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7.言わないことにした


 ―――た、大変なことをしてしまった……。


 ウィルフレッドが抱きしめていた腕を放し、台所に向かう姿を見送りながら、クリスタは顔を真っ赤にしてその場に立ち尽くしていた。


 自分の姿をよくよく見なおしてみれば、髪はボサボサ、服はよれよれだ。

 それに、夢を見たからと言って突然泣き出してウィルフレッドに抱き着くだなんて、正気ではなかった。

 ウィルフレッドに、あざとい女だと思われたら……。そもそも、ウィルフレッドは、クリスタが抱きついたことを面倒くさく感じているやもしれない。

 いや、まず抱きつかれたところで何とも思われていないかも。


「―――さいあく……」


 ウィルフレッドのローブからは、かすかにティーオリーブの香りがした。

 さやかで、ほんの少し甘い、秋そのもののような。クリスタが、この世で一番好きな香り。


 少しふしばったウィルフレッドの長い指がクリスタの頬に触れたとき、あまりの安堵に、むしろどうにかなってしまいそうだった。


「おいクリスタ。朝飯できたから、顔洗って来なよ」


 先ほどのしっとりとした空気など微塵も思い起こさせないさっぱりとしたウィルフレッドの態度に、実に勝手だと分かっていながらほんの少しだけイラついてしまう。


 私は―――私はこんなに、ウィルに振り回されているというのに。


 そう思いながら振り返って、ふと、部屋がよい香りで満たされていることを知る。

 この匂いは―――


「ったく。布団はちゃんと掛けて寝たのか? 顔も腕もあんなに冷たくして。体を冷やすと体調崩すぞ」

「う、うん。かけた」

「ならいいけど。さっきストーブつけたから、あたっとけ」

「あ……うん、ありがと」

「ん? なんか気になることでもあんの?」

「や、その、きょうの朝ごはんって……」


 不服そうな顔のウィルフレッドが持っている皿には、これでもかと積まれたふかふかのホットケーキが湯気を立てていた。

 クリスタが遊びに行くと必ずと言っていいほどよく振舞ってくれる、ウィルフレッドの得意料理。クリスタの一番好きな「おひさまの味がする」食べ物だ。


「なんだよ、嬉しくないのか? クリスタのすきなホットケーキだぞ」


 冷蔵庫フリッジを覗いていたウィルフレッドが、一瞬、不安そうにこちらを見る。

 その様子に、これがクリスタを元気づけようと用意されたものなのだと、クリスタは気づく。


「―――……ん、うれしい」

「あっそ。ならいいや」


 そう思うのは、大好物が食べられるからだけじゃない。

 ウィルフレッドがほっとしたように目元を緩めるから、また一つ、クリスタの胸にあたたかいものが灯る。


「い、いただきます」

「はいどーぞ」


 ウィルフレッドのこういうところが、クリスタは好きで仕方がないのだ。


***


 クリスタは迷っていた。


「パンケーキにかけるなら、やっぱり蜂蜜にバターかな……でも、イチゴのジャムも捨てがたいし……あ、アマナツのマーマレードもあるの!?」


 ずらりと並んだ瓶の上で、うろうろと手を彷徨わせる。


「イチゴジャムとマーマレードは手作り。キイチゴと、リンゴと……あ、あと、ブルーベリーのジャムもあるぞ」


 ウィルフレッドが冷蔵庫フリッジから別の瓶も取り出して並べていく。

 テーブルの上では、日に透けたジャムの瓶が色とりどりに煌めいて、この世界のどの宝石箱よりも綺麗だとクリスタは思った。


「選べない! ウィルのバカ! あほ! 天才!」

「激しい矛盾」


 わはは、と笑うウィルフレッドは「ゆっくり選びなよ」と言い残し、台所に戻って湯を沸かし始めた。

 今日は紅茶にするらしく、ウィルフレッドはダージリンの茶葉が入った缶の蓋を開けている。


「ウィル、ウィル」

「なんだよ」

「今日はコーヒーじゃないの?」

「たまには俺の好物にも付き合ってください」

「コーヒーのがおいしいって」

「んだと? 待ってろ。ぜってぇ美味いって言わせてやる」


