような単語だが本気らしい。
この世界は人間が統治する国々と「魔王軍」なる敵が抗争状態にある。
ワシが生まれ落ちたこの王国は人間の領域の最前線に位置する小さな国。
いつ敵が攻め込んできてもおかしくない、防波堤のような場所だという。
「……どこの世も、変わらんもんじゃのう」
思わずため息が漏れた。
極道の世界で抗争に明け暮れ、命を落としたと思ったら、今度は国家間の戦争の真っただ中。
しかも最前線とは、なんともきな臭い。
神様とやらがいるのなら、趣味が悪すぎないか?
◇
そんなことを考えているうちに、ワシは馬車に揺られている。
隣には今生の母である妃殿下。向かいには侍女。
これからどこぞの貴族の屋敷で開かれる「お茶会」に同席させられるのだという。
五歳のガキに何の用があるというのか。
退屈極まりない。
それに、ごてごてとした分厚いドレスのせいで身じろぎもままならない。
窓の外をぼんやりと眺める。
王都の大通りを抜けると、次第に建物の密度が下がり、少し寂れた区画に入った。
その時だった。
路地裏から二人の男が飛び出してきた。
一人の女の腕を掴み、無理やり引きずっている。
女は必死に抵抗しているが、男二人を相手ではどうにもならんようだ。
「……おい。ありゃ何をやりよるんか?」
ワシは向かいの侍女に尋ねた。
五歳の幼女が出したとは思えない、妙にドスの利いた声が出た。
――前世の殺気が、この小さな体を通して滲み出たのか。
侍女はビクリと肩を揺らし、気まずそうに目を伏せた。
「あれは見ないふりをなさるのが賢明かと」
「見りゃ分かることを聞いとるんやない。ありゃなんじゃと聞いとるんじゃ」
妃殿下がワシの言葉遣いを咎めるように眉をひそめた。
「マフィ。はしたない言葉遣いはよしなさい」
「……申し訳ありません、お母様。ですが気になります」
侍女は観念したように重い口を開いた。
「この国は長年の戦争で男手のほとんどが戦場に駆り出されております」
「はい」
「結果、国内には女性ばかりが多く残り、夫を亡くされた未亡人の方々も大勢いらっしゃるのです」
「……」
「徴兵を逃れたり、戦場から逃げ帰ってきたような…素行の悪い若い男たちが、そうした女性たちに乱暴を働くことが増えている、と」
妃殿下は言う。
「騎士団長閣下は『戦時中の些細な問題』と仰ってましたわ」
「些細、ですか」
「ええ、男の方には分からない苦労なのかもしれません」
何か裏がありそうじゃ――
そう思いながら、脳裏に遠い記憶が蘇ってきた。
◇
前世。ワシがまだ、ただのチンピラだった頃。
日本は戦争に負けたばかりで、街は焼け野原だった。
食べ物はなく、仕事もなく、あるのは空腹と先の見えない不安だけ。
ワシらの街にも戦争で亭主を亡くした女たちが多くいた。
女手ひとつで子供を育て、必死に生きていた。
だが、世の中が乱れると必ず湧いてくる輩がいる。
食い詰めた連中。復員兵崩れのゴロツキ。
そういった連中が、女子供の家を狙って乱暴を働き始めた。
ワシの近所にも幼馴染の未亡人がいた。
ある日、そいつの家にゴロツキが押し入った。
ワシが駆けつけた時には、家の中は荒らされ、そいつは泣き崩れとった。
ワシは怒りで頭が沸騰するのを感じた。
その足で、近所のやんちゃな餓鬼ども――ワシを「アニキ」と慕う若い衆を引き連れて、そのゴロツキどもを叩きのめした。
半分、殺すつもりでやった。
それからだ。
