時をさかのぼり1
「クソが……俺の時代が来たはずだったのに……これからは俺が世界の頂点になるはずだったのに……」
モンスターが咆哮する。
「フライホエール……」
直訳すると空飛ぶクジラであるが、そんなに優しいものじゃない。
遠目から見たらほんの少しだけクジラにも見えるような巨大な生物が空に浮かんでいた。
決戦のためにフライホエールを広い無人島に誘き寄せることには成功したものの、圧倒的な力の差に無人島は何もない平地に姿を変え、集まっていた覚醒者の多くはもはや死体すら消し飛ばされてしまった。
「俺はあいつから全部奪った! なのにお前はどうして契約スキルを俺を使わせないんだ!」
王親叶斗は隣にいるフェンリルを睨みつけた。
闇夜を写したような漆黒の毛皮は薄汚れていて、ところどころ血で濡れていた。
「いまだに俺をお前の主人と認めないつもりか! いつまであのクズのことを忘れないつもりだ! お前は伝説級の力を秘めているはずなのにどうしてその力を発揮できない!」
クズという言葉にフェンリルは非難するような目をカナトに向ける。
「クソ……」
フライホエールが再び咆哮する。
強い魔力にカナトが耳鳴りを感じて顔を上げるとフライホエールの周りに巨大な魔力の玉が浮かんでいた。
目で見て分かるほどに中では圧縮された魔力が渦巻いている。
「全部を俺のものにした……なのに……こんなところで終わるのか……」
魔力の玉が無人島に落ちた。
ーーーーー
「報告します!」
「どうなった!」
人類軍日本支部では作戦の結果を今かと待ち侘びていた。
人々の希望をかけたフライホエール討伐作戦は必ず成功しなければならないものであった。
その作戦結果が今、司令部に伝えられようとしていた。
人類軍日本支部の支部長、深澤三成は椅子から立ち上がって報告の先を待つ。
「作戦は失敗! 島は消し飛んで、生存者は契約モンスターを含めてゼロです……」
「……なんだと」
ミツナリは衝撃の報告に失意の表情を浮かべてゆっくりと椅子に腰を下ろした。
そのまま頭を抱えて大きなため息をついた。
「終わりだ……人類は敗北した」
「しかし覚醒者はまだ……」
「もうモンスターがいない。一定以上のモンスターにダメージを与えるためにはこちらもモンスターの力を使わねばならない……フライホエール討伐作戦では動員できるだけのモンスターを全て動員した。我々はフライホエールを倒す手段を失ったのだ」
ミツナリは机の中からタバコを取り出した。
禁煙して長いが今ばかりは吸わずにいられなかったのである。
「人類が気づくのが遅すぎた。どれだけ優秀な覚醒者であってもS級以上のモンスターにダメージを与えるためにはモンスターと契約する必要があるなど誰が思う?」
「今育成しているモンスターも……」
「フライホエールが待ってくれると思うか? それに動員したモンスターたちを超えるほどの戦力など整えられはしない。終わったんだ。人類は滅ぶしかなくなった」
「報告します!」
慌てたように司令部に隊員が入ってきた。
「アメリカの本部がブラックドラゴンによって壊滅しました!」
「そうか」
ミツナリは冷静に報告を聞いていた。
すでにブラックドラゴン討伐作戦は失敗したと報告は受けていた。
人類軍の本部があるアメリカが壊滅するのも時間の問題だろうと分かりきっていたので驚くことはない。
「報告します!」
また別の隊員が入ってきた。
「フライホエールが日本に向けて進路を取っています!」
ーーーーー
「おいで、ノア」
王親絆九が腕を伸ばすとノアと名付けられた一羽のフクロウが腕に止まった。
なんのカバーもしていない腕だけど、ノアは爪を立てることもなく優しく止まっていてキズクはノアの頭を指先で撫でる。
ノアは気持ちよさそうに目を閉じて撫でられていて可愛いなと思わず笑顔になってしまう。
「ここにいたのか、キズク」
「ああ、左門さん」
