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4-2 画角外の世界

「お嬢様ぁ、お待たせしましたぁ」

 そう言いながらひょっこり、その顔を洗面所へ覗かせたのどかさんと鏡越しに視線が交わる。あらぁ、と小さく呟いて

「今日は髪を、一つに纏めていらっしゃるのですねぇ」

 そう続けたのどかさんにあ、うんと私は平静を装いながら頷く。

「お昼から暖かくなるって、昨日の天気予報で言っていたから」

 お似合いですぅ、と向けられた微笑みに私はほっと胸を撫で下ろし玄関へと向かった。そこに並ぶのは、二足の靴。黒のシンプルなパンプスと、白色のスニーカー。おそらく、スニーカーが雪代華のもの、だろう。どくん、どくんと心臓を大きく鳴らしながら靴を履く。のどかさんは私のすぐ後ろに立っており、その表情を伺うのは難しい。両足の靴を履き終え、勢いよく立ち上がった。ドアノブへと手を掛けて、そのまま扉を開く。その瞬間、ぱっと明るくなる視界。雲一つない、晴天だ。ガチャン、とそう鍵を掛ける音が背後から響いた。

「それではぁ、向かいましょう」

 そう言って歩き出すのどかさん。私は、うん、と頷いてその背中へと続いた。


 一歩、一歩。歩みを進めるその度に、心音が大きくなっていく。家を出た直後の景色と、スーパーへ向かう道中の景色。ゲーム上では一枚ずつその風景が描かれていたけれど、直接目にする街並みは、その何倍もの情報量が溢れていた。確かな奥行きを、感じる。画面上では見切れていた屋根の色や知らない小道、描かれていた風景の背後で鳴っていたバイクの音。当たり前のことではあるのだけれど、画面を通じて見ていた景色とは違い、この世界はとても

「立体的だ」

 ぽつりと零したそんな感想に、その背中がぴくりと反応を示した。

「何かおっしゃいましたかぁ?」

 小さく振り返るその顔に、気にしないでとそう返す。そうですかぁ?と呟いて再び前を向くのどかさん。揺れるそのメイド服に目を向けながら、私は先ほど埋めたノートの記述を脳裏に思い浮かべた。

 立花のどか、二十七歳。主人公、雪代華の家に住み込みで働く家政婦。雪代華が小学一年生の頃からこの家に勤めており、華のことを家族同然に思っている。少し歳の離れた姉のように、そして時には、昔から家を空けることの多かった華の両親に代わりまるで実の母のように、華の人生に寄り添い続けてきた彼女。そんな彼女のことを雪代華自身も心から慕っており、華にとってのどかさんは一番の理解者だ。メイド服にキャラメル色の髪をドーナツヘアで纏めているのが、勤務中の彼女のスタイル。このメイド服は会社から配布されている作業着、というわけでなく百パーセント彼女の趣味によるものだ。日によって異なるデザインのメイド服をその身に纏っている。間延びした喋り方をする、おっとりとした性格。そして、極度の甘党。

 ぎゅっと、汗ばんだ手を握りしめた。のどかさんと、二人での買い物。家で過ごすのとは違い、何か起こった際に部屋へ逃げ込むことも、話を逸らすことも難しい。大丈夫、大丈夫だとそう心の中で繰り返す。彼女のプロフィールはこの通り、頭に入っている。私はしっかりと、雪代華として振る舞える。

「お嬢様ぁ」

 突如、前を向いたまま紡がれたその呼び掛けにな、何?と思わず私の声が上擦った。そんな私を気に留めることなく、のどかさんは言葉を続ける。

「お嬢様はスーパーに、何かご用があるのですかぁ?」

 響いたその問いにこくりと頷いて私は答える。

「ノートを、書い足したくて」

 そう、ノートの購入。これは買い物へと出かけた理由の一つだ。おそらく新学期に向けて準備していたのであろう新品のノート。そのノートの一冊を先ほど私は使い切ってしまった。その補充をするために、スーパーへと赴いている。嘘偽りのない私の返答に、なるほどぉ、とそうのどかさんは声を響かせた。


 『家の近くのスーパー』に関する知識はあるのだけれど、ゲーム上ではワンボタンでその場所へ到着してしまう。そのためそこに辿り着くまでの経路が分からなかったのだが、のどかさんと逸れるようなこともなく、無事目的のスーパーへ到着することが出来た。歩いて約十分の位置にあるという設定のはずだけれど、過度の緊張下にあったせいか随分とここまでで疲弊した。

