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第3話:ケイタの葛藤(前編)


ケイタは、夕暮れの薄暗い部屋で封筒を握りしめていた。17歳の高校生、背が高く、極めて整った顔立ちに、運動神経の良さが加わり、頭は決して良くないが、何をも恐れぬ性格で、学校では人気者だった。だが、今、彼の心は重く沈んでいた。封筒の中には、冷たく光る金属製のカードと、簡潔な文面が書かれた紙が入っていた。


「あなたは『親の心子知らず法』の対象者に選ばれました。この法律により、あなたは親権者である母親および同居する妹を殺害する権利を有します。実行した場合、1人につき2000万円の報奨金が支給されます。実行の有無、結果は一切公表されません。選択はあなたに委ねられています。ただし、決断の期限は2週間以内です。期限を過ぎての殺害は通常の犯罪として扱われます。」


ケイタの手が震えた。2000万円。母親と妹、ミナミを殺せば4000万円。ケイタの家では想像もできない大金だ。だが、そんなこと、考えられるはずがなかった。


---


ケイタの家は、昔ながらの「長屋」と呼ばれる古い借家だった。父親が生きていた頃は、小さくても温かい家だった。だが、ケイタが小学2年生のとき、父親が病気で亡くなり、母親は女手一つでケイタと2歳下の妹、ミナミを育ててきた。家は狭く、トイレは今どき珍しい汲み取り式。ケイタは友人を家に呼ぶのが少し恥ずかしかったが、彼の明るい性格と抜群のルックスのおかげで、友人たちはそんなことを気にする様子もなく、夜遅くまでゲームをして騒いだり、釣りに出かけたり、昼間は外でサッカーをしたりしていた。


「ケイタ、静かにしなさいよ!」母親の声が響くたび、ケイタは笑って「ごめん、ごめん!」と返す。母親は厳しいときもあったが、友人が来ることを嫌がることはなかった。友人たちからは「いいお母さんやな」とよく言われた。ケイタは少し照れながらも、心のどこかで母親を誇りに思っていた。


ケイタは高校に入ってから、校則で禁止されているアルバイトをこっそり始めていた。コンビニの夜勤や、週末の建設現場の手伝い。母親がパートで稼ぐお金を少しでも補いたかった。父親がかつて経営していた小さなレストランを、いつか自分で復活させる夢もあった。ケイタは、家族のために、未来のために、頑張るつもりだった。


だが、最近、異変が起こり始めた。


---


最初に気づいたのは、ミナミの様子だった。中学1年生のミナミは、最近、口数が減っていた。ミナミは自分と同じく、やはり遺伝なのか、容姿は整っている。頭も良かった。だが学校から帰ると、自分の小さな部屋に閉じこもり、ケイタや母親ともあまり話さなくなった。ある日、ケイタが冗談半分で「ミナミ、最近暗くね? 彼氏でもできた?」と聞くと、ミナミは目を逸らし、「うるさい」とだけ呟いて部屋に引っ込んだ。


後日、ミナミの担任から電話がかかってきた。ミナミが学校でいじめられている可能性があるという。詳細はわからないが、クラスメイトから無視されたり、持ち物を隠されたりしているらしい。ケイタは胸が締め付けられる思いだった。ミナミは昔から少し内気だったが、優しくて、ケイタの自慢の妹だった。そんなミナミが、なぜ。


さらに不幸は続いた。ケイタのアルバイトが学校にバレ、1週間の謹慎処分を受けた。校則違反は仕方ないが、ケイタは悔しかった。家計を助けるためにやっていたのに。それでも、母親には黙っていた。心配をかけたくなかった。


そして、追い打ちをかけるように、母親が体調を崩した。パート先での過労とストレスが原因らしい。医者からは「しばらく安静に」と言われたが、母親は「私が働かなきゃ、誰があなたたちを養うの」と笑ってごまかした。ケイタはそんな母親を見るたび、胸が痛んだ。


---


そんなとき、黒いスーツの男が家を訪れた。「親の心子知らず法」の通知だった。ケイタは封筒を開け、文面を読んだ瞬間、頭が真っ白になった。母親を殺せば2000万円。ミナミも殺せば、4000万円。そんな金があれば、新しい家を借りて、ミナミをいじめのない学校に転校させられる。母親の治療費だって、十分に払える。だが、そんなことを考える自分に、ケイタは吐き気を覚えた。


(冗談だろ。こんなこと、できるわけない)


夜、ケイタは自分の部屋で封筒を握りつぶしそうになりながら、考え続けた。4000万円。とんでもない金だ。母親一人でも2000万円。十分すぎる金額だ。新しい家、新しい生活。ミナミを、もっと良い環境で育てられる。だが、そのためには、母親を、ミナミを。


ケイタの頭に、父親の笑顔が浮かんだ。レストランで、家族で食卓を囲んだ記憶。母親がミナミを抱きしめながら笑う姿。ミナミがケイタの手を握って「にいちゃん、大好き」と言った幼い頃の声。独学で料理の勉強もしてきた。あらゆる料理を友人たちに振る舞い、美味いとも不味いとも言われた。いくら国家公認といえど、あんまりだろ。すべての葛藤が、ケイタの心を引き裂いた。


---


翌日、ケイタはミナミに話しかけた。リビングで、母親がパートに出かけた後。ミナミは膝を抱えてソファに座っていた。


「ミナミ、学校で何かあった? いじめられてるって、本当?」


ミナミは一瞬、顔を上げたが、すぐに目を逸らした。「別に。ほっといて。」


「ほっとけるかよ。妹がそんな目にあってんのに」


ケイタの声は、少し震えていた。ミナミは黙ったまま、じっと床を見つめていた。ケイタは続ける。


「何かあったら、俺に言えよ。嫌な奴がいるなら、俺がぶっ倒してきてやるよ。とにかく、なんでも、力になるからな」


ミナミは小さく頷いたが、言葉はなかった。ケイタは胸が締め付けられる思いだった。ミナミを守りたい。母親を支えたい。だが、そのために、こんな法律に頼るなんて。


---


その夜、ケイタは台所に立った。引き出しには、使い古された包丁がある。封筒はカバンの中に。期限は2週間。ケイタの頭は、ぐちゃぐちゃだった。母親を殺せば、2000万円。ミナミを守れるかもしれない。だが、母親を失ったら、ミナミはどうなる? 自分はどうなる?


ケイタは包丁を手に取った。刃が、蛍光灯の光を反射する。リビングからは、ミナミがテレビを見ている音が聞こえてくる。母親はまだパートから帰っていない。


(こんなこと、できるわけない。)


ケイタは包丁を置いた。だが、心のどこかで、別の声が囁く。(2000万。4000万。新しい人生が、すぐそこにある)


ケイタの葛藤は、まだ終わらない。


---


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