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scene31 母の想い

【彼の気持ちに応えてあげたい、でも……】


そして熊本に帰る日の朝、真咲さんが空港まで送ってくれる事になっていて、9時にここまで迎えに来てくれる。


朝起きて布団をたたみ、荷物をまとめ薄く化粧をし、着替えて……時計を見ると8時。


(もう少し時間あるなぁ)


そう思っていると……


『コンコン……」


「君子さん……ちょっと……いいかな?」


お母さんが私の居る和室を訪ねて来られた。


「は、はい、どうぞ」


襖の方へ向かい返事をすると、優しく微笑んだお母さんがゆっくり襖を開け部屋へ入ってこられた。そしてすすっと戸を閉めると、私の前へ静々と歩み寄り着座された。私もお母さんと向き合い膝を揃えて座り直した。


「君子さん、昨日は、夜遅くまで2人の相手をしてくれてありがとう、疲れたでしょう?」


「いいえ! 私も保育園の先生に戻れたような気持になりました! さくらちゃん、つばきちゃん、2人ともとっても可愛くて私もすごく楽しかったです!」


そしてとても優しい声で……少し笑みを浮かべながら話し始めた。


「ありがとう……君子さん……」


その言葉を言われた後、少し俯き加減になりお母さんが沈黙された。そして言葉を選ぶように口を開かれた。


「ねぇ……君子さん……千隼、あんな性格だからあなたにご迷惑をかけているんじゃないかと思って……本当にごめんなさい」


「え?! いいえ! 迷惑だなんて、そんな事ありません!」


そう言うと再び暫く黙り込み、俯き加減で話を始められた。


「あの子……本当は、役者なんて全然向いていないの。ある日突然『僕スカウトされた! 役者になる』って聞かされた時にすぐに思ったの……千隼のような優しい子には役者なんて絶対できっこないって。主人は、あんな人だから何も言わなかったけど、私は、もちろん反対した。でも貴子社長がわざわざ一人で、家にまで来てくださって『私に千隼さんの面倒を見させてください』って頭を下げて……そして千隼がどうしてもやるっていうから仕方なく了承した。でも私は……正直、今でも早く辞めてほしいと思っているの。


役者を始めたばかりの頃は、もう顔つきが別人のようになって帰ってきたり、言葉遣いが乱暴になったり……このまま、あの子は……本当の自分を見失ってしまうんじゃないかって……すごく……怖かった」


(お母さんも貴子社長と同じ考え……いやお母さんの方が辛辣だ)


「でもね……最近、あの子の様子が変わってきたの。今まで仕事の話なんて家では、聞いた事がなかったのに……それが近頃は、夕食は家族と一緒に食べるようになったり、今日あった事を笑って話したり嫌いな役者の悪口を面白おかしく話してくれたり……そればかりか、妹達の面倒もよく見てくれるようになって……こんな事今までなかった。私は、あの子が変わったのは君子さんのおかげだと思っているの。君子さん、本当にありがとう」


(お母さんそんなこと言わないで……『私が千隼を変えた』……なんてそんな事……言わないで……)


私は俯いて唇をかんだ……そしてお母さんは、続けた。


「でもね……君子さん、あなたの本当の気持ちを………はっきり……伝えてもいいのよ。その後の事は、私達がしっかりあの子を……支えるから……今のあなたの本当の気持ちを我慢しないで、正直に千隼に伝えてあげて……ね」


お母さんは……私の揺らいでいる心の内が分かっていた。私が彼の気持ちに応えてあげられないと思っている事を……。


「はい……ありがとう……ございます、お母……さん」


涙を流す私。お母さんは、エプロンのポケットからハンカチを取り出し涙をそっと拭ってくれた。

 

「きみちゃん! 真咲さんが来たよっ!」


玄関の方から彼の声が聞こえた。ふと、置き時計を見ると約束した時間の9時、熊本へ帰る時間になっていた。


私は、涙を流した事を悟られない様にもう一度ハンカチで目頭を押さえお母さんの手にそれを返し、深々と頭を下げた。


玄関に行くと彼が、私の荷物を受け取り、車の後部に積み込んでくれた。お母さんと一緒に玄関から出ると、お父さん、さくらちゃんとつばきちゃんが車の横で待っていてくれた。


並んで立つお父さんとお母さんにお礼の挨拶をしているとさくらちゃん、つばきちゃんがしがみついてきて、私の顔を見上げ、少し寂しそうな表情で問いかけてきた。


「お姉ちゃんまた会えるよねっ?! また来てくれるよね?! また来るよねっねっ?!」


私は……そう問いかける2人の顔を見て胸が張り裂けそうになった……でも


「うん! また遊びにくるよっ!」


と……嘘を言ってしまった、いや……言うしかなかった。すると2人の表情が綻び小指を差し出してきた。


「絶対だよ! 絶対ね! じゃぁ指切りしよう! 指切りげんまん嘘ついたら家にくまモン連れてくる! 指切った!」


私は必死に笑顔を作り二人と指切りをした。そして……


「きみちゃん、出発するよっ!」


そしてもう一度頭を下げてから車に乗り込み、動き出した車の窓を開け手を振った。加藤家、みんなで手を振り返してくれて車が見えなくなるまで見送ってくれた。


(お父さん、お母さん、さくらちゃん、つばきちゃん。本当に……有り難うございました……)