ワシは近所の未亡人たちに声をかけた。
「ワシらがアンタらを守っちゃる。安心して暮らせ」と。
最初はただの護衛組織だった。
それがいつしかワシらを頼る人間が増え、ワシに従う若い衆が増え……。
気づいた時には組長と呼ばれるようになった。
◇
「……そうか」
ワシは目の前の光景と、過去の記憶を重ね合わせていた。
場所が変わっても、時代が変わっても、やることは同じか。
力のない者がクズみたいな連中に搾取される。
この構図はどこへ行っても変わらんらしい。
なぜ、ワシがこんなへんてこな世界に、五歳の王女なんぞとして生まれ変わったのか。
ずっと考えていた。
今、分かった気がする。
神様とやらがいるなら、そいつはワシにもう一度同じことをさせたいんだろう。
力のない女たちが泣き寝入りしなくてもいい世界。
それをもう一度、この手で作れと。
そういうことなんじゃろう。
「……おい」
「は、はい」
「馬車ぁ止めぇや。折り返すぞ」
「え?王女殿下、何を……」
「聞こえんかったんか!馬車を止めんかい!」
ワシの怒声に御者が慌てて馬車を止めた。
隣で妃殿下が目を丸くしている。
「マフィ!いけません、お茶会に遅れてしまいます!」
「お母様、すんません。じゃが、急用ができたけぇ」
ワシは馬車の扉に手をかけた。
「王女殿下、危険です!」
侍女がワシの腕を掴もうとする。
護衛の兵士も馬車の外からワシを覗き込んでいる。
ワシはその全員の顔をゆっくりと見回した。
そして腹の底から声を絞り出した。
「止めんさんな」
その声は五歳の幼女が発したものとは到底思えなかった。
何十年も修羅場をくぐり抜けてきた、ヤクザの組長のドスが利いていた。
侍女の手が止まった。
妃殿下も護衛の兵士も息を呑んでワシを見ている。
「こりゃあ……ワシが、やらんといけんことじゃ」
ワシはフリルまみれのドレスの裾をまくり上げ、馬車から飛び降りた。
護衛の兵士が慌ててワシの後を追う。
「ついて来い。あのクズどもに仁義ってもんを教えちゃる」
五歳の王女、極道としての第二の人生が始まった。
◇ ◇
五歳児の足で現場に急ぐ。
護衛の騎士は全部で四人。後ろを固めるようについて来る。
路地裏の奥、ゴミが散乱する開けた場所。そこで馬車から見た女が地面に押さえつけられていた。二人の男が女の服を無理やり引き裂こうとする。
「やめてください!」
「うるせえ!黙ってろ!」
――見上げたクズじゃ。
ワシはフリルまみれのドレスのままそいつらの前に進み出た。
「てめぇら。その辺にしとけや」
ワシの声に男たちがギョッとして振り返った。そりゃそうだろう。場違いなドレスを着た五歳のガキが立っているのだから。
ワシは後ろに控える護衛たちを顎でしゃくった。
「あのゴロツキどもを捕らえろ」
王女の命令は絶対のはずだが、どういうわけか四人の護衛たちはぐずぐずしている。剣の柄に手をかけたまま、一歩も前に出ようとしない。
……やはりか。
妃殿下が言っていた「騎士団長閣下は『戦時中の些細な問題』と仰ってましたわ」という言葉が脳裏をよぎる。
ワシらのその奇妙なやり取りを見て、ゴロツキの一人が状況を理解したらしい。ニヤニヤと汚い歯を見せて笑いやがった。
「なんだぁ?お嬢ちゃん。子供の見世物じゃねえんだよ。おままごとは他所でやりな」
――舐めくさった餓鬼じゃ。
ワシはくるりと振り返り、真後ろにいた若い騎士の頬を思い切り張り飛ばした。
パーン!
