第3章:記憶を買った男
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透は、記憶売買について調べ始めた。
仕事の合間、休憩時間、夜遅くまで。スマートフォンで検索し、図書館で資料を読み漁った。
**記憶の改竄技術。**
それは、違法だった。
記憶売買法では、記憶データの改竄は重罪とされている。しかし、闇市場では横行していた。
高額で売るために、記憶を「美化」する。
悲しい記憶を「感動的」に変える。
平凡な恋愛を「運命の愛」に仕立て上げる。
透は資料を読みながら、背筋が寒くなった。
もし、自分が売った記憶が改竄されていたら?
もし、美月との3年間が、本当は違う形だったら?
透は拳を握った。
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### 2
透は再び、神代蒼に連絡を取った。
今度は直接、神代グループの本社に向かった。
高層ビル。ガラス張りのエントランス。受付で名前を告げると、すぐに通された。
エレベーターで最上階へ。
扉が開くと、そこは社長室だった。
広い部屋。大きな窓。そして、窓際に立つ神代蒼。
「また来たんですね、柊さん」
蒼は振り向いた。
「記憶を返してくださいと、また懇願しに?」
「いえ」
透は首を横に振った。
「俺が売った記憶…それが本物かどうか、確かめたいんです」
蒼は興味深そうに透を見た。
「なるほど。気になりましたか」
「教えてください。俺が売った記憶は、改竄されていましたか?」
蒼は笑った。
「さあ、どうでしょう」
「教えてください!」
透は声を荒げた。
蒼は透を見つめた。
「…座りなさい」
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### 3
2人は向かい合って座った。
蒼はコーヒーを淹れ、透に差し出した。
「柊さん。あなたは記憶売買の仕組みを、どこまで知っていますか?」
「…一般的なことしか」
「では、教えてあげましょう」
蒼はコーヒーを一口飲んだ。
「記憶売買には、3つの段階があります」
「3つ?」
「まず、記憶の抽出。これは合法です。脳スキャンで記憶をデータ化する」
蒼は指を立てた。
「次に、記憶の査定。感情の強さ、鮮明さ、希少性などで価格が決まる」
「それも、合法ですか?」
「ええ。そして最後が、記憶の販売」
蒼は透を見た。
「ここで、違法行為が起きる」
透は息を呑んだ。
「記憶を売る前に、"調整"する業者がいるんです」
「調整…?」
「記憶を美化し、感動的に仕立て上げる。そうすれば、高く売れる」
蒼は笑った。
「あなたの記憶も、その一つです」
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### 4
透は言葉を失った。
「…俺の記憶は、改竄されていた?」
「ええ」
蒼はあっさりと認めた。
「あなたが売った記憶は、元の記憶を"美化"したものです」
透は拳を握った。
「じゃあ、美月さんとの3年間は…」
「本当は、もっと平凡だったんでしょうね。喧嘩もあった、すれ違いもあった。でも、それらはすべて削除され、"美しい愛"だけが残った」
蒼は透を見つめた。
「それが、私が買った記憶です」
透は頭を抱えた。
「じゃあ、俺が美月さんを愛していたのは…嘘だったんですか?」
「嘘ではありませんよ」
蒼は首を横に振った。
「愛していたのは事実でしょう。ただ、その"形"が違っていた」
透は蒼を見た。
「…本当の記憶は、どこにあるんですか?」
蒼は立ち上がった。
「それは、あなた自身の中にあります」
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### 5
「記憶を売っても、完全には消えません」
蒼は窓の外を見た。
「脳の奥底に、断片が残る。それを"記憶の残滓"と呼びます」
「記憶の残滓…」
「ええ。夢の中で見る光景、デジャヴ、なんとなく感じる違和感…それらはすべて、記憶の残滓です」
蒼は透を見た。
「あなたも、感じているはずです」
透は息を呑んだ。
確かに、美月と会ってから、何度も違和感を覚えていた。
彼女の言葉に、どこか"嘘"があるような気がしていた。
「…どうすれば、本当の記憶を思い出せますか?」
「簡単です」
蒼は微笑んだ。
「記憶の残滓を辿ればいい。あなたが売った記憶と、現実の記憶のズレを探すんです」
「ズレ…?」
「そう。改竄された記憶には、必ず"矛盾"があります。それを見つければ、本当の記憶に辿り着ける」
透は立ち上がった。
「…ありがとうございました」
蒼は透を見送った。
「柊さん。一つ忠告を」
透は振り向いた。
「真実を知ることが、必ずしも幸せとは限りません」
透は何も言わずに、部屋を出た。
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### 6
透は美月に会った。
いつもの公園。いつものベンチ。
でも、今日は違っていた。
透は美月を見つめた。
「美月さん。一つ、聞いてもいいですか?」
「…何?」
「俺たちが付き合っていた3年間。本当に、幸せでしたか?」
美月は目を伏せた。
「…どうして、そんなことを?」
「神代蒼に聞いたんです。俺が売った記憶は、改竄されていたって」
美月の顔が、強張った。
「だから、聞きたいんです。本当の俺たちは、どうだったのか」
美月は黙っていた。
透は続けた。
「俺は、本当にあなたを愛していましたか? それとも…」
「やめて」
美月は顔を上げた。
目に、涙が浮かんでいた。
「それ以上、言わないで」
「美月さん…」
「お願い。もう、掘り返さないで」
美月は立ち上がった。
「私、帰る」
透は美月の腕を掴んだ。
「待ってください。俺は、真実が知りたいんです」
「真実なんて、知らない方がいいのよ!」
美月は叫んだ。
透は手を離した。
美月は涙を拭った。
「…ごめん。でも、これだけは言わせて」
彼女は透を見た。
「あなたが売った記憶は、偽物かもしれない。でも、私の記憶は本物。私はあなたを愛していた。それだけは、嘘じゃない」
