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『君を忘れた僕が、君を愛する理由』  作者: 月城 リョウ


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2/6

第2章:失われた3年間


### 1

透と美月は、週に一度会うようになった。


最初は、ぎこちなかった。


透は美月にどう接すればいいのかわからず、美月は透の「空白」を埋めようと必死だった。


でも、次第に2人の間に、何かが生まれ始めていた。


それは「記憶」ではなく、「今」の関係だった。


---


日曜日の昼下がり、2人は小さなカフェにいた。


美月はラテを飲みながら、透に話しかけた。


「ねえ、透くん。昔、私たちがよく行ってた場所があるの」


「…どこですか?」


「海。車で1時間くらいのところ」


美月は少しだけ遠くを見た。


「あなたは海が好きだった。波の音を聞いてると、落ち着くって言ってた」


透はコーヒーを一口飲んだ。


「…今も、そうなんでしょうか」


「わからない。でも、行ってみる?」


透は頷いた。


「はい」


---


### 2


2人は電車に乗り、海へ向かった。


車窓から見える景色は、透にとって初めて見るものばかりだった。少なくとも、そう感じた。


美月は窓の外を眺めながら、静かに話し始めた。


「透くんと初めて会ったのは、大学のサークルだったの」


「サークル…」


「映画研究会。透くんはグラフィックデザインの勉強をしてて、私は脚本を書いてた」


透は美月の横顔を見た。


「俺、デザイナーだったんですね」


「うん。すごく才能があったのよ。でも…」


美月は言葉を切った。


「お母さんが倒れて、仕事を辞めざるを得なくなった」


透は何も言えなかった。


自分の母親。


その存在すら、記憶にない。


「…母は、どんな人だったんですか?」


美月は少し考えてから、答えた。


「優しい人だった。透くんのこと、すごく大事にしてた」


「そうですか」


透は窓の外を見た。


知らない母親。


知らない自分。


知らない過去。


全てが、他人事のようだった。


---


### 3


海に着いた。


波の音が、耳に心地よく響いた。


透は砂浜に立ち、海を見つめた。


「…なんだか、懐かしい気がします」


美月は透の隣に立った。


「本当?」


「わからないですけど。でも、ここに来たことがあるような…」


透は目を閉じた。


波の音。


潮の香り。


風が頬を撫でる感覚。


その全てが、どこか記憶の底に沈んでいるような気がした。


「透くん」


美月が呼んだ。


透は目を開けた。


美月は、少し寂しそうに笑っていた。


「あなたは昔、ここで私にプロポーズしてくれたの」


透は息を呑んだ。


「…プロポーズ?」


「うん。指輪も、用意してくれてた」


美月は左手の薬指を見た。


「でも、私は断った」


「…なぜ?」


「怖かったから」


美月は海を見た。


「透くんがお母さんの治療費で苦しんでるのを知ってた。結婚なんてしたら、もっと負担が増える。だから、断った」


彼女は拳を握った。


「そしたら、透くんは記憶を売り始めた」


透は黙って、美月の言葉を聞いた。


「最初は少しずつだった。高校時代の思い出とか、大学の記憶とか。でも、それだけじゃ足りなくて…」


美月の声が震えた。


「最後に、私との3年間を売った」


透は、何も言えなかった。


ただ、胸が痛んだ。


---


### 4


2人は砂浜に座った。


沈黙が続いた。


透は、言葉を探していた。


何を言えばいいのか。


どう慰めればいいのか。


でも、何も見つからなかった。


「…俺は、最低ですね」


透が呟いた。


美月は首を横に振った。


「そんなことない」


「でも、俺はあなたを捨てた」


「違う」


美月は透の目を見た。


「あなたは、私を守ろうとしたの。借金を返して、私に迷惑をかけないようにって」


「それでも…」


「透くん」


美月は透の手を握った。


「私、あなたを恨んでない。むしろ、ありがとうって思ってる」


透は美月の手を見た。


温かかった。


「…なんで、そんなに優しくできるんですか」


「わからない」


美月は笑った。


「でも、あなたを嫌いになれないの」


透は、美月の手を握り返した。


初めて、誰かに触れたいと思った。


初めて、誰かを守りたいと思った。


記憶がなくても。


過去を知らなくても。


今、この瞬間の自分が、彼女を愛おしいと思った。


---


### 5


その日の夜、透はアパートに戻った。


