九話
「待て!」
そこで、声がかけられた。私はそちらに視線を向ける。声をかけたのはブレーズ王子だったわ。彼の鋭い赤い瞳がこちらを射抜く。
「何ですの?もう私はもうお話することはありませんわ。何を言っても信じて下さらないんですもの。」
「待て!……イーヴィー。」
私は、その言葉に金槌で打たれたかのような衝撃を受けた。身体が硬直する。今、彼、イーヴィーって言ったかしら?久しぶりの呼ばれ方に、私は思わず彼の方を見た。
ブレーズ王子は赤い瞳でじっと私を見ていた。ブレーズ王子と私は暫く見つめ合う。
ブレーズ王子は、近くに寄って来ようとした。途端に首を彼に向け、グルル……、と低い声で唸り威嚇するブラック・ドラゴン。目が吊り上がっている。今にも攻撃しそう。私は硬い鱗を撫で、ドラゴンを宥めた。ブレーズ王子の目が何か言いたげだったからよ。
ブラック・ドラゴンは不満気な目をこちらに向ける。目を細めて微笑むと、ギャア、と返事をした。顔はブレーズ王子に向けたまま。何かあったらすぐに攻撃する、と言わんばかりの目だわ。
ドラゴンを刺激しないように、と言う考えもあって、それ以上近付かないで、と言う私に、ブレーズ王子は少し離れたところで止まったわ。
ブレーズ王子は複雑そうに眉を寄せたまま、低い声で言う。
「俺は貴方が本当のことを言い、素直に謝るなら、学園、ましてや国から追放などする気はなかった。」
私は呆れから目を細めた。私は犯人じゃないのに。追放する気がなかった、と言うなら、ちゃんと調べて、こっちの言うことも聞いて欲しかったわ。
私は首を横に振った。
「やってもいないことを認める訳にはいきません。」
ブレーズ王子は眉を下げ、目を細めた。心なしか悲しそうに見える。疑われて悲しい、を通り越して寧ろ面倒なのはこっちよ。
ブレーズ王子と目が合う中で、ふと昔のことが頭に湧いて来た。昔、彼と遊んでいた光景が浮かぶ。お互い恋愛感情はなかったけれど、昔は友人として話したり遊んだりしてたのよね。
そこで、私の頭の中に電球が浮かんだ。脳内でパズルのピースが埋まって行く。
私は、ゲームでイーヴィーが断罪し追放されるシーンを思い出す。
「私は貴方をお慕いしております。」
「悪いが、私は貴女をそのように思ったことはない。」
泣いて縋るイーヴィー、表情が見えないブレーズ。
ゲームでも出たブレーズ王子の温情も考えていたと言う発言。国から追放などする気はなかった、と言う先程の言葉。二人が婚約者候補で、幼い頃には私のように遊んでいたと考えられる。
ゲームのイーヴィーが婚約者から外れなかった理由は……イーヴィーが彼のことが好きだったから。
視界が明るくなり、爽快な気分になる。そうか、分かったわ!ゲームでの謎。王子の表情が見えなかった理由と、彼の言葉の意味が!
ブレーズ王子のそのように思ったことはない、と言う言葉は、昔を思い出しての言葉!イーヴィーに好意は抱いていないけれど、昔友人とは思っていた、と言うことだったのね!
ゲーム製作者もあえて顔を描かなかったんでしょうね。情があるから、表情を映さなかった。
本当はブレーズ王子は顔を曇らせていたのかもしれないわ。幾ら怒りがあるとしても、昔の友人を追放することが複雑だった。そう言うことだったのね……。
謎が解けたところで、意識が現実に戻る。じゃあ、今の私達は?
