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ロレンスとシナモン
ストーン・サークルをご存じだろうか。環状列石と訳される。ユーラシア大陸全体に分布し、新石器時代から青銅器時代に築かれた遺跡だ。イギリスのウイルストンシャーにあるストーンヘンジが有名だ。切り出した岩石を円形に配列しており、内側や周囲を発掘すると、墓や道の遺構がみつかる。
巨大な立石の下からは、斧や短剣といった青銅器が出土している。シュリーマンが、発掘調査したミュケナイ文明のものに類似している。ウェセックス文化期という三千六百年前から三千四百年前のものだ。ストーンヘンジは、巨大な日時計として夏至の観測にも用いられていた。もう一つの機能として「結界だ」という説がある。「異界」への出入り口だというのだ。
コンウォール半島はイギリス南西部にある。中世騎士物語「アーサー王伝説」で彩られたところで、そこの先端に、レオノイス伯爵領がある。シナモンの故郷だ。レオノイスには、中世に築かれた城と城下の港町があり、郊外に出ると、ごつごつとした白い岩肌の断崖絶壁が海に臨んだ丘となっていて、その丘のことを地元では「かもめ岬」と呼んでいた。
一本道をたどって「かもめ岬」を登っていくと羊の放牧地が広がっていて、やがて頂きにたどり着けばストーン・サークルがたたずんでいるのに気づく。レオノイスのそれは、やはり地元で「オークルのまな板」と呼ばれている。オークルというのは鬼族のことだ。
幼少期のシナモンは、好奇心旺盛で、よく一人歩きをしては周囲を心配させたものだった。小さな姫君の遊び場の一つに「かもめ岬」があった。煉瓦のように、四角く切り出した巨大な岩石を立てて柱をなして円形に並べ、柱と柱をつないで梁にしていた。上には、たまに訪れる謎めいた男が立っていた。
ふらりと、サイドカー仕様のBMWオートバイに乗ってやってきては、またどこかに消える。そんな渡り鳥のような人物だった。
ある日、不思議に思ったシナモンが訊ねた。
「ここでいつも何をなさっているの?」
振り返った男は、青灰色の瞳、女性的な容貌をしていた。
「やあ、またあったね、『かもめ岬の姫君』」
「『かもめ岬の姫君』って私のこと?」
男は、小さな姫君の質問に答えた。
「ここに何しにきたかって? 今度、飛行機に乗る。だからシルフィーを捕まえにきたんだ」
「シルフィー?」
「風の妖精のことだよ」
風が西から吹いていた。
灰色の瞳をした人が、石の梁から、柱の間にいくつかのくぼみを瞬時にみつけ、器用に蹴り跳ねながら下に降りてきた。
「かもめ岬の姫君」と呼ばれた童女が、スカートの両端を軽くつまむ。
「私は、ザ・ライト・オノラブル・レディー・シナモン・セシル・オブ・レオノイス。さしつかえがおありでなければ、シナモンとお呼び下さい」
「僕はトーマス・エドワード・ロレンス。ロレンスでいい」
シナモンのカーテシーに応えて、その人が片脚を退かせた。メイク・ア・レグ。貴婦人と騎士は挨拶を交わした。
「シナモン姫は、レオノイス伯爵の娘さんだったんだね?」
「ええ」
童女が見上げているので、灰色の瞳をした人は腰をかがめた。
きわめて若い貴婦人が話を続けた。
「ところでロレンス様、貴男が抱きしめたシルフィーのことですが、空気を抱いていたとしかみえませんでした。妖精は本当にいるのですか?」
「ははは。シルフィーは風そのものだ。僕らはみることはできないけれども、通ったことを知ることができる。草や木が揺れるからね」
ロレンスは二十代半ばにみえるのだが、実のところ三十半ばに達している。若作りな容貌だった。
「例えば僕の後ろにあるストーン・サークルもそうだ。目的不明の遺構だ。けれども大昔の誰かが、何かの目的でつくったのは間違いない。彼らはどこかに手がかりを残していく。それを調べる学問がある。考古学っていうんだ」
小さな姫君は、首をかしげ、折った人差し指を顎にやった。
「風が吹かなければ草木はたなびかない。原因があるから結果もある。考古学……そう、シルフィーを感じるのと同じことのよう。ところで、どうして捕まえるのですか?」
(驚いた。姫君はとても賢い)
ロレンスは、「かもめ岬の姫君」がすっかり気に入った様子だ。
「ああ、ウェールズの港町に伝わる古いおまじないだよ。こうやってシルフィーと遊んでやるんだ。風の妖精は悪戯者だから、かまってやらないといけない。そうしないと、ときには船を座礁させてしまうことがあるんだ」
小さな姫君が失踪したレオノイスの城では上を下への大騒ぎである。そんな中、BMWのサイドカーが走ってきた。ゴンドラに、ちょこんと収まっていた姫君が無邪気に手を振った。
「ただいまあ。お友達をお連れしました」
レオノイス