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6.姉が死んだ日


 フランカが姉からその話を聞いたのは、例の第二王子婚約破棄騒動から二日ほど経ったころだった。

 そのときフランカは、いつもの通りクリスタの部屋に押しかけて、クリスタのベッドで寝ころびながら、クリスタの蔵書を読んでいた。

 そろそろ、あの第二王子からの被害を被らないように根回しでもしようか、なんてのんきに考えていた。

 クリスタもまたいつも通り、机に向かって古語を書き取り、隣国の本を翻訳しながらミッテルハムの歴史を学んでいた。


 そんな、いつも通りの夜に。

 ねえフランカ、と。

 まるで『そこにあるペン取って』くらいのノリで、姉は言ったのだ。


「私、死のうと思ってるの」

「―――は?」


 意味が解らず、最初は聞き間違いだと思った。

 淑女にあるまじき返答を返してしまい、慌てて言葉を探したが、やはりフランカに与えられた選択肢はその一文字しか存在しなかった。


「だからね、王太子妃になるの嫌すぎるから、死のうと思ってるの」

「いや、え、―――は?」


 は?

 もしや勉強のし過ぎでついにぶっ壊れでもしたのではないかと、フランカは本気で心配だった。医者を呼ぼうかと思ったくらいだ。


「やだよ?」

「いいえ、死ぬわ」

「…………や、や、やだ……やだよ。お姉ちゃん、死んじゃ、やだ……」

「安心して。戸籍上よ、戸籍上」


 そう言うと、姉は紙に走らせていたペンを置いてフランカに向き直った。

 どうやら、ほんとのほんとに本気らしい。

 フランカは半信半疑だったが、姉が自分にこんなバカげた嘘をつく理由が見当たらなくて、結局姉の話を聞いた。


「私、十三歳から王太子妃候補やってるじゃない? あれね、条件付きだったの」

「条件……?」

「そう。王太子妃に内定されなければ、候補の女性たちは側妃になるのだけど、国王陛下は『王太子妃に内定したときには、その者の願いをなんでも一つかなえる』と、そうおっしゃった」


 なるほど。


 王は、見極めようとしたのだろう。

 候補である女たちが、まわりを味方に付けられるような望みを持てるかどうか、それにふさわしい努力ができるかどうかを。

 それは、王太子妃―――さらには王妃として民の前に立つために、もっとも必要な素養であるから。

 もちろん、それ以外にも王太子妃教育などの様子も見ていたのだろうが。


 姉は優秀だ。

 それはそれは優秀だった。

 学に明るく、芸に秀で、いつも表情豊かでまじめで謙虚で、人間関係の構築が呆れるほど上手な人だった。


 フランカの小手先の根回しなど足元にも及ばない。そういう意味で、姉は策士であるとも言えよう。

 そんな姉が王太子妃に内定できないわけがない。


「だから私、内定が決まってすぐ、王様に『王太子殿下の御傍を離れたい』と申し上げたの」

「え」

「正直、好きでもない王子の婚約者にほとんど強制的に抜擢されて、いやでいやで仕方がなかった。だから、国王陛下のお言葉を信じて死に物狂いでがんばって、やっとそう申し上げる権利を得たのに……」


 受理されなかったかぁ。


 落胆の表情を垣間見せるクリスタに対して、フランカは「まあ、そうだよな」という気持ちでその話を聞いていた。


「国王陛下は、なんて?」

「『私が許可しても、ユリウスはそなたを逃がさないだろう』と。もしかしたら、国王陛下にはバレてしまっていたのかもしれないわね。私が、王太子妃になりたがっていないこと」


 もし。

 万が一、フランカが国王をやっていたとして、クリスタを手放そうという考えはまず出てこない。

 人材の損失であるだけでなく、国として守るべき一級品の損失であるのだから。


「今、一度うちが第二王子とフランカの縁談を断ったからという理由で、一時的に王太子妃内定が取り消された。陛下がそうしてくださったの。陛下は、今の内になんとか逃げなさいとおっしゃったわ。王太子殿下が遊学から帰って来る前に姿を消しなさいと」