乾いた軽い音。
五歳児の力だ。痛みなんぞ当然のようにないだろう。
だがワシは睨みつけた。前世で何十年もかけて培った「組長」としての殺気を込めて。
「お前ら、いったい何なんじゃ」
ビクリ、と騎士の肩が震えた。
他の三人もワシのその眼光に気圧されている。
「聞こえんかったんか?お前らは何者じゃと聞いとるんじゃ」
「わ、我々はオズ王国騎士団……」
「騎士団が聞いて呆れるわ」
ワシは吐き捨てるように言った。
「どうせ、てめぇらの長である騎士団長がこのクズどもからショバ代でも貰っとるんじゃろう」
「なっ……!」
「図星か。だから見て見ぬふりか。同じ穴のムジナじゃのう、お前らも」
ワシがそう言い切った瞬間だった。
「クズだと!?ガキが粋がってんじゃねぇぞ!」
カッとなったゴロツキの一人がワシに向かって突進してきた。
護衛の騎士どもはワシの詰問に気を取られ、反応が完全に遅れている。
ワシの目には振り上げられた拳がスローモーションで見えていた。
前世の体なら軽く避けて懐に入り、タマの一つでも潰してやるところだが。
いかんせん、この体は五歳児。
頭で分かっていても、体がついてこない。
「ぐっ……!」
重い衝撃が左の頬を襲う。ワシの小さな体はまるで紙切れのように宙を舞い、ゴミの山に叩きつけられた。
「王女様!」
護衛の騎士が今さら慌てた声を上げた。その声にゴロツキどもも動きを止める。
「……王女?」
「まさか、本物の……?」
いくら最前線の小国とはいえ、王族を殴り飛ばせばただでは済まない。ゴロツキの顔からさっと血の気が引いていく。
ワシはゆっくりと体を起こす。口の中が鉄の味でいっぱいだ。
手の甲で口元を拭うとべっとり赤い血がついている。
だが痛みなんぞ、どうということはなかった。
「……この程度か」
ワシはゴミの山から立ち上がり、ゴロツキどもを睨み据えた。
「前世で銃で撃たれた時の方がよっぽど痛かったわ」
シン、と路地裏が静まり返った。
五歳の少女が大の男に殴り飛ばされた。普通なら泣き叫び、気を失ってもおかしくない。
だが、ワシは血を流しながら平然と立っている。それどころか、その眼光はまるで獲物を前にした獣だ。
ゴロツキどもが本能的な恐怖を感じたのか後ずさった。
ワシはゴロツキどもから視線を外し、硬直したままの護衛たちに向き直った。
「おい」
「は、はい!」
「王女と騎士団長、どちらの意見が優先されるとか、そんなくだらん話をしとるんやない」
ワシはゆっくりと一人一人の目を見て言った。
「お前らはいったい何なんじゃ」
「……」
「お前らは、そのピカピカの鎧を着て、立派な剣をぶら下げて、何のためにそこにおるんか」
騎士たちは誰も答えられない。ワシはゴロツキどもを指差した。
「このクズどもをのさぼらせるためにおるんか?」
五歳児の甲高い声。
だが、その声に含まれた凄みと圧力はその場の全員を圧倒していた。
殴りかかってきたゴロツキも、その仲間も、護衛の騎士たちも、そして被害者の女性までもが、口を開けたままワシを見ていた。
静寂を破ったのは一番若い騎士だった。
「……俺は」
震える声だった。
「俺は、騎士になったのは……」
ワシはそいつを真っ直ぐに見た。
「守るためじゃろ?」
ワシは静かに、しかし強く言った。
「なら、守れや」
若い騎士はワシの目を見つめ返した。
一瞬の逡巡。
次の瞬間、そいつの目に光が宿った。
カシャン!
金属が擦れる音。若い騎士が鞘から剣を引き抜いた。
「王女殿下のご命令により、不届き者を捕縛する!」
そいつがゴロツキの一人に向かって飛び出した。ようやく騎士らしい動きだ。
「何しやがる!」
ゴロツキもナイフを抜いて応戦しようとするが、素人と本職では話にならない。
「お前らも続け!」
若い騎士の叫びに、残りの三人も我に返ったように剣を抜いた。
「うおおお!」
「捕らえろ!」
はじめは抵抗しようとしたゴロツキどもだったが、四人の騎士には敵うはずもなかった。あっという間に組み伏せられ、地面に押さえつけられた。
