39.帰ることにした
「いいか。互いの呪いを解きたければ、まず最初の対象者が相手に呪いを移し、次に元の対象者だったものが、呪いを移した相手に自ら『すっごく深い口づけ』をすればいい」
「は……?」
「なんだ、聞こえなかったのか? もう一度言うぞ。呪いを移した相手に、元呪い対象者の方から『すっごく深いく……」
「聞こえた! ちゃんと聞こえたよ! 理解した上で聞き返してる!! てか一度しか言わないって言ったのに二回言ってる……」
しかし、なんてことだろう。二度聞いてもクリスタの脳内には「それでいいのか」という言葉がタップダンスを踊っている。
たしかにクリスタは、ウィルフレッドと数多のキスを交わしたが、クリスタの方から口づけたことはなかったが……
「つまり、私からウィルフレッドに『深い口づけ』をしろと、そういうことなんだね……?」
「ああそうだ。『すっごく深い口づけ』をな」
「すっごく……」
「こう言ってしまうと突然の恋愛脳みたいだが、ちゃんと理由があるんだよ。呪い替えにも、『気持ちの伴った口づけ』が必要だったみたいに、解呪が『すっごく深いキス』であるのにも訳がある」
メルが立ちあがって、「まあ四分の一くらいは私の趣味だが」と言いながら、本棚から一冊の本を取り出した。クリスタの知る向こうの世界の言語で書かれた本だった。
「『魔力耐性と、呪いについて』……?」
「向こうの世界の魔導書だ。最近書かれたものだよ」
最近と聞いて、クリスタは少し戸惑った。だってこれはどう見ても、古語が使われた本だ。
ただし、たしかに装丁は新しい。わざと古語で書いたということだろうか。
「このページだ」
「ええと、―――『呪いというものは、一度かかると耐性が付く、毒に似た性質を持つことがある。また、一度呪いを受け耐性をつけた者の血液の輸血、ないし唾液の摂取で解消されることがある』」
「クリスタは回復魔法をかけてもらったことがあるか?」
「はい」
「『呪い』というのはああいう類のものだ。もとは神々が行使する能力に近く、人間の使う一般魔法とは少しだけ性質が異なる。それらのうち、人に好影響を与えるものを『神聖魔法』、悪影響を与えるものを『呪い』と呼んで区別している」
回復魔法師と魔法使いは全く別物だと、クリスタはウィルフレッドに教えてもらったことがある。回復魔法を使うには、普通の魔法を行使するときとは別の体内回路に魔力を通しているらしい。修練方法も、必要な知識もまるで違う。
ウィルフレッドは、回復魔法を師匠に教わったようだが、回復魔法のような神聖魔法と、一般魔法を使い分けられる人間は少ない。
「回復魔法を受けたならわかるだろうが、あれは行使者の魔力、あるいは生命力を媒体として行使される。それ故に、方法はいくつかあるが、経口―――粘膜での行使が一番効率がいい。次に、それ以外での接触による行使。これは一般的な回復魔法師であれば素人の経口での行使と同程度の効果を発揮できる。もっとも効率が悪いのは手をかざしたり、離れたところからの非接触な行使で、素人だと、経口に比べて百倍ほど効率が落ちる」
そこまで教えてもらえれば、クリスタにも理解できて来た。
「じゃあ、つまり『すっごく深い口づけ』というのは……呪いの耐性の受け渡し……?」
「その通りだ。あ、別にその恋人と寝てもかまわん」
「寝っ……寝っ……!?!?」
「添い寝じゃダメだぞ? 抱いてもらえと言ってい」
「わか、わかりますからぁ!」
クリスタは顔を真っ赤にして俯くほかない。この魔女は容易く口にしてくれるが、その『寝る』行為にもどうせ「クリスタの方から誘う」みたいな自発性が必要に違いない。
そんなクリスタの考えを見透かしたかのように、メルはクリスタの方を見てにやりと笑って言った。
