scene33 夫々のつらい過去
【園長 橋田弘子】
「どらさんが……保育士?」
「そう、もっとも昔はそんなかっこいい名前じゃなくて『保母』って呼ばれていたけどね。私が働いてた当時はさ、子どもが今と違って沢山いてねぇ……今は保育士が全然足りないって言われているけど…その頃は、今とは全く逆、卒業しても保育園に就職できないぐらい保育士になりたがるが子が沢山いてね……そんな時代だったんだよ。
当時私は、結構大きな保育園の園長を任されていたんだ。私が保育士になりたての頃はさ、先輩保育士は皆厳しくて、分からない事を聞いても『教わるんじゃない見て覚えるんだ』みたいな感じで……とても厳しかったし怖かった。そんな先輩達を見て育った私も、この悪しき指導法……と言ったら駄目なんだけど、しっかり受け継いで育ってしまったのさ。
だから若い先生達からすれば、私は厳しくて怖い存在だったと思う。でも自分のこの厳しさは、子ども達の為、園の為、しいては先生たちの為……そう思っていた。
だから『園長厳しすぎるのでは?』と言う主任の助言にも耳を貸さず、逆に怒鳴り散らして主任を泣かせたりしてさ……私の厳しさに耐えられず一年で辞めていく子も多かったけど、そう思う事で自分を正当化していたのよ。
でもある年、一年目の先生で、辞めたいと辞表を持ってきた子がいたんだ。その子は辞表を出しながら…大粒の涙を流し…私に言ったのさ…
『私は、子どもの頃に担任だった先生にあこがれて保母になったんです、でも園長先生のせいで保母と言う仕事と子どもが大嫌いになりました』……って。
その時……気付いたよ。子どもが大好きで一生懸命勉強して、やっと夢が叶った……若い子の……そんな大切な夢を想いを、私は……私は自分の独りよがりな考えの為に、粉々に砕いて壊してしまっていたんだって。
本当は分かっていたんだよ。でも何か自分に都合のいい言い訳をして、現実から逃げてたんだねきっと」
「どらさん……」
私は俯き話すどらさんを見つめ呟いた。
「そんな事があって私は、保育園を辞め、弁当屋を始めたんだ。結局卑怯にも……逃げたんだよ私は。辞めていった先生達、そして保育士と言う仕事からね。でも、保育士から離れて分かったんだよ、この仕事って本当に報われないって。
子どもが好きだからって一生懸命勉強して、大学入ってやっと手にした保育士資格…『さぁやるぞ』って現場に入ると現実は……行事と書類に追われ、毎日の残業、そして親からのクレームの嵐、そして……私みたいな意地悪な上司からのきつい指導、子どもと関わる前にもう……ヘトヘトさ。
この間まで学生だった若い子が初めて味わう辛い日々の連続……耐え切れず逃げだしたくなるのさ。
でも……でもそこで私達が、いや私がもっと! もっともっと先生達に声を掛けてあげればよかった! もっともっと話を聞いてあげればよかった!
『保母って大変だけど素晴らしい仕事でしょ!』『子どもって可愛いよね!』『何か困った事ない?』『何でも相談してね』『明日も一緒に頑張ろうね!』って……そんな言葉をかけてあげればよかった。そう言ってあげていれば、辞めていったあの子も保母が……子どもが嫌いになった……なんて言わなかったのかもしれない。もう遅かったけどすごく後悔したよ。だから面接の時にきみちゃんの話を聞いて、胸が張り裂けそうだった」
(面接の時に、どらさんが言った言葉……『あんたも』ってこういう事があったからなんだ)
「その時考えたよ。今、弁当屋の私がこの子に何をしてあげられるのかなって……」
そして俯いていたどらさんが顔を上げ、私の目を見て言ってくれた。
「こんな事、私なんかが言える立場じゃないのは分かっている、でも言わせてきみちゃん。私はね、きみちゃんに絶対、保育士に戻ってもらいたいと思っているの。辛い思いをしたのは分かる、思い出したくないのも分かる、だけどそれはもう過去の事……きみちゃんの夢をここで諦めてほしくないの。大切な自分の人生、私のように後悔しないでほしい! 保育士の事、そして……彼……加藤千隼の事も……」
どらさんのこの言葉を聞いて、真咲さんが私の前で『もう過去の事』と歌いながら踊った時の事を思い出した。
(私も強くなりたい、真咲さんみたいに、どらさんみたいに……強くなりたい。千隼の事、諦めないでって、もうどうにもならないんだよ、どらさん。千隼……会いたいのに……すごく会いたいのに。もう……どうにもできない)
意識が遠くなっていく。どらさんの話を聞いてちょっと胸の奥が軽くなって安心したのかなぁ。どらさんが頭を撫でてくれている、暖かい大きな手。
(どらさん、少し……目を閉じてもいいですか? ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ……)
私は、とっくに閉店時間を過ぎているのにそのまま寝入ってしまった。
scene34へ……どらさん……優しい……本当に優しいどらさん……保育士の大先輩