「……ふん。ようやく仕事をしやがったか」
ワシは押さえつけられたゴロツキどもの前に立った。
「こいつらを連れて王城へ行け」
「はい!」
「縄は持っとるか?全員、数珠つなぎにせい。王城まで引きずってくぞ」
ゴロツキどもが「そ、そんな!」と喚いているが、知ったことか。
ワシは、さっきワシを殴った男の前にしゃがみ込んだ。
「おい。お前、ワシを殴ったのう」
「ひっ……!わざとじゃねえ!王女様だとは……!」
ワシはニヤリと笑う。血まみれの顔で笑う五歳児の姿はさぞかし不気味だっただろう。
「おどれの拳はワシに届いた。大したもんじゃ」
「……へ?」
ワシは立ち上がり、若い騎士に最後の命令を下した。
「それと、王城に着いたら騎士団長も呼んどけ」
「騎士団長閣下を、ですか?」
「おう」
ワシはフリルについた泥を払いながら告げた。
「『面白い見世物がある』ってな」
◇ ◇ ◇
王城の大食堂はちょうど昼食の真っ最中だった。
今生の父である国王と取り巻きの重臣たちが優雅に食事を楽しんでいる。
この国が最前線で魔王軍とやらに睨まれているのに、なんとも呑気なことだ。
ワシは扉を蹴破るように開けた。
バーン!と轟音が響き渡る。
食堂内の全員の視線が一斉にワシに突き刺さった。
当然だろう。五歳の王女が昼食会に殴り込んできたのだ。
それも、頬を腫らし、口から血を流し、高価なドレスを泥と血で汚した姿で。
ワシの後ろでは護衛の騎士たちが数珠つなぎにしたゴロツキどもを引きずっている。
「……マフィ?」
国王が手に持った銀のナイフを皿に取り落とした。
ワシは食堂の真ん中まで進み出て、連中を睨み据えた。
その目つきは、五歳児のそれではない。
魔王軍とやらが相手かは知らんが、こちらは何十年も修羅場をくぐってきたのだ。その眼光は歴戦の傭兵よりも鋭かったはずだ。
「お食事中に失礼します。お父様」
ワシがドスの利いた声でそう言うと、食堂は水を打ったように静まり返った。
「陛下!王女殿下が、その……」
そこへ、息せき切って騎士団長が転がり込んできた。
ワシが「面白い見世物がある」と伝言させたからだろう。
だが、その騎士団長も食堂の異様な光景とワシの姿を見て絶句した。
「おどれも来たんか。ちょうどええわ」
ワシは騎士団長を一瞥し、国王に向き直った。
「お父様。こいつらは街で女に乱暴しとったクズどもじゃ」
ワシはゴロツキどもを指差す。
「ワシが護衛に捕らえさせようとしたら、どういうわけか騎士が動かんかった。それどころかワシはこのザマじゃ」
ワシは腫れた自分の頬を指差した。
国王の顔が怒りで赤く染まっていく。
「騎士団長!どういうことだ!」
「はっ!こ、これは……」
騎士団長が慌てて言い訳を探す。ワシはそれを待たずに続けた。
「簡単な話じゃ。こいつがこのクズどもから賄賂でも貰うとったんじゃ。街の女どもがどうなろうと見て見ぬふりをするよう部下にも命じとった。そういうこっちゃ」
ワシは騎士団長を真っ直ぐに睨みつけた。
その場の空気が凍り付く。
「団長、真か」
「滅相もございません!そのような事実は断じて……!」
「ほうか?こいつらはワシを殴った後、こう言うとったぞ。『騎士団長閣下のお墨付きだ』とな」
そんなことは言っていない。ハッタリだ。
だが、ゴロツキどもはワシの気迫に押され、青い顔で俯くだけで何も反論できない。
騎士団長の顔から今度こそ血の気が引いた。
これで罪は白日の下に晒された。こんなゴミを要職から外さん理由はあるまい。
さっさとこいつのクビを刎ねて、組織を立て直さんといかん。
しかし、場にはなんとも言えない沈黙が流れた。
騎士団長は、顔を青くしたり赤くしたりと忙しない。
しばらく続いた沈黙を破ったのは国王だった。
「騎士団長の罪は分かった。だが今は戦時下。魔王軍と対峙するこの状況で、騎士団長を失うのは痛手だ」
国王は隣に座る大臣らしき男に視線を移した。
「法務卿よ、そなたの見解を聞こう」
法務卿は咳払いを一つして立ち上がった。
