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2.幕間



 クリスタがウィルフレッドという魔法使いのことを知ったのは、クリスタが九つのときだった。


 父親とともに叔父上の領地に足を運んだ日のこと。父と叔父が話している間、クリスタは退屈で仕方がなくて、屋敷をこっそり抜け出し、森へと足を踏み入れた。


 子供の足では、案の定歩き疲れた。


 ふと顔を上げると、知らない植物と細い獣道だけが続いていて、クリスタはそこではじめて自分の冒した危険に気づいた。




『かわいいかわいいお嬢さん、お菓子をあげよう。コチラへおいで』


『おいしい紅茶モあるよ』


『君のお母さんも一緒サ』




 木々のざわめきが、徐々に人の声のように聞こえてくる。


 「西の森には人食い樹木がある」という話を知っていたクリスタは、その声を聞いて腰を抜かしてしまった。




「い、いや! お、おかあさま、は……! もう居ないもの! そんなの、嘘だもの!」


『嘘じゃナイ。ほら―――』




 一瞬、樹木が指し示す先に懐かしい女の人の佇まいを見つけて、クリスタは困惑した。


 その方向から、やさしい母の声が聞こえた気がして。




「おかあさまじゃ、ないわ! うそ! うそよ!」


『おいで、おいで―――オイデ……』




 樹木の枝は次第に伸びて、クリスタの体にまとわりついてくる。

 必死で振り払っても、あとからいくつも伸びて来て、きりがない。

 このときほど、自分の後先の考えなさを悔やんだことはない。


 でもそんなのは今更で、クリスタにはどうすることもできなかった。

 薄暗く、鬱蒼とした森の中で、ただ耳を塞いでうずくまることしか。




(おとうさま、おかあさま……だれか……たすけて―――)



『だいじょうぶ、ダイじょう、ブ……』


 クリスタの体はほとんど人食い樹木に覆われ、視界から外の景色が見えなくなっていく。

 やがて深い眠気に襲われ、体の感覚がなくなっていく。

 目も、匂いも、音すらも、まどろみの中に沈んでいこうしていた、そのときだった。




「よく、がんばったな。『邪を焼き尽くす朝日(モルゲンレード)』」




 まだ幼い、少年とも少女ともつかない声がクリスタの耳に響いた。

 人食い樹木の拘束が解け、やさしい腕に抱き留められる。


「人食い樹木の幻覚に負けなかったんだな。えらいぞ」


 その声の主はクリスタを横抱きにしたまま走った。

 抱えられた腕からこっそり盗み見た横顔がハッとするほど綺麗で、カワセミの色の瞳が真っ黒の髪に映えて神秘的だった。


 人食い樹木は憑き物が落ちたようにさっぱりとした様子で、辺りは穏やかだ。

 水の音も、木々のざわめきも、こもれびも、ふわふわとやさしくクリスタを包んでいた。

 助けてくれた男の子は、抱えていたクリスタをまるでこわれものを扱うみたいにそっと下ろした。


「あ、あの……。ありが」

「どうして一人で森に入ったりした」




 先ほどとは打って変わった冷めた声に、クリスタはびくりと肩を震わせた。

 ちらりと彼に目を向けると、その顔は明らかに怒っていて、クリスタはびくびくしながら、まるで尋問を受ける罪人のように縮こまって理由を述べた。



「あの、その……屋敷に一人でいるのが、退屈だったの……。それで、昔お父様が、『お母様の好きな花がこの森に咲く』って言っていたのを思い出したの。だから、お父様が思い出せるように、プレゼントしたいって思って……それで……。

 勝手に入って、ごめんなさい……」




 一歩間違えれば、父を喜ばせるどころかもっと悲しませるはめになっていたかもしれないのだと思うと、自分のやったことはとんでもないことだった。

 この男の子が怒るのも当たり前で、クリスタはただ謝るほかなかった。



「わかったら、もうこんなことすんなよ。遊び相手がほしいなら俺がなってやるから」

「ほんとう!? 約束よ!」

「突然元気だな」



 我ながら現金な子供だったとクリスタは思う。


 それほどに男の子の言葉が嬉しくて、先ほどの恐怖もすっ飛んでしまった。




「俺はウィル。ウィルフレッド・ベルツ。魔法使い見習いをやっている。おまえは?」

「クリスタ・シュヴァルツァー」

「伯爵家じゃねーか。敬語にした方がいい? です?」

「そっちのがいやよ」

「あっそ。ならこのままで」


 クリスタは叔父の領地に行くたびにウィルフレッドと過ごすようになった。

 ウィルフレッドはいろいろなことを教えてくれた。魚の釣り方、料理の仕方、野菜の育て方、おいしい果物の見分け方、木の登り方。

 そのどれもが、クリスタにとってはこの上なく楽しかった。


「いーのかよ。貴族のお嬢さんがこんなことしてて」

「ええもちろん。お父様も、私の決めたことに口を出したりしないし」

「んなこと言ったって、貴族っつったら、茶会だの夜会だのなんだのあるんだろ。社交界デビューは早いって聞くし」


 十二の夏に叔父上の領地に行ったら、ウィルが突然そんなことを言い出すのでクリスタは驚いた。


「意外と詳しいのね」

「調べたからな」

「なんで?」

「言わねー」


 なぜウィルがそんなことを調べる必要があるのかクリスタにはさっぱりわからないが、クリスタがこんなにも悠長にお嬢さまをやっていられるのには理由があった。


「私、十三になったら、王太子殿下の婚約者候補になるの。そうしたら自由な時間はほとんどなくなっちゃうから今は好きにしていいってお父様に言われているの」


 父も兄もフランカも、その打診を受けるのには大反対してくれた(クリスタと同い年の王太子はこのときすでに女好きで有名だったのだ)が、けれど断るすべもなかった。

 こちらはどう頑張っても伯爵で、向こうは王族なのだ。なんとかできるわけもない。




「そーかよ」

「そうなの。だから今だけでも、仲良くしてね、ウィル」


「…………」


 クリスタの頼みに、ウィルの返事はなかった。

 そのことが少し苦しいと、クリスタは思った。

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