昔は友人だったけれど、今は違う。婚約者候補からは外れた。十歳から疎遠で、確執がある。ブレーズ王子には、私も疑われている。追放すると言われてしまった……。私は眉が下がった。気分が一気に曇る。私は目を閉じた。胸が締め付けられたかのように痛む。
私達も、同じ。もう、昔には、戻れないのよ。
私は、下がった眉のまま、ブレーズ王子を見据えた。先程とは打って変わって強い光の宿った目でこちらを見ている彼に、私は穏やかなトーンで話しかける。昔の、友人だった時の呼び方で彼を呼んだ。
「ブレーズ……、さようなら。」
ブレーズ王子の赤い目が限界まで見開き、身体が硬直する。その表情は、まだ小さかった子供の彼を思い出させた。
私は行って下さい、と声をかけ、ブラック・ドラゴンの背中に軽く叩く。ドラゴンが待ってましたとばかりに黒い羽根を広げる。昔の友人だった人を取り残し、私達は地面から飛び立った。
◆◆◆
私はブラック・ドラゴンの黒い背中から、地面を見下ろす。
ブレーズ王子は固まっていたけれど、王子!とティフィーや周りが声をかけて、我に返ったようにこちらを見ていたわ。眉間には皺が寄っている。教師達が声をかけて来る。
「ミーハナブルさん!降りて来て下さい!」
「ミーハナブル!降りるんだ!」
ブレーズ王子、ティフィー達も同じように声をかけて来た。
「ミーハナブル!降りろ!」
「ミーハナブル嬢、降りて来て下さい!」
更に、友人達の声。
「イーヴィー!降りて!大丈夫よ!追放になんてならないわ!」
「イーヴィー!うちの領に来たら良い!」
国外に追放する、と言っているのに、声をかけてくれる友人達に目を細める。
教師やブレーズ王子を始めとする生徒達は杖を向けようとしていた。私を何とか降ろそうとしているのかもしれない。しかし、ドラゴンに当てるか、私に当てるか、危険なので迷っているようだわ。
犯人たちの何人かは男女含めここぞとばかりに杖を向けて私を狙っていたわ。周りに何をしている!?とすぐに止められていたけれど。周りは引いた目で見ていたわ。
黒い靄が胸を覆い尽くす。
私は、今杖を向けていた貴方達、と声をかける。向けられた不満気な目付きに、私は目を細め、見返す。
「文句がおありなんですね。杖も向けて来るなんて……。」
私はブラック・ドラゴンを手で示しながら続ける。
「私かこの子か、どっちが良いですの?」
攻撃されるのは、どっちが良いかしら?犯人達の顔色がさっと青褪めた。
手加減するつもりだったけれど、胸が少し晴れたわ。
不意に、下から青い光球が飛んで来た。これは水属性の魔法だわ!誰かが躊躇無く飛ばして来たのね!?
認識すると同時に身体が横に引っ張られる。黒い背にしがみ付く。風が周りを流れる。暫くして収まった。私は目を瞑り、顔に左手を当てる。うう……、目が回る。今も身体は少し揺れていた。
暫くして顔を上げると、ブラック・ドラゴンがこちらを見ていて、目が合うと小さくギャア、と鳴いた。謝罪と心配が混ざった目だわ。分かってるわ、避ける為に旋回したのよね。私は大丈夫よ、と言う意味を込めてドラゴンの身体を撫でた。ドラゴンは黒目を細める。
下を見ると、主犯のオレンジ色の髪の伯爵令嬢がこちらに茶色の瞳を向けていた。隠すように杖を持っている。まさか、今やったのは、彼女?私は眉を寄せた。
足元が揺れる。上を向くと、ブラック・ドラゴンの口元に赤いエネルギーの光が渦を巻くように収束している。吊り上がった目は、伯爵令嬢だけを見ている。あ、これは間に合わないわ。
小さい炎属性魔法の光球が、伯爵令嬢に向かって放たれた。更に、立て続けに、先程より弱い光球が数発放たれる。幾つかは、一部の犯人達の元に。一つは、ブレーズ王子達攻略対象の元に。私は、止めることを諦め、ドラゴンに掴まっていた。
突然の攻撃に悲鳴が上がる。向けられた人達は杖を振って相殺しようとした。件の伯爵令嬢は、相殺しようとしたけれど、抑えきれずに数メートル吹き飛ばされたわ。起き上がったけれど、身体が揺れている。他の犯人達は、少し飛ばされていた。ブレーズ王子達は、無傷だったわ。少したたらを踏んでいたけれど。
ドラゴンがそれぞれ威力を変えていたみたい。威力は抑えてあったけれど、伯爵令嬢への攻撃が一番ね。まあ仕方ないわね。
唖然とした様子でこちら見上げる周囲。ドラゴンを止められなかった私は、笑顔を作り、あえて大きな声で言った。
「ごめんあそばせ!でも私、悪役令嬢なんですの!」
そして、私は周囲を見回した後、満面の笑みを浮かべた。
「では、そろそろ。私はこのスミニアナ王国を出て行きますわ!皆様、もしかしたら二度と会うことはない方もいるかもしれませんが……、ご機嫌よう!」
私は追放されたからこの国を出て行くのではなく、自分から出て行くのよ!
止めるブレーズ王子達やティフィーを始めとした生徒や教師達、縋る友人達を無視し、私はドラゴンの背中を叩く。同時に杖を降り、水属性魔法、"ウォーター・ミスト"で霧を発生させ、闇属性魔法"ダーク・ミスト"を続けて放つ。私達の姿は完全に周囲からは見えなくなる。
私は今までの鬱憤を含め、高笑いしながら飛び去る。少しだけ胸が晴れた。
ドラゴンに乗って飛び去るって、中々の悪役じゃない?私も悪役令嬢ってことね。
後には私の笑い声のみが残った。
「あはははは!」
……どうせならオーホッホッホッホ、と言った方が良かったかしら。
◇◇◇