「はっ。今はまさしく戦時下でございます。王女殿下が傷つけられたことは誠に遺憾なこと」
その言葉とは裏腹に男の目は冷めている。
「しかし、騎士団長を失えば騎士団の指揮系統は乱れましょう。そうなれば、最前線が崩壊する恐れも…」
「……して、どうせよと?」
「このゴロツキどもは極刑に。騎士団長には監督不行き届きとして重い減俸処分。これにて騎士団の士気を保ちつつ、一応の責任も果たせると愚考いたします」
――甘い。
ひどく甘ったるい沙汰だ。
その裁定を聞き、騎士団長はホッと安堵の息を漏らした。
そして恭しく頭を下げて見せた。
「王女殿下。この度は申し訳ございませんでした。部下の不始末、心よりお詫び申し上げます」
謝罪の言葉を口にする。
だが、その目は全く笑っていなかった。
「しかし、これは『戦時下の些細な問題』にございます。国家存亡の危機において、国内の小さな揉め事で騎士団の士気を下げるわけには……」
――舐めとんのか、このクソが。
ワシはギリ、と奥歯を噛みしめた。
この場でこいつを殺すのもありかもしれん。
前世ならこんな舐めた態度を取る餓鬼はその場で半殺しにしていた。
だが、ワシが動くよりも早く状況が勝手に動き出した。
「陛下、よろしいでしょうか」
声を上げたのはさっきの法務卿とは別の、初老の大臣だった。
「暴漢による被害の訴えは我らの元へも再三上がっておりました。しかし、騎士団から『問題なし』と突き返されていたのです。どうも我々貴族の意見すら軽んじられている節が……」
「私のところにも、団長の周囲で妙に羽振りの良い連中が増えたと悪い噂が……」
「都の治安悪化を懸念する声も広がっております。このままでは領地経営にも差し支え……」
次々と声が上がる。
ほう。
ワシの予想以上にこいつは嫌われとるらしい。
連中はワシを盾にして、溜まっていた不満を吐き出し始めたか。
職権を乱用し、他の貴族の利権にまで手を突っ込んでいたのかもしれん。
ワシは一歩前に出た。
「おい、団長」
「……なんでしょうか」
「これが些細な問題か?」
ワシは血の滲む口でニヤリと笑ってやった。
「足元が腐っとる組織が外敵に勝てるわけがなかろうが!民を守れん騎士団が国を守れるか!」
ワシの言葉がとどめとなった。
「王女殿下の仰る通りだ!」
「そうだ、治安の乱れこそが国の乱れ!」
「団長を罷免しろ!」
食堂は騎士団長を非難する声で埋め尽くされた。
騎士団長は「待て!誤解だ!」と何かを叫んでいるが、もはや誰の耳にも届いていない。
国王はその光景をしばらく黙って見ていたが、やがて静かに立ち上がった。
「……あやつの腐臭にはとうに気づいていた」
静かだが、よく通る声だった。
「だが戦は待ってくれぬ。魔王軍の脅威を前に、国内の粛清は後回しにせざるを得ないと目をつむってきた」
国王はワシの姿を真っ直ぐに見つめた。
「それが、間違いであったのかもしれぬな」
そして騎士団長に向き直る。
「――王女までも危険に晒したとなれば話は別だ。もはや、これ以上は許せぬ」
国王は護衛の兵士に命じた。
「騎士団長を解任する!職権乱用の容疑で、事情聴取のために地下牢へ放り込め!」
「はっ!」
「やめろ離せ!陛下お待ちください!私はぁ!」
騎士団長はわめき散らしながら兵士たちに引きずられていった。
ゴロツキどもも、その後に続いて連行されていく。
嵐が過ぎ去った食堂で、貴族たちはわっと拍手喝采した。
何人かがワシの元へすり寄ってきた。
「マフィ王女殿下はなんとご立派な!」
「さすがは陛下のお子。勇敢な姫君だ!」
「これで都の治安も元に戻りましょう!」
その顔はワシへの媚びで歪んでいる。
ワシはこみ上げてくる怒りと吐き気を抑えていた。
こいつらの中には騎士団長の件でうまい蜜を吸っていた奴もいるかもしれん。
そうでなくとも、見て見ぬふりを続けていた連中だ。
それが形勢が変わったとたん、これだ。すぐに手のひらを返し、新しい権力にすり寄る。
こんな状況で本当に魔王軍とやらに勝てるのか?