そう心の中で呟いた。


空港へ向かう車の中、彼が満面の笑みを浮かべて話しかけてくる。


「ごめんね、騒がしい家で。ゆっくりできなかったね、妹達がはしゃいじゃってさ! すごく楽しかったって、また絶対遊びに連れて来てって強請られたよ!」


「みんな優しくて、いいご家族だね。つばきちゃん、さくらちゃんも可愛くて私もすごく楽しかった」


私はこの会話の時、うまく笑えているかな……と心配した。


そして車は、来た時と同じようにビルの間を走り抜けていく。行き交う沢山の人と車、空は青く雲一つない青空。お互い無言のまま……暫く時が過ぎる。


私にとっては長く、辛く感じた時間だった。彼は、いつものように鼻歌を歌いながら外の景色を眺めている。


そして私は、顔を上げ目線を真っすぐ向けたまま意を決して口を開いた。


「あのね……千隼さん……聞いてほしいの。この前の……話の答え………………私、やっぱり貴方とは付き合えない……。それとね、もうここで……終わりにして……欲しいの」


私はこの言葉を言った後、彼の方へゆっくり目線を移した。その顔の表情は強張り、目を見開いていた。


「な……なんで……どうしてだよ? 急に何言ってるの? 僕が、僕が家に無理やり連れて行ったから? だったら……だったら謝るよ!」


「違う! それは違う!」


そこは強く否定した。納得できない彼は、更に捲し立てて聞いてきた。


「じゃぁどうして! 何故だよ! 嫌なら付き合ってくれなくてもいいんだ! だけど、ここで終わりってなんだよ?!それって、もう僕とは会えないって事?! もう僕は、きみちゃんとは会えないって事?!」


私は小さく頷き、そして大きく息を吸うふりをして『どう説明したら彼を傷つけないか』を考える時間稼ぎをした。


「やっぱり、私と貴方では……違うの。私は、熊本のお弁当屋さんで働く唯の女の子、家と職場を往復するだけの平凡な女の子。あなたが住んでいる煌びやかな世界とは、かけ離れているの。


そんな二人が付き合ったとしてもうまくいかない、いくはずがない……それどころか私は……私は貴方の足手まといになってしまう。そんなの…………私、耐えられない」


私は胸の内にある思いを打ち明けた。でも彼は、私の目を真っすぐ見て声を荒げ言い返してきた。


「関係ない! きみちゃんを好きになった僕にそんなの関係ない! 人を好きになるのは、そんなに難しい事なの? 一緒にいたいって思う事がそんなに難しい事なの? 僕はきみちゃんが好きなんだ! それだけの事なんだ! 住んでいる所とか、足を引っ張るとかそんなのどうでもいい! 周りがなんて言おうと僕には関係ない! 僕はずっときみちゃんといたい! これから先もずっときみちゃんといたいんだ! これから先もずっと僕の傍にいて欲しいんだ! 只っ! 只それだけなんだ!」


彼は……強い口調で訴えた。その言葉に……


「千隼さんは優しい、優しすぎるよ。でも優しくされれば、されるほど……怖くなるの……この優しさはいつか嘘になるんじゃないのかなって、いつか演技になってしまうんじゃないのかなって。私の心は……そんなに……強くない」


そう答えた。しかしそれを聞いた彼は急に真顔になり、静かに淡々と語り始めた。


「きみちゃんが役者としての僕を信用できないというのなら僕は役者を辞める。今日、いや、今辞める……」


そう言いながら自分のスマホを取り出し、どこかに電話を掛け始めた。


「止めて!」


私は、彼に乗りかかりスマホを取り上げた。電話口から微かに誰かの声が聞こえた。


『はい、どうした……』


その微かに聞こえた。その声は確かに貴子社長の声だった。私はすぐに通話を切り彼を諭した。


「馬鹿な事は止めて! 貴方が今辞めてどうなるって言うの!? それにあなたが辞めたらどれだけの人が悲しむと思ってるの! 貴方を……加藤千隼を応援してくれているファンの人達、それにお父さん、お母さん、さくらちゃんとつばきちゃん、貴子社長や真咲さん、事務所の人達、沢山の人があなたに関わっているのよっ!  私なんかの為に…………馬鹿な事は、止めて……」


そう言いながら取り上げたスマホをゆっくりと手渡した。それを無言で受け取ると彼はそのまま、シートに体を落とし目元を腕で隠し肩を震わせていた。


そして私は、空港に着くまでの間、窓から流れる景色を眺めながら気を紛らわし、もう何も考えないようにした。考えたら決心が覆ってしまいそうだったから。


空港に着くと、俯く彼に何も言わず車を降りた。真咲さんが運転席から降りて後ろへ回り荷物を下ろしてくれた。そして笑顔を作り……


「真咲さん、色々ありがとうございました……貴子社長にもよろしくお伝えください……」


真咲さんには沢山……沢山沢山聞いて欲しい事……言いたい事があった……でも……


「お元気で!」


そう言いつつ深くお辞儀をすると『ポタッ……ポタッ』と大粒の涙が地面に落ちた。顔を上げると真咲さんが優しく微笑みながら、胸ポケットからハンカチを取り出し、私の手を取ってそれを握らせてくれて軽く頷いた。


私は笑顔を作り直し再び軽くお辞儀をした後、ターミナルへ向かって歩き出した。それから後ろを振り返る事はなかった。


飛行機の中、窓際の席でよかった。熊本に着くまでの機内でずっと泣いていた。人間関係で思い悩むのはもう沢山と思っていたけれど、それとは違った感情だった。言い方は悪いけど悲しくても少し心地のいい感覚だった。

  

そして熊本に帰ってきた。たった2日間だったけど、いい意味でも悪い意味でもとても長く、長く感じた2日間だった。


空港には、お父さんとお母さんが2人で迎えに来てくれた。私は、今までずっと泣いていた事を悟られないように、遠くから大きく手を振りながら走り寄り、精いっぱいの笑顔で言った。


「お父さん、お母さん……ただいまぁ!」




さようなら、加藤千隼……そして私の恋心

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