 ウィルフレッドが気合を入れて紅茶を淹れているのを眺めながら、クリスタは今朝見た夢を思い出していた。

 ウィルフレッドが居なくなる夢。幼い頃から幾度となく見てきた、世界一きらいな夢だ。


 クリスタはたまに、夢の中で未来に起こる出来事を予見することができた。

 最初の予知夢に出てきたのは、ウィルフレッドだった。


 夢の中で、その黒髪翠眼の男の子は何かから颯爽とクリスタを助けた。それは、さながら物語に出てくる王子様のようで、名前も知らないその男の子のことをクリスタは「王子様」と呼ぶことにした。


 その後も予知夢は続いた。

 図体の大きな男の子たちのケンカに割って入って、その子たちと仲良くなる夢。

 子猫が川に落ちたのを助けて、なつかれる夢。

 王太子の婚約者候補に抜擢される夢。


 いずれも、もれなく現実になった。例外はない。

 一度や二度なら偶然と片付けることができても、十回、二十回……百回、千回とそれが重なれば、さすがのクリスタでも、それが予知夢だと分かった。


 予知夢の種類は大小さまざま。頻繁に見るときもあれば、まったく見なくなる時期もある。

 すぐ未来の出来事のときもあれば、何年か経って現実になるときもある。


 見た夢全てが予知夢なわけでは当然なく、支離滅裂な、およそ非現実的な夢を見ることだって普通にある。

 状況や内容が鮮明にわかるわけではなく、ざっくりとしたあらすじみたいな、瞬間的な場面だけが再生されるのである。


 それが当たり前だったクリスタにとって、ウィルフレッドが居なくなる夢は、絶望するのに十分だった。

 幼い頃から繰り返し見てきた夢。

 夢の中での自分たちの年齢に近づいてゆくにつれ、カウントダウンのように鮮明になっていく。


 夢の中の日めくりカレンダーは天秤月じゅうがつの五日。

 二人の薬指には銀色のリング。ウィルフレッドが作り置いて行った野菜スープの匂いですら。


「……リスタ、クリスタ!」

「―――え?」


 気づくと、すぐそばにウィルフレッドの顔があって、クリスタはひそかに息をのんだ。

 なんだこれ。

 少しクリスタが動いたら、キスができてしまう。

 は?


「さっきからぼーっとして、どうした?」


 すぐ近くで、ウィルフレッドの唇が動く。

 ウィルフレッドは、生きて、クリスタの目の前に座っている。

 クリスタのすぐそばで、クリスタのすきな食べ物を、クリスタと一緒に食べている。


「……なんでも、ない」


 あれが予知夢ではないと、思うこともできないではなかった。

 クリスタがこれまで見てきた予知夢からすれば、あの夢は異質な部分が多いのだ。

 繰り返し見ること、鮮明に記憶に残ること、現実になるまでの期間が異様に長いこと。

 ほかの予知夢は、そのどれも当てはまらない。


 けれど、あれは予知夢だ。

 間違いなくそうだと分かる。

 理由とか、理屈とかを探しても意味がない。

 この世界がずっと前から理屈などなくても存在しているように、あの夢が現実になりうることもずっと前から決まっている。


 そのことが、クリスタにはどうしたってわかってしまう。


(……すきだよ。ウィル)


 今まで、予知夢は例外なく現実になった。


 クリスタが告白すれば、ウィルフレッドが受け入れてくれることをクリスタは知っている。

 そう遠くない未来に、クリスタがウィルフレッドと夫婦になっただろうことも。

 ウィルフレッドの気持ちがどうかはわからなくても、その事実だけでクリスタは十分幸せだった。


 そう。

 十分幸せなのだから、これでいいのだ。


(私が好きだと伝えなければ―――ウィルフレッドと結婚しなければ……あの未来は、回避できるのかもしれない)


「私、ウィルが作るホットケーキが世界で一番好き」

「……褒めてもおかわりはないからな。皿にある分、好きなだけ食べていいから」

「え、ほんと!? やったー!!!」




 ―――これで、いいのだ。


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