 クリスタがフランカの目をまっすぐに見て言った。


「だからね、フランカ、私を―――死なせてほしいの」



***


 姉の要望に応えるため、フランカは今回の第二王子の婚約の件の収束を利用することにした。


 なんとしてでも王太子から姉を逃がしたいフランカにとって、第二王子の茶番劇おままごとは渡りに船ですらあった。

 まあフランカにとっては多少面倒くさい事案であるが、クリスタを助けたと思えば、第二王子に微々たる(本当に微々たる)感謝をしないこともない。


 動揺して意識を失う、か弱い女の子の演技フリは、普段フランカが最も得意とする役回りだった。


 ここまで来れば、『もうどうしようもない』『成す術なんてない』というアピールを、だれかれ構わず振りまけばいい。

 そこに「フランカを助けたいと思っているクリスタの沈痛な面持ち」を周囲の貴族に見せる場面を作ればこちらのものだ。


 あとは姉が「死んだ」あと、他の貴族が正義の味方の代わりを務めてくれるだろう。

 「クリスタ嬢はフランカ嬢と第二王子の婚姻を渋っていたと聞いた」

 「そりゃそうだ。あんな邪魔者を押し付けるみたいな結婚誰が……」

 「クリスタ嬢の葬儀も整わないうちに婚姻を申し込むなんて……」

 という具合に。


 フランカと第二王子との不本意な婚姻についてだけなら根回し二つくらいで回避できるが、クリスタを王太子妃 (ほぼ確定)の立場から逃がすなら、これほどうってつけの案はなかった。


 フランカはずっと、泣いているだけでよかった。

 クリスタが「死んだ」後のフランカの仕事も、泣いているだけでいい。


 姉以外で唯一フランカの素を知っているハリーには、わけを聞かずにどうか頼むとゴリ押した。

 彼は、お義姉さんのためならと頷いてくれた。


 そうして、姉が『死ぬ』日が来た。


 深夜、姉は王都の屋敷を出る前に一度「預けておくものがある」と言ってフランカの部屋のドアをノックした。

 手渡されたのは、初夏を思わせる鮮やかなみどりのドレスだ。


「これだけ、フランカの部屋のクローゼットに置いておいてほしいの」


 フランカは、はてと首を傾げた。

 その色は、この国の王族が持つ瞳の色と同じなのだ。

 それを見て、フランカはずっと気になっていたことをふと思い出した。


「ねえ、聞いてもいい?」

「うん。なあに?」

「私、お姉ちゃんはてっきり、王太子殿下のことが好きなんだと思ってたな」

「え?」

「ほら、よく言ってたでしょ? 大きくなったら王子様のお嫁さまになるのが夢なんだって」


 そう。それはフランカの幼い頃―――それこそ、フランカが生まれた頃から耳にタコができるほど聞かされた、クリスタの夢だった。


 ―――わたし、大きくなったら王子様のお嫁さまになるのよ。それで、世界一幸せに生きるの


 これがクリスタの口癖だった。


「だから、王太子殿下の婚約者候補に選ばれて、喜んでいるものだとばかり……。ドレスの色も緑色だし……。どうして、逃げ出したいほど嫌になったのか、わからなくて」


 すると姉は少し目を見開いて、それからゆるゆると首を横に振った。


「嫌になったわけじゃないわ。()()()()()()()()()()()()()

「え? でも……」


「―――フランカが言っているそれは……たぶん、王子様違いね」

「はい?」

「王子様は、王太子殿下とは別人です」

「だれ?」

「誰でしょう」


 王子様違い?

 隣国の王子様とかだろうか? たしかに、隣国ファーレンの皇子は青い髪を持つ美男子だと聞くけれども……。


 けれどそれだと、ドレスの色のつじつまが合わない。

 ファーレン以外にも国はある。それらの王族の顔を思い浮かべるが、条件に該当しそうな人物は思い当たらない。


「えーー、わかんないよ。降参」


 フランカが両手を挙げてその意を告げると、クリスタはふわりと笑った。

 そして、小さなころよくしてくれたように、優しくフランカの髪を撫でる。


「んー、これに関しては、私の言い方がちょっとややこしかったかな……。私の言う王子様って言うのはね、社会的階級のことを指してるわけじゃないの。()()()()()()()って言えばいいかな。端的に言えば……」


 そこで姉は声を落とした。

 布団の中でした内緒話をフランカは思い出す。

 いつかの小さな打ち明け話のように、こっそりと姉の唇が囁く。


「―――私のすきな人のこと」



 フランカは思わず笑ってしまった。

 その「好きな人」が一体誰なのか。姉がもしも王太子妃候補でなかったならば、迷う余地もない。一目瞭然の簡単な観察だ。

 王族以外で、緑の瞳で、姉とかかわりのある男の人。そんなの、フランカは一人しか知らない。


「一応聞いてあげるわ。……どんな人なの、その人は?」

「んー、そうね……不愛想で、不器用で、ぶっきらぼうで、でも……」


 姉はそこで一度言葉を切り、言うかどうかを思案しているかのように視線を彷徨わせた。

 けれど結局、照れくさそうに笑ってフランカに教えてくれた。



「―――飛び切り優しい、黒髪の魔法使いよ」



 その会話を最後に、星明りの中、姉は屋敷を出て行った。

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