キズクがいるのは人類軍が保護している日本最後のシェルターにあるモンスター育成地区にいた。
荒廃した世界の中で希少な自然が残っている土地で、キズクはそこで人類の希望となるモンスターを育てていた。
古びたビルをモンスターを監視するための監視塔なんて呼んでいて、キズクはその屋上でノアと戯れていたのである。
屋上にやってきたサモンという老人に声をかけられてキズクはノアを肩に移す。
「もうすぐモンスターのエサやりの時間だ。ワシが呼んでも集まらんが、お前さんが声をかければすぐにあいつらも寄ってくるだろう。ワシが呼ぶのとお前さんが呼ぶの何が違うのか」
「ふふ、サモンさんが怖い顔してるからですよ」
「この顔は生まれつきだ」
サモンは常に少し怒ったような顔をしている。
怒っていないことは今となってはキズクにも分かっているけれど、最初は怒ってるのではと何かとビクビクしたものだ。
今更顔は変えられないとサモンはため息をつく。
「エサやりやっときますんでサモンさんは休んでてください」
「そうかい? なら任せたよ。ワシは朝メシの準備をする」
サモンはフリフリと手を振って屋上を去っていく。
「……なあ、ノア。俺がやってることは正しいのかな?」
キズクは遠くを見つめる。
そこには高い壁があった。
モンスターの侵入を防ぐために外界と内側を遮断する高い壁はシェルター地域をぐるりと囲んでいる。
壁の内側は平穏だ。
だがその平穏は仮初のものに過ぎない。
「モンスターを育てて、その先にやることはあいつらをただ死地に送り出すだけなんだ……」
育てたモンスターは覚醒者と契約する。
そして契約した覚醒者と共に戦うことになるのだけど、壁の外はもはや地獄と言っていい状況となっている。
なんの経験もないモンスターを送り出したところで、長く生き延びられる環境じゃない。
モンスターを死ぬために育てているのではない。
だがモンスターを育てねば人類の希望が潰えてしまう。
キズクは己の中の葛藤にギュッと拳を握った。
「俺は……ノア? ……ありがとう」
独り言を呟くキズクの頬にノアが頭を擦り付けた。
まるで慰めてくれるようでフッと表情が和らぐ。
「さて、エサをやりに行かないとな。あいつらがお腹空かせてしまう」
なんにしてもエサやりを忘れれば、モンスターたちが不満を覚えてしまう。
「サモンさんが本当に怒る前に……うっ!」
急に頭が割れそうな痛みを感じてキズクは膝をついた。
地面に降りたノアが不安げにキズクのことを見上げる。
「なんだ……? 涙? 悲しい……後悔……なんだこの感情は?」
キズクの両目から涙が流れ始めた。
理由も分からず困惑していると、胸に自分のものではない感情が広がり始めた。
『ごめんなさい、キズク……』
キズクの頭の中で声が響き渡る。
誰の声なのかは分からないけれど凄く懐かさしさを感じる。
「…………この記憶は………………俺?」
次にキズクのものではない記憶が頭の中に溢れてくる。
ただ溢れる記憶の中にはキズクの顔があった。
低い視点からやや見上げるようにキズクを見ている。
キズクの顔もなんだか幼いものから若いものまであって、途中からキズクは出てこなくなり、記憶はなんだか薄暗くてよく見えなくなった。
それでも時々見える記憶と、また繰り返されるようにキズクとの記憶が浮かんでは消える。
「……リッカ?」
その記憶がなんのものなのか、キズクは気づいた。
「そんな……全部…………俺のためだったっていうのか?」
キズクの頭の中にはとあるモンスターの姿が浮かんでいた。
「俺はてっきり……お前に裏切られたと思ってたのに……」
溢れる記憶から知らなかった事実を知る。
あまりの出来事に流れている涙が流れ込んでくる感情のものなのか、自分のものなのかすら分からなくなりつつあった。
「モンスターが接近しています。地下に避難してください」
サイレンが鳴り響いた。
無機質な声で避難勧告も流れる。