「しょうがないだろ。呪い替えについてもそうだが、『意識』というのは呪いや神聖魔法において重大な項目なんだ。『この人の呪いを解きたい』とか『この人の苦痛を肩代わりしてやりたい』とか、そういう『意識』がな。おまえの呪い替えだって同じだったよ。おまえの恋人がおまえの呪いを受け取る覚悟をして、その後口づけてるから移ってるんだ。ただの軽い気持ちのキスとか、事故チューなんぞで呪いは移らん」
クリスタは、ウィルフレッドがたった一度だけ泣いた、あの日を思い出す。
―――頼むよ。俺のこと、少しは……少しくらいは―――好きになってくれ……
ウィルフレッドがあんな風に言ったのは、『クリスタがウィルフレッドを好き』ならば―――あとはその条件だけが揃えば―――クリスタの呪いを受け取れると知っていたからか。
「あの時計、夢についての呪いの部分は私が苦し紛れに付けた『おまけ』みたいなものだけどな、けっこう辛かったろ? おまえの恋人も、おまえを失う夢を見たんだろうよ。だから、どうやってもその夢が実現しないように、こっちの世界におまえを送ったんだろうな」
「…………」
クリスタは唇をかんだ。ウィルフレッドの振る舞いはすべて、自分が死ぬと知っているからこそのものだったことに、今更思い当って。
でも、とクリスタは考えた。
(でも、ウィルフレッドは、ひとつ勘違いしてる……)
「―――まあ、その恋人の真意がどうであれ……おまえの三日間の死に物狂いの魔力充填のおかげで、向こうに行くための準備ができた。いつでもいいぞ」
「私も、いつでも。『すっごく深い口づけ』、やりきってみせます!!」
「その意気だ」
ウィルフレッドは、クリスタが、自分の居ない世界でも笑って生きていけるものだと思っている。ウィルフレッドがウィルフレッド自身の価値を低く見積りすぎている。自分がどれだけ、クリスタの中に住み着いているかも知らないで。
会いに行ったらすぐに、ウィルフレッドに言わねばならない。
(私だって、あなたを失くしたくないよ、ウィル)
「おい」
トン、とメルの指がクリスタの額をつついた。
顔をあげたクリスタの額に、メルの柔らかい唇が触れる。
その瞬間、猛烈な眠気がクリスタを襲う。
「メ、ル……さん?」
「元気の出る『まじない』だ。『祝福のキス』。私が使える唯一の神聖魔法さ。ま、元気出すために睡眠欲がちょっとばかし高まってしまうがね」
「ど、して……今から行くんじゃ……」
「そう言うと思ったよ。でも、それはおまえがきちんと回復してからだ。一晩ぐっすり眠って、明日の朝、新のうまい朝飯を食って、行くのはそれからだ」
「メルさんのばか……」
悪態をついて力なく睨んだクリスタを、メルは優しいまなざしで見た。クリスタにおだやかな微笑みが向けられる。
その直後、クリスタの意識は深くへと落ちていく。
意識を手放す直前、グリーンシールズの家で眠る夜の、ウィルフレッドの「おやすみ」という囁きが、クリスタには聞こえた気がした。
***
「おはようございます」
次の朝、クリスタは仕事着に着替え、新がこしらえてくれた、ゴハンとミソシルとタマゴヤキの美味しい朝ごはんをにこにこと食べ、そして拗ねた顔で、スキパレット型転移装置が置かれた屋根裏部屋を訪れた。
「ああ、おはよう。よく眠れたみたいでよかったよ」
「…………」
メルがうんと頷いて、大きな地図をずるずると引っ張ってきた。それはクリスタの良く知る向こうの世界―――ツァルラルク大陸の地図だった。
はるか北に、酷寒の雪の地・スノウフィールドがある。そこから少しだけ南に下ると、スノウフィールドの端に、氷雪の軍事国家アルテンブルクが位置しているはずだが、この地図には国名が書かれていないようだ。さらに、地名は古語で書かれている。
メルの持ち物にはそういうものが多い。現代ツァルラルク共通言語のものが少なく、古セントナグラ語で書かれているものばかりだ。
