13.真昼の月は淡く光る
クリスタに出会ったのは、見習いの頃の仕事で辺境伯家の近くまで行った時の事だった。
人食い樹木に囚われそうになっていたその女の子は、そのときまだ十一だったウィルフレッドの腕にすら、すっぽりと収まるほどに小さくて、華奢だった。
海から昇る朝日のような、どこか爽やかなオレンジの瞳と、早朝のまっさらな雪を思わせる白い髪。
綺麗な子だなぁとウィルフレッドは思った。
その子はウィルフレッドに抱えられながら、まんまるの目をさらに丸くしてこっちを見ていた。
この国に住むのなら、ウィルフレッドがどんな存在かわかったのだろう。
「魔法」を唱えた、「黒髪」。
魔法を使えるということは魔力があるということで、黒髪だということはそれを暴走させることがあるということ。
つまるところ、バケモノだということだ。
こういう症例は多くない。
黒髪でも魔力がないか、魔力があっても黒髪じゃないか、普通はそのどちらかだ。
だから対処も難しい。
ウィルフレッドの場合は、対症療法ではあるものの、抑制薬を飲むか、魔力を無理やり外に出すことで暴走を抑える。
抑制薬はこの症例のために作られたものではなく、普段は魔獣に使う鎮静剤のことを指す。当然効果は大きく、加減を間違えると死ぬ。
普通、『黒髪持ち』のほとんどは、自身の魔力暴走か、鎮静剤の効きすぎで幼くして死ぬ。
師匠に拾われるまでは、ウィルフレッドも抑制薬を使っていた。一度効きすぎて死にかけたけれど、おかげで自分にとって適当な用量がわかったのだ「」
魔力を無理やり外に出す、というのはウィルフレッドが運良く使うことのできた手段だった。
湖の精霊、シルウァーヌスに毎朝挨拶に行き、彼に魔力を取り出してもらうのだ。シルウァーヌスはウィルフレッドから取り出した魔力を他の精霊たちに分け与えることで、森の結界を補填する。
ウィルフレッドが精霊を見ることができたのと、その知識があるワシに拾われたのが幸いだったと、育ててくれた魔法使いの師匠は言った。
しかし初対面のこの少女がそれを知らないのは当然だった。
こわがらせたことを悟ったウィルフレッドは、クリスタをそっと地面に下ろした。
まあ、今さらだ。こういう反応には、そこそこ慣れている。
なんせ、実の親ですら、こうだったのだから。
ウィルフレッドは親の顔を知らない。というか、覚えていない。
思い出そうとしても、両親の顔の部分だけ、黒く塗りつぶされたようにわからない。
覚えているのは、「バケモノ」「悪魔憑き」とウィルフレッドを罵る声と、「おまえに憑りついた悪魔を祓うんだ」と言って振り下ろされたナイフ。
悪魔の子のしるしをつけてやる、とほざいた父親に、熱く焼いた火かき棒を押し付けられた時の、肌が焦げる匂い。
母親は、「しかたないの、これはしかたないことなの……」とブツブツ呟きながら傍観していた。
そのとき、ウィルフレッドは悟った。
俺は、生まれてくるべきではなかったのだ。そうでなければ、さっさと死ぬべきであって、いつまでも生きているべきじゃなかった。
両親ですら苦しめ、何の役にも立たず、誰一人の笑顔ですら、守れない俺は。
今だって、それは変わらない。
こうして女の子一人助けたところで、死ぬべき自分の価値が変わるわけでもない。師匠に手間をかけ、こんなにも無価値な俺を、六年も育てさせた。
その自分が、誰かに愛される価値などあるものだろうか。
答えは、―――否だ。
その女の子に森に一人で入った理由を尋ねると、どうやら退屈のあまり、父親への贈り物を探しに出かけてきたらしかった。
こんなに穏やかで、ふわふわとしたものに包まれた親子の形もあるのだと、ウィルフレッドは思った。
この、綺麗で小さな、真昼の月のような女の子に、それが与えられているのなら。
それはとても良いことで、正しいことだと、そのように。
「わかったら、もうこんなことすんなよ。遊び相手が欲しいなら、俺がなってやるから」
自分で言って、虚しくなった。
なにが「俺がなってやる」だ。誰かに傍に居てほしいのは、自分のくせに。
そう思いながら、彼女が首を横に振るのを待ってい……
「ほんとう!? 約束よ!」
返事はすぐに来た。
きらきらと、心底嬉しそうに輝くオレンジ色がウィルフレッドを見ていた。
自分で言い出しておきながら、その返事に面食らってしまって
「……突然元気だな……」
そう言うことしかできなかった。
彼女が怯えていたわけでなく、叱られて普通に落ち込んでいただけだと知るのは、まだずっと先のことだ。
***
その少女はクリスタ・シュヴァルツァーと名乗った。
裕福な家の子ではあるだろうと思っていたが、貴族―――しかも伯爵令嬢だとまでは想像もしなかった。
そもそも貴族というのが別世界すぎて、いまいちピンとこなかった。