「……うるさいわ」
「へ?」
「お前らも同罪じゃ!」
ワシは腹の底から声を張り上げた。
食堂が再び静まり返る。
「今、団結して敵軍に立ち向かわないかん時に、なぜあの男の行いを黙って見とったんじゃ!」
「そ、それは……」
誰も答えられない。
ワシは一番近くにいた給仕を呼びつけた。
「おい、そこの」
「は、はい!」
「清酒……いや、ワインでええ。ここにいる全員に配れ。今すぐにじゃ」
給仕たちは慌ててワインを注ぎ始めた。
貴族たちは何が始まるのかと、戸惑った顔でワシを見ている。
やがて全員の手に赤いワインが満たされたグラスが行き渡った。
国王も戸惑いながらグラスを受け取っている。
ワシも給仕からグラスを受け取った。
五歳の体には不釣り合いに大きなグラスだ。
「ええか、よう聞け」
ワシはグラスを掲げた。
「こりゃあ、『兄弟の盃』じゃ」
「……きょうだい?」
「ワシがクズどもをまとめ上げ、仕切る。そしてお前らを何としても守っちゃる」
ワシは一人一人の目を見て言った。
「だがお前らも、ここにいる家族のために、為すべきことを為せ。この盃は、その誓いじゃ」
ワシはニヤリと笑った。
「ここにいる家族のために死ね!その覚悟がないもんは、この盃を受けるな!」
しん、と食卓が静まり返った。
極道の仁義。
連中には意味が分からんだろうが、その場の異様な迫力だけは伝わったはずだ。
誰もがワシの気迫に圧倒され、動けずにいる。
しかし、一人のいかつい顔をした中年の貴族が立ち上がった。
「……面白い」
男はグラスを掲げた。
「どうせ、我が領地は魔王軍の領域と隣接する最前線。敵軍が進軍すれば真っ先に潰される」
男はワシの目を見てニヤリと笑った。
「勇敢な五歳の姫君と『家族』になるのも悪くない。やってやろうじゃないか!」
男はグラスのワインを一気に飲み干した。
それを皮切りに最前線に近い領地を持つ貴族たちが一人また一人と立ち上がり、盃をあけていく。
「俺も乗った!」
「どうせ死ぬなら派手にやろう!」
その熱が食堂全体に伝播していく。
さっきまですり寄ってきた連中とは違う、本物の覚悟を持った男たちの目だ。
国王がその光景を満足げに眺め、そして立ち上がった。
「マフィの言う通りだ」
国王もグラスを高く掲げた。
「今のオズ王国に必要なのは、その覚悟だ。皆、この五歳の娘の覚悟に応えてくれるか?」
国王の言葉に、残っていた貴族たちも全員が立ち上がり、グラスのワインを飲み干した。
ワシはその光景を見届け、満足げに頷いた。
そして、ワシも自分のグラスを掲げ、一気に呷った。
その様子は、国王よりも、よほど国王然としていた。
「……ぷはぁ。悪くない酒じゃ」
ワシがそう呟いた、その時だった。
「あっ!」
それまでワシの行動に圧倒されていた国王が、素っ頓狂な声を上げた。
場の空気に飲まれて、誰もが忘れていた。
ワシがただの五歳児だということを。
しかも、顔を殴られて貧血気味のところに酒を飲んだことを。
ワシの意識はそこでぷっつりと途絶えた。
小さな体が床に倒れ込む。
国王の絶叫と貴族たちの慌てる声が大食堂に響き渡った。
場はさっきとは別の意味で騒然となったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
後日譚。
例の騎士団長は一兵卒として国境の最前線へと送られた。その後の行方は誰も知らない。
そして、空席となった騎士団長の座にはマフィ王女の「守れや」という言葉に最初に応えた若い騎士が異例の大抜擢で就任した。
それ以上に国中を驚愕させたのは、その騎士団にわずか五歳のマフィ王女が「最高顧問」として着任したことだった。
マフィはまず騎士団の改革に乗り出し、王都の治安を飛躍的に向上させた。
だが、彼女がやったことはそれだけではない。
捕縛したゴロツキどもを牢に入れる代わりに、マフィはそいつらを「教育」し始めた。
「おどれら、その有り余る力をどこにぶつけとるんか。もっとマシなことに使えや」と。
そうして騎士団とは別の「自警団」として新たな組織を作り上げたのだ。
驚くべきことに、その自警団の長にはあの路地裏で王女の頬を張り飛ばした男が任命された。男は心を入れ替え、マフィに絶対の忠誠を誓ったという。
捕縛されたゴロツキたちは、なぜか五歳の王女に「教育」されるとドーベルマンのように従順になり、以降は町の治安維持のために命を懸けて尽くすようになる、と王都で話題になった。
かつて乱暴を働いた未亡人たちに土下座して謝罪し、その後の生活の補填に生涯を尽くす者も多く現れた。その中で、新たな愛が芽生えることもあったとか、なかったとか……。
いずれにせよ、五歳の王女によって荒れていた王都は変わっていった。大人も震え上がるその容赦ない「追い込み」から、マフィを「悪魔王女」と陰で呼ぶ者もいた。しかし、弱い者には優しく、その筋を通す生き様から民衆は彼女をこう呼んだ。
――「任侠姫」と。
そして数年後。その波は王都にとどまらなかった。
正規の騎士団とマフィが育て上げた裏の自警団。二つの組織が合わさり、一つの巨大な「マフィ組」――もとい、王女直属軍へと発展していく。
まだ幼いマフィはその最強の軍の長となる。ついには、その鉄の統制が取れた軍が、長年人類を苦しめていた魔王軍を討伐するに至り、マフィは人類の英雄となるのだが……。
それはまた、別のお話である。




