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サーシャ1


 こちらに来て早半年。元上司のカーソンさんのおかげでおおむね順調に過ごしている。


 あの日、カバン一つ持って列車に乗り、国境まで一昼夜。国境の駅で乗り換え、さらに一昼夜。3日ほどかけて隣国の王都へたどり着いた。まさにたどり着いた、というかんじ。


 3日間の列車の旅はなかなかに過酷だった。

 コツコツ貯めたお金は節約せねばならない。だから三等車に乗った。板張りのかたーい座席にショールを敷いて、知らないおじさんが隣にすわったりして。

せまい座席にぎゅうぎゅう。密着。布越しとはいえはじめて殿方と触れ合ったのが、列車の中の知らないおじさん。

 斬新な体験だった。


 三等車で長距離移動をする人はほぼいなくて、わたしのまわりの座席はお客さんが頻繁に入れ替わる。

 ときには向かいにすわった親子連れからお菓子をもらったり、となりのおばあさんからみかんをもらったり、なんて交流があって。


 3日分の食料は侍女が持たせてくれた。そう、あの証人になってくれた侍女。


 新居には通いのハウスメイドが来てくれることになってはいた。でも慣れるまでは、と母が侍従と侍女を1人ずつ寄越してくれた。


 そのふたりを丸め込んで証人にしたわけだ。あとから怒られたかもしれない。「わたしの命令に逆らえなかった、と言えばいいわよ」とは言っておいたが。


 旅立ちの朝、2人は「どうかお元気で」と涙ながらに見送ってくれた。食料がどっさり入った大きな袋とともに。


 無事に到着したことと、元気で仕事をしていること、それから感謝を兄に伝えてもらった。

 あまりわたしのことを気に病まないといいのだけれど。


 3日で染みついた「がたんごとん」という列車の音や揺れが、その後1週間ほど続いたのには辟易した。


 え? 地震?

 何度そう思ったか。揺れているのは自分だったというオチ。

 もう当分乗りたくない。おしりと背中も痛いし。

 たぶん乗ることもないだろうな。帰る予定はまったくない。


 両親からは月一で手紙が来る。

「悪かった。だから帰ってこい。せめて顔を見せに来てくれ」

 ふん! いまさらだ。


 わたしは今の生活にとっても満足している。趣味からはじめた古代エララ語の研究に没頭できる。思いの外のめり込んでしまい、今では読み書きができるようになった。

 図書館の蔵書では満足できなくなっていたところに、この国への転職を口利きしてもらったのだ。

 もしかしたらカーソンさんは、その辺も踏まえて紹介してくれたのかもしれない。もう足を向けて寝られない。


 なにしろこの街には古代エララ語発祥の、太陽神教の総本山があるのだから。

 太陽神教の大聖堂の付属図書館には、古代エララ語の文献もたくさんある。貴重すぎて閲覧できないものは、なんとコピーなら見てもいいという気前の良さ。

 さすが太陽神。太っ腹。

 文献を読み解くのに没頭していれば、嫌なことなんて吹き飛んでいく。時間も吹き飛ぶが。

 まあ、楽しいってことだ。


 それなのに帰るなんて、時間がもったいない。往復3日もかかるんだから。それに帰ったらまた縁談だのなんだのと言うに決まっている。

 もう考えたくないんですよ、縁談なんて。

 好きな研究に没頭して暮らす。それがしあわせ。それじゃダメですかね。

 いまだに「なんやかんやの事情」がわからないし。ちゃんと説明せぇ。


 兄はお金に困っていないか、病気になっていないか、と心配してくれているけども。だから兄にだけはていねいな返事を返している。


連絡先は教えていない。唯一知っているのはカーソンさんだ。だからカーソンさん経由で送られてくる。

 さんざん世話になったのに、いまだに面倒をかけている出来の悪い元部下です。


 そのカーソンさんからは、賭けの清算が無事に終わったと連絡が来た。

 よかった。

 いちゃもんをつけてくるヤツがいたらどうしようかと思ったけれど、そんなこともなかったようだ。


 それにしても、あの盛り上がりには驚いた。正直、想定外だ。おかげで、そこそこまとまったお金が手に入ったけれど。

 ちょっとイアンには申し訳ないと思ってしまった。イアンがまるっと悪者になっちゃったからね。


 でも、もともとは責任を放棄したイアンが悪い。わたしが手を回さなければ、いまごろわたしたちは夫婦になっていたのよ。

 それってどうなの?

 恋人になんて説明したんだろ。


 わたしだって、イアンと結婚したかったわけじゃない。ちゃんと話し合いに応じてくれれば、結婚を阻止する手立ても講じられたんじゃないのかな。

 何回も話そうとしたのに。

 無視するから。


 そこらへん、じつはわたしは地味に傷ついている。

 話し合いを拒まれたこともだけれど、すべてがうやむやのまま結婚したら、その後もわたしは無視されるっていうことでしょう? 実際わたしが行動しなければ、そんな状況になっていたはず。

 こっちからしたら、そんな扱いをされることが、存在自体否定されるようで実に虚しい。ひどく尊厳を傷つけられた気持ちだったのだ。


 だからこれは仕返し。そう思うことにしよう。それくらいゆるされるよね。


 そんなわけで、おおむね順調。

 ただひとつ、コイツをのぞいて。


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