不思議なのは、そのどれも、状態がとてもよいこと。神話の時代から既に千年は経っているはずなのに、最近買ったみたいな新しさなのだ。
「こうやって、地図に指を滑らせると―――ほら。その場所の絵が浮かび上がるんだ。セントナグラの優れものだぞ。それはもう高かったが……」
メルが親指と人差し指で輪っかを作り、そのまましょんぼりとうなだれた。しかしその値段を裏切らず、たしかにこの地図はわかりやすい。
スノウフィールドのそのさらに北は、魔の住処ユーレリオール大陸につながる。
それをクリスタたちから見て上に据え、そこから左下に向かって下ると、精霊の棲む神秘の地・グリーンシールズがある。そこから地図中央に向かって指を滑らせる。目印は平野をぐるりと囲むようにできた谷・ブルーフォークだ。谷が途切れるのは、ヒャルタ砂漠を治める南の商業国家・イステルアミトに面する土地のみ。
このブルーフォークに囲まれた土地が、神聖の息吹の吹き溜まり・シャルムナビリア。ここに位置する国が学芸の都・ミッテルハム王国だ。ここから他国へ移動するには、多少の危険に目をつむって谷を越えるか、イステルアミトを経由する必要がある。
「クリスタ、おまえの恋人がいるだろうと思われるのはどのあたりだ?」
「ここです」
クリスタは、ミッテルハム王国のある地、シャルムナビリアを指さした。ウィルフレッドはグリーンシールズで攻撃を受けたが、いくら王太子でも公爵家に仕える魔法使いを勝手に処分することはできない。
しかしウィルフレッドはあの時点でかなりの深手を負っていた。そこにあの兵の量だ。いくらウィルフレッドでも、逃げ切れるとは思えない。拘留のためにミッテルハム王国に連行されているはずだ。
「ウィルは死んでない……そのはずなんです。精霊の加護があれば、攻撃と飢えでは死なない。シルウァーヌスさんは、そう言ったもの……」
「ほう、おまえ、シルウァーヌスと知り合いか」
「ウィルは、彼の精霊の加護を受けているんです。それでウィルに紹介してもらってから、湖に行くと姿を見せてくれるようになったんです」
―――精霊の加護は、あらゆる攻撃・状態異常を無効化する。ゆえに、外部の攻撃や飢え、毒でウィルフレッドが死ぬことはない。だが、病気、老衰、魔力暴走、自殺、この四つは、この加護では逃れられん。それと、神の御業には精霊の加護は干渉できない。よって、呪いの前ではこの加護は無力だ。
シルウァーヌスがそれを教えてくれたのは、クリスタが五度目に会いに行った日だった。
「そなたには教えておいたほうが良いと思った」と、シルウァーヌスは言った。
ただし、その先が不安だ。王太子が、あれほど腕の立つ魔法使いをただ閉じ込めておくだけにするだろうか。
しかも、『死なない』上に、今のウィルフレッドの立場はおそらく、クリスタを『誘拐』した罪人と言った具合か。
死ねないのであれば、別の方法で罰を与えようとするはずだ。
「シルゥの加護があるなら、見つけるのは容易いな。―――よし、飛ぶぞ。急ごう」
「はい!」
「このスキパレットを覗き込むようにして見るんだ」
動力の充填が終わったスキパレットには水が張ってあった。その水面は、キンと張りつめて動かない。
しかし、クリスタとメルが覗き込んですぐ、それはゆらゆらと揺らめき、クリスタたちの像を歪めていく。
「『世界をつなぐ窓』」
メルが短く古語で詠唱した。その瞬間、揺らめいていた水面は瞬く間に凪ぎ、今度は水面に映るクリスタの周囲がぐにゃりと揺らぐ。
「『手を伸ばすは我が故郷』」
メルがもう一度唱えた。すると、周囲の景色は螺鈿細工のように虹色に煌めき、シャンと響く鈴音と共にその姿を変えた。
「着いたぞ」
目を開いたクリスタの視界にまず最初に映ったのは、崩れかけたまっしろな聖堂と、夕陽を透かして七色に反射する、薔薇窓だった。




