表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/14

第4話:ケイタの決断(後編)


ケイタは、夜の静寂の中で封筒を握りしめていた。高校生の彼の部屋は狭く、壁にはサッカーのポスターが貼られたまま、埃をかぶっている。「親の心子知らず法」の通知が届いてから、ケイタの心は重く、出口のない迷路を彷徨っていた。期限は2週間。今、残り1週間を切っていた。


母親を殺せば2000万円。妹のミナミも殺せば、4000万円。ケイタの頭には、その数字がこびりついていた。母親は、父親が死んでから女手一つでケイタとミナミを育ててきた。過労で体調を崩しながらも、いつも笑顔で「大丈夫、なんとかなるよ」と言った。ケイタが中学のとき、仏壇の前で母親が泣いているのを見たことがある。父の写真に手を合わせ、「ごめん、もっとしっかりしないとね」と呟いていた。あの姿は、ケイタの誇りだった。


「母さんを殺せば、楽にしてやれるかもしれない。もう十分、頑張ったよな」


ケイタはそんな考えが頭をよぎるたび、胸が締め付けられた。母親は疲れ果てている。過労で倒れても、家族のために働き続ける。そんな母親を、殺す? 冗談じゃない。


そして、ミナミ。学校でいじめられている妹。ケイタには、ミナミがどんな目に遭っているのか、詳しく聞けなかった。彼女はただ黙って、目を逸らすだけだった。ケイタは知っていた。いじめられた子は、突然壊れることがある。自殺する子だっている。ミナミがそんな目に遭うなら。


「今ミナミを殺せば、解放してやれるかもしれない。2000万あれば、俺も母さんも、もっとマシな暮らしができる。」


だが、そんな考えはすぐにケイタの心を切り裂いた。ミナミはケイタの自慢の妹だ。幼い頃、「にいちゃん、大好き」と笑ってくれたミナミを、殺す? そんな選択、ありえない。


「俺はどうなるんだよ。この国、狂ってる」


ケイタは封筒を投げ捨て、頭を抱えた。誰も殺さない。断る。それがケイタの結論だった。母親もミナミも、家族だ。金なんかいらない。どんなに貧しくても、家族でいられればそれでいい。


---


だが、運命はケイタに残酷だった。


期限の1週間前、ミナミが死んだ。国道の橋から川に飛び降りた。警察からの連絡を受けたとき、ケイタは凍りついた。遺書があったという。ミナミの字で、こう書かれていた。


「お兄ちゃん、お母さん、ごめんなさい」


ミナミの死は、ケイタの心を粉々に砕いた。なぜだ。なぜミナミが死ななきゃいけない? いじめの詳細は、結局わからなかった。ミナミは誰にも話さず、一人で抱え込んでいた。ケイタは自分を責めた。もっと話を聞いていれば。もっとそばにいてやれば。


母親は壊れた。ミナミの死を知った日から、ほとんど口をきかなくなった。パートにも行けず、精神科に通うようになった。医者は「重度のうつ」と診断した。このままでは、生活保護に頼るしかないかもしれない。ケイタは頭の片隅にあった推薦での大学進学の夢も諦めた。家族を支えるため、絶対に働かなければならなかった。


---


期限が迫る中、ケイタは決断した。ミナミを失った今、母親まで失うわけにはいかなかった。だが、母親の姿を見るたび、ケイタの心は揺れた。彼女はもう、昔の母親ではなかった。ミナミの死で、心が死んでしまったように見えた。ケイタは、母親が生きていることすら苦しんでいるのではないかと思った。


「この国はどうかしてる。一体、誰が、何が悪いんだよ。ミナミが死ぬ必要なんてなかっただろ」


ケイタは怒りに震えた。だが、その怒りはどこにも向かわなかった。いじめた奴ら? 学校? この法律? それとも、自分自身? 答えは見つからない。


期限最終日の夜、ケイタは台所に立った。包丁を手に、母親の寝室に向かった。最近の母親は毎日睡眠薬を飲んで、ベッドで眠っている。ケイタの目は涙で滲んだ。母親を殺せば、2000万円。新しい生活が手に入る。だが、ミナミまで殺す選択は、絶対にできなかった。ミナミはもういない。それだけで十分だった。


「母さん、ごめん。今まで、ほんと、ありがとう……」


ケイタの声は、ほとんど聞こえないほど小さかった。包丁が、静かに母親の胸に沈んだ。母親は目を開けることなく、静かに息を引き取った。ケイタは泣きながら、母親の手を握った。冷たくなっていく感触が、ケイタの心をさらに切り裂いた。


---


翌日、黒いスーツの男が現れ、ケイタに2000万円の報奨金が振り込まれたカードを渡した。非課税。ケイタは無言で受け取った。男は一言も発せず、去っていった。


ケイタは高校を卒業後、教師の反対を押し切って自衛隊に入った。厳しい訓練の日々だったが、ケイタは歯を食いしばって耐えた。仲間と共に汗を流し、規律の中で自分を鍛えた。数年で頭角を現し、一時期は数百人の部下を持つまでに出世した。だが、心のどこかには、いつもミナミと母親の影があった。


30歳になる頃、ケイタは自衛隊を辞めた。2000万円と自衛隊で稼いだ資金を手に、小さなレストランを開いた。父親がかつて夢見たような、温かい店。客は多くなかったが、常連が「美味しい」と笑ってくれるたび、ケイタは小さく微笑んだ。


「俺はこんな人生でも、頑張って生きていくよ。」


ケイタは空を見上げ、ミナミと母親に語りかけた。レストランのカウンターには、ミナミの遺書を納めた小さな箱が置かれている。ケイタはそれを見るたび、思う。


(ミナミ、母さん。俺、ちゃんと生きてるよ。)


ケイタ(完)

---


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