美月はそう言って、去っていった。
透は一人、ベンチに座った。
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### 7
その夜、透は夢を見た。
カフェ。
賑やかな店内。
透は窓際の席に座っている。
ノートパソコンを開いて、何かをデザインしている。
「お待たせしました」
声がした。
振り向くと、美月がいた。
エプロン姿。笑顔。コーヒーを運んできた。
「いつもありがとうございます」
美月がそう言った。
透は笑顔で答えた。
「こちらこそ」
美月は少し照れたように笑った。
そして、透の手元を見た。
「素敵なデザインですね」
「ありがとう」
透は画面を見せた。
美月は目を輝かせた。
「わあ…本当に綺麗」
2人は笑い合った。
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そこで、夢が途切れた。
透は目を覚ました。
汗をかいていた。
透は天井を見つめた。
**あれは、記憶だ。**
本当の記憶だ。
改竄されていない、自分の記憶。
透は起き上がった。
そして、ノートに書き留めた。
**カフェでの出会い。美月の笑顔。デザインの仕事。**
透は続けた。
もっと思い出さなければ。
本当の自分を。
本当の美月を。
そして、本当の3年間を。
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### 8
翌日、透は再び神代蒼に会った。
「また来たんですね」
蒼は笑った。
「記憶の残滓、見つけましたか?」
「…はい。少しずつ、思い出しています」
透は蒼を見た。
「でも、もっと知りたい。あなたが持っている俺の記憶…それと、本当の記憶を照らし合わせたいんです」
蒼は興味深そうに透を見た。
「面白い提案ですね」
「協力してください」
「なぜ、私が協力しなければならないんですか?」
透は答えた。
「あなたも、真実が知りたいはずだから」
蒼は黙った。
透は続けた。
「あなたが持っている記憶が偽物なら、それは本当の"愛"じゃない。あなたは、偽物の感情を買ったことになる」
蒼は目を細めた。
「…それは、困りますね」
「だから、協力してください。本当の記憶を、一緒に探しましょう」
蒼はしばらく考えた。
そして、微笑んだ。
「いいでしょう。面白そうだ」
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### 9
蒼は透を、神代グループの研究施設に連れて行った。
地下にある、巨大な施設。
そこには、記憶データを管理する装置が並んでいた。
「ここで、あなたの記憶を再生します」
蒼はモニターの前に座った。
「ただし、条件があります」
「条件?」
「あなたも一緒に見る。私があなたの記憶を見るとき、あなた自身も同時に体験する」
透は頷いた。
「わかりました」
蒼はキーボードを叩いた。
モニターに、データが表示される。
**【記憶データ: 柊透 × 佐々木美月】**
**【期間: 2019年7月〜2022年8月】**
**【売却価格: 800万円】**
**【改竄率: 38%】**
透は息を呑んだ。
「改竄率、38%…」
「ええ。かなり高い数値です」
蒼は透を見た。
「覚悟はいいですか?」
透は頷いた。
「お願いします」
蒼はボタンを押した。
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### 10
映像が流れ始めた。
カフェ。
透は窓際の席に座っている。
美月がコーヒーを運んできた。
「お待たせしました」
透は笑顔で答えた。
「ありがとう」
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ここまでは、夢で見たものと同じだった。
でも、次の瞬間。
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美月が去ろうとした時、透は声をかけた。
「あの、すみません」
美月は振り向いた。
「はい?」
「…名前、聞いてもいいですか?」
美月は少しだけ驚いた顔をした。
そして、笑った。
「美月です。佐々木美月」
「美月さん…綺麗な名前ですね」
美月は照れたように笑った。
「ありがとうございます」
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映像はそこで途切れた。
透は息を呑んだ。
「これが、俺の記憶…」
「そうです」
蒼は画面を見つめた。
「美しい出会いですね。運命的で、ロマンチックで」
蒼は透を見た。
「でも、これは"改竄後"の記憶です」
透は目を見開いた。
「じゃあ、本当は…?」
蒼はキーボードを叩いた。
「元のデータを再生します」
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### 11
再び、映像が流れた。
カフェ。
透は窓際の席に座っている。
美月がコーヒーを運んできた。
「お待たせしました」
透は画面を見たまま、ぶっきらぼうに答えた。
「ああ」
美月は少し寂しそうに笑った。
そして、去ろうとした。
透は美月を見もしなかった。
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映像はそこで途切れた。
透は呆然とした。
「…これが、本当の?」
「ええ。あなたは美月さんに、興味を持っていなかった。少なくとも、最初は」
蒼は画面を見た。
「改竄された記憶では"一目惚れ"だった。でも、本当は違った」
透は拳を握った。
「じゃあ、俺たちの出会いは…」
「平凡だったんですよ」
蒼は透を見た。
「でも、それが悪いことですか?」
透は何も言えなかった。
蒼は続けた。
「運命の出会いなんて、存在しない。ただ、人は後から"運命だった"と思い込むだけです」
蒼は立ち上がった。
「さあ、続きを見ましょう。あなたと美月さんの、本当の3年間を」
透は頷いた。
そして、再び画面を見つめた。




