scene11 俳優 加藤千隼
幕内に入って始めて数ヶ月が経ち仕事の要領も覚え、常連さんとも他愛のない世間話かできる程になった。
でも、一つだけ困ったことがあった。それは、テレビ、スマホ、パソコン等々、世の中を知り得るツールを何ひとつ使えなくなったあの保育園での出来事以来、私に最近のニュースやドラマ、アイドルの話題を振られても全く分からないしついていけない。そういうときの受け答えに苦労していた。
『私テレビ見ないんです』
そう言って誤魔化したら相手の気を悪くさせてしまいそうなので言えなかった。だから会話の途中に『そーですか!』とか『うそぉぉ!』とか『へぇぇぇ?!』とか『すごぉい!』とか相槌をいれて、勢いで話に乗っかるテクニックを身につけた。
【加藤千隼? ふーん……】
そんなある日、公休明けで出勤すると、村田さんが興奮した様子で私の所に飛んできた。
「きみちゃん! 来るのよ来るのよ! この町にっ! あの加藤千隼が! キャァァ! 会えるかしら憧れの千隼様にっ!」
聞けばこの町にある大学『桜欄大学』のキャンパスを使って、長編映画の撮影が行われるという話だった。因みに『桜欄大学』は、私が卒業した大学だ。その映画の主演俳優が、今人気絶頂の加藤千隼という人らしい。
前述したけど私はテレビとかの類を全く見れないし、元々そういうものにも全く興味がない。
そんな私に興奮冷めやらぬ村田さんが、その加藤千隼なる俳優が写っているスマホの写真を眼前に差し出した。
「ほらほら! この子よ、いい男でしょ! イケメンでしょ!」
写真を見ると、背がすらっと高くて小顔でショートカット、ぱっと見爽やかな青年だった。
「年齢24才! 身長180センチ! 小顔でちょっと童顔! かっこかわいいって言うのかな!?」
(かっこかわいいなんて初めて聞いた)
『24才だなんて私の娘婿にちょうどいい!』 写真を見ながらそう言いつつ、うっとり顔の村田さん。その村田さんに私は、社交辞令で……
「へぇぇ……かっこいい人ですね……」
社交辞令でそう答えを返したけれど村田さんは……
「そうでしょっ! そうでしょっ! きみちゃんも好きになったでしょっ⁉」
逆に何故か益々興奮させてしまった。
(だから私は、そういうのに興味ない
って言ってるのに……)
【ロケ弁65個】
ある日の夕方の事、忙しい時間を乗り切り一段落した頃にお店の電話が鳴った。それに対応したのは、カウンター業務だった内藤さんだった。
「はい、毎度有り難うございます幕内でございます。はい、お弁当のご予約ですか? はい、ありがとうございます承っております。はい、配達もよろしいですよ」
どうやらお弁当の予約注文らしい。
「明日の11時……幕の内弁当を……はい……少々お待ちくださいませ……」
内藤さんは、電話を保留にし受話器を持ったまま、どらさんに問いかけた。
「どらさん……明日の11時までに幕の内弁当65個、どうする、できる?」
それを聞いたどらさんは、厨房の奥から手で大きな丸を作った。そして内藤さんが続けて電話対応する。
「お待たせ致しました、はい大丈夫です、では、ご注文を繰り返させて頂きます、明日の午前11時に幕の内弁当65個、配達先は、桜欄大学ですね。はい、ありがとうございます、失礼いたします」
電話を終えた内藤さんに、村田さんが食って掛かるように話しかけた。
「ちょっと! 桜欄大学と言ったら例の映画の撮影場所じゃない? 私、配達行く! 絶対行く!」
浮かれた村田さんをよそに、冷静な内藤さんがどらさんにもっともな事を聞いた。
「どらさん、明日11時までに幕の内を65個、本当に大丈夫?」
「うん……材料も昨日仕入れたばかりだし、私が今夜のうちに仕込んでおくからなんとかなるよ!」
大丈夫……そう言うどらさんが一瞬だけ、ほんの一瞬だけ不安な表情を浮かべた気がした。そこで私は、ある事を提案した。
「どらさん、夕方の混雑する時間は終わったから、ちょっと早いけどお店を閉めて明日の準備をするのはどうでしょうか? 私も手伝います」
それを聞いた村田さんも……
「おっいいねぇ、どうせ今からの時間お客も少なくなるし、明日の上りの方が大きいからねぇ! ねぇどらさん、そうしようよ!」
「私も手伝います!」
と内藤さんも言ってくれた。
「いいのかい、みんな?」
どらさんが気の毒そうに、私達に問いかけると同時に、村田さんが手を叩きながら皆をけしかけた。
「そうと決まればちゃちゃっとやるよ! きみちゃん、看板入れて暖簾下ろしてブラインドも降ろしとくれよ!」
「はいっ!」
私は言われた通り、すぐに閉店準備に取り掛かった。他の3人は、奥の倉庫から予備の使っていない炊飯器と大きい鍋とフライパン、ガスコンロを引っ張り出し、綺麗に洗って拭きあげた。
それが終わると皆で弁当の具材をどうするかを話し合い、決まったメニューの材料を切り込む作業をした。
そして皆で協力して取り掛かったおかげで、思っていたよりも早く明日の下準備を終わらせる事が出来た。
次の日も朝早くから皆で協力して取り掛かり、65個の幕の内弁当を作り上げ、11時の納品に間に合わせる事が出来た。
納品時間の1時間前、皆で車に弁当を積み出発する準備が整った。配達は、どらさんと村田さんが行く事になっていたが出発する間際になって……
「こんな化粧が落ちたボロボロのすっぴん顔で千隼になんて会えない!」
まるで女の子ような訳の分からない事を言って大騒ぎ! しょうがなく村田さんの代わりに私が行く事になった。
大学を卒業して以来、学校に入った事がなかったので(あたりまえだけど)ちょっと楽しみではあった。
scene12へ……続く、仁科先生元気かなぁ……会いたいなぁ…
つばき春花です、『恋キュー』にお越しいただき有難うございます。宜しければ熊本県人吉球磨が舞台となっております私著『纏物語』にもお越しくださいませ。
次回予告………
「なにやってんだよ………出ていけ……早く…出て行け……早く出ていけよっ!! お前の顔なんか見たくない! 俺の前から消え失せろ!」
怖くて気を失いそうになっていた私は『はっ…』と我に返り、後を振り向き『バンッ!!』と扉を開け放つと部屋を飛び出し、逃げる様に走り出した。
次回……scene12 最悪な出来事