 あのさ、とスーパーの入り口でそうのどかさんに声を掛ける。えっと、と一度深呼吸をして道すがら準備していたその台詞を頭に思い浮かべた。

「雑貨売り場は二階だから、私はこのまま上へ行くね。ノートを購入次第、合流することにしよう」

 どう?とそう口に出しながら、私は階段を指差す。のどかさんはその提案にこくり、分かりましたぁ、と頷くと

「それではお嬢様、また後ほどぉ」

 そう言って小さくその場で手を振る。

「うん、また後で」

 と私も手を振り返して、そのまま階段に向かった。階段を登るにつれて少しずつ早まっていく足。やった、やった

「やったぁ!」

 二階に登り切ったその瞬間、私は小さくガッツポーズをきめた。ここに辿り着くまでのその道中、ずっと考えていた。たった一人で二階へと向かうことが出来るそのシチュエーションを。ゲームを通じて雑貨が二階で販売されていることは知っていた。だけれど今の私には、二階のどこに雑貨売り場が位置するのかは分からない。幼い頃から幾度も訪れたことのある場所で、今更目的の売り場に辿り着くことができないなんてことは本来、起こり得ないのだ。売り場が分からず右往左往するその様子をのどかさんに見せるわけにはいかない。だから、私はどうしても一人でこの階に来たかった。

 不自然に時間が掛かるのも、怪しまれる要因となる。素早くフロアマップを見つけて、雑貨売り場の位置を確認。決して広いとは言えない売り場にて、先ほど埋めたそのノートと同じデザインのものを探した。ノートを二冊手に取ってレジへと向かう。これは必要経費なの、とそう心で念じながら、拝借した雪代華の財布から、百円玉を二枚と十円玉を四枚取り出した。会計を終えて、再び階段を使用し一階へと戻る。のどかさんは野菜売り場へと到着したばかりだったようで、そこからは一緒に食品売り場を見て回った。


「それではお家へと戻りましょうかぁ」

 買い物袋をそれぞれ一袋ずつ手に持って私たちは帰路へと着いた。行きと同じようにのどかさんの後ろを歩く。スーパーへの道を忘れないよう、辺りを見渡しながら歩いているとふと、私はあることに気が付いた。なんだかやけに、視線が、多い。ちら、ちらり。一瞬向けてはすぐ逸らされる、その数多の視線。いつから、見られているのだろう。何故、私たちを見ているのだろう。気味の悪さに一歩、思わずのどかさんのその背中へと距離を縮めた。そんな私にお嬢様ぁ?と左右のドーナツヘアが小さく揺れる。どうかされましたかぁ?と傾げられる首。振り返ったその背中に、あぁ、そうかと私は、頷いた。

「なんだか随分と、見られているなと思ったんだけど」

 それも、そのはずだ。こんな住宅街にメイド服姿の女性が歩いているのだから。物珍しさに視線を集めているのも、決しておかしな話ではない。私の言葉にのどかさんも、今更何をと言わんばかりの表情を浮かべている。そうですねぇ、とそう声に出して歩みを再開するのどかさん。

「お嬢様は美人さんですからぁ」

 ここ最近は益々、一層、なんて。平然とした様子で紡がれたその言葉に

「え?」

 と思わず、そう私は疑問符を零した。

「わた、し?」

 この視線は私に、雪代華に向けられたもの?

「はい」

「の、のどかに、ではなくて?」

 だってその、メイド服、と呟く私にのどかさんはふふ、と笑い声を響かせて言う。

「お嬢様ぁ、わたしはこの地に住んでもう十年になりますぅ」

 その間ずぅっとこの姿で、お買い物やご近所さんとのお付き合いを行ってきたのですよぉ、と続くそんな言葉。

「この視線の中には幾つか、わたしのことを物珍しく思い向けられたものもあるかもしれませんが、それはほんの僅かですぅ」

 ご近所さんからすれば、メイド服のわたしなんて見慣れたものですよぉ、とのどかさんはそう言う。彼女のその言葉に改めて、ゆっくりと辺りを見渡す。通りすがりのサラリーマン、自転車で横を走り抜けていく高校生、停留所でバスを待っている夫婦、犬を散歩させている親子。すれ違う人の多くが、雪代華を見る。手の中の携帯電話から、文庫本から、顔を上げて

雪代華を見る。注がれる、注がれ続ける、視線の数々。この風景が、雪代華が生きてきた世界。その注目を一身に受けて

「…そっか」

 そうなのね、と私は小さくそう呟いた。

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