ベッドに横になり、天井を見つめた。


美月との会話が、頭の中でリピートされる。


**プロポーズ。**


**指輪。**


**断られた過去。**


透は、それを思い出せない。


でも、胸の奥に、何かが残っていた。


それは「痛み」だった。


記憶はなくても、感情の痕跡が残っているような気がした。


透はスマートフォンを取り出した。


検索バーに「記憶売買 買い手」と入力した。


いくつかの記事が出てきた。


透はその中の一つを開いた。


---


**『記憶を買う人々―感情を求める富裕層たち』**


記事には、記憶を買う人々の実態が書かれていた。


感情を失った富裕層。


体験を求める若者。


犯罪の記憶を買うコレクター。


そして、記事の最後に一枚の写真があった。


**神代(かみしろ) (りつ)**


大企業「神代グループ」の御曹司。


記憶コレクターとして有名。


透は、その顔を見た瞬間、何かが引っかかった。


この男を、どこかで見たことがある。


いや、違う。


この男が、自分の記憶を持っている。


---


### 6


翌日、透は美月に連絡した。


「神代律という人を、知っていますか?」


美月は少しだけ沈黙した。


「…知ってる」


「俺の記憶を買ったのは、彼ですか?」


「そう」


美月の声は、どこか硬かった。


「彼は、あなたの記憶を800万円で買った。そして今、その記憶を"生きている"」


透は息を呑んだ。


「…会いたいんです」


「透くん」


美月は言った。


「やめた方がいい」


「なぜ?」


「彼は…危険な人だから」


「それでも」


透は強く言った。


「俺は、自分が何を売ったのか知りたい」


美月は長い沈黙の後、言った。


「…わかった。紹介する」


---


### 7


数日後、透は神代律と会った。


場所は、高級ホテルのラウンジ。


神代は、スーツを着た30代の男だった。


整った顔立ち。冷たい目。


でも、どこか「空虚」な雰囲気があった。


「初めまして、柊透さん」


神代は微笑んだ。


「いや、初めましてではないか。僕は君のことをよく知っている」


透は椅子に座った。


「…俺の記憶を買ったのは、あなたですか?」


「その通り」


神代は優雅に紅茶を飲んだ。


「君の記憶は素晴らしかった。特に、美月さんとの3年間はね」


透は拳を握った。


「…どんな記憶だったんですか?」


神代は目を細めた。


「知りたい?」


「はい」


「面白い」


神代は笑った。


「じゃあ、話してあげよう。君が失った、3年間の愛を」


---


### 8


神代は、透の記憶を語り始めた。


---


**2019年4月。**


君と美月は、大学のサークルで出会った。


最初は友人だった。


でも、ある日、君は彼女に恋をした。


彼女が書いた脚本を読んで、涙を流したんだ。


「こんなに美しい言葉を書ける人がいるんだ」って。


君は勇気を出して、彼女に告白した。


彼女は笑って、こう言った。


「私も、あなたが好きだった」


---


**2020年。**


君たちは同棲を始めた。


狭いアパートだったけど、幸せだった。


君はデザインの仕事をして、彼女は脚本を書いた。


2人で夢を追いかけた。


---


**2021年。**


君の母親が倒れた。


癌だった。


治療費は高額で、君は仕事を辞めざるを得なくなった。


美月は君を支えた。


「一緒に乗り越えよう」って。


---


**2022年7月14日。**


君は海で、美月にプロポーズした。


指輪を差し出して、言った。


「君と一生、一緒にいたい」


でも、美月は断った。


「私がいたら、あなたの負担になる」って。


君は泣いた。


そして、数日後。


君は記憶を売り始めた。


---


神代は語り終えた。


透は、涙を流していた。


自分でも、なぜ泣いているのかわからなかった。


記憶はない。


でも、心が痛んだ。


「…素晴らしい記憶だろう?」


神代は言った。


「僕は君の記憶を買って、初めて"愛"を知った」


透は神代を見た。


「…あなたは、愛を知らなかったんですか?」


「ああ」


神代は冷たく笑った。


「僕は生まれた時から、全てを持っていた。金も、地位も、名声も。でも、愛だけはなかった」


彼は透の目を見た。


「君の記憶を買って、僕は初めて"人間"になれた気がした」


透は何も言えなかった。


ただ、胸の奥が、ひどく苦しかった。

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