クリスタは、ウィルフレッドがやることなすこと何でも知りたがった。木の登り方、魚の捕まえ方、甘い木の実の見分け方も。
ウィルフレッドがどこに行くにも着いてきて、魔法を使うと目を輝かせて喜んだ。
クリスタが、ウィルフレッドの魔法で笑うたび、うれしかった。
『黒髪持ち』の自分の魔法でも、誰かを笑顔にできたことが誇らしかった。
「私、十三になったら王太子殿下の婚約者候補になるの」
そう聞いたとき、いやだ、と思うのと同時に、ウィルフレッドは深く納得してしまった。
クリスタは魅力的な女の子だし、芯の通った強さがあった。
きっと、物語に出てくるようなお姫様は、クリスタのような人なんだろうと。
そしてその物語に、ウィルフレッドのようなバケモノの出る幕はない。
あるとするなら、お姫様を護るヒーローに打ち倒される、悪役としてとかだろうか。
「私、大きくなったら王子様のお嫁さんになるの!」
というのは、クリスタの口ぐせだった。
クリスタが夢を叶えるまで、それまでは俺がクリスタを守ろう、なんて、一丁前に思っていたから、ウィルフレッドは魔法を磨いた。
魔力量だけはあったから、魔法をきちんと使えるようになってからは早かった。
クリスタが候補になる年、ウィルフレッドは十五で見習いを卒業した。
育ててくれた師匠が「人生最後の冒険じゃ」と言って、ある日、旅に出たのである。
家と森をウィルフレッドに残して、笑顔で旅立った。
正式にクリスタの王太子妃の内定が決まるまでの4年間、ウィルフレッドは一度もクリスタに会っていない。
会ってどうするというんだろう。
クリスタが戻ってくる未来はない。
候補である時点で輿入れは決まっているようなもので、立場が側妃か正妃か、それだけの違いだ。
万に一つも可能性などない。
クリスタはもう、グリーンシールズには来ない。
四年が経って、クリスタの王太子妃内定を謁見の間の盗み聞きで知り、さあ今度こそ諦めよう、できなくたってクリスタを忘れなくてはならないと、そう思って家に帰った。
月に一度ある、王宮のセキュリティ魔法のメンテナンス。いつもはのんびり乗合馬車で行って帰る。
王都からグリーンシールズまでは、どんな早馬でも片道二日。
のんびり行けば、十日はかかる道のりだ。グリーンシールズ領に入ってからが長いのだ。
ウィルフレッドの場合は、その長いグリーンシールズ領内の道のりを少しズルして帰るので、のんびり帰っても三日ほどで済んだ。
抑制剤を飲まず、シルウァーヌスに魔力を取り除いてもらわなくても平気な期間はそれくらいだったので、ありがたいかぎりだった。
家に帰って郵便受けを覗いた。いつも何も入っていない。今日もそうだろうとは知りつつ、一応たしかめた。
その日、珍しく郵便受けには手紙が届いていた。品の良い白い封筒。
差出人の名前を見て、ウィルフレッドはあんぐりと口を開いた。
『クリスタ・シュヴァルツァー』
あわてて封を切り、便箋に目を走らせる。
『ウィルフレッドへ
久しぶり。突然ごめんなさい。急いでいるので挨拶は省きます。
フランカが第二王子に娶られそうです。あと二、三日で縁談の書類が来てしまう。
とりあえず、身内が死ねば今年いっぱいは婚約を結ばずに済むので、わたしは死ぬことにしました。あ、もちろん戸籍上の話です。死んだことにしてこっそり王都を出る予定です。
というわけで、しばらく屋根を貸してほしい。馬小屋でも鳥小屋でもどこでも構わないから。
急なお願いでごめんなさい。すぐにこちらを発ちます。では。
クリスタ・シュヴァルツァー』
「やめておけ」と返事を書こうとして、そういえばもう間に合わないんだったと気付いた。一応返事は出したが、入れ違いになるだけだろう。
手紙が今ウィルフレッドの手元に届いたということは、投函されたのはもっと前だからだ。
手紙の日付は一昨日。押されているのは昨日の消印。
ということは、クリスタが手紙を出したのは、一昨日の夕方の七刻目以降。
一番早くて、おとといの晩に家を出たとする。
するとクリスタがグリーンシールズに着くのは……
さすがにそれは無謀な旅計画過ぎるんじゃないかとウィルフレッドは思ったが、クリスタのこれまでを思い出し、ウィルフレッドはため息をついた。
そうして、さっさと寝ることにした。
『わたしは死ぬことにしました』
決して柔らかくはないベッドの中で、手紙の一文を思い出す。
その一文が、真の意味を持たなかった理由が、まだクリスタにあるのなら。クリスタが生きるのを諦めるに至らない理由が、まだこの世に存在しているのなら。
それだけで、こうも世界が美しく見えるものだと。
クリスタが家のドアをノックしたのは、次の日の夜明けの頃のことである。
空には残月が、淡く、淡く、グリーンシールズの魔法使いの元への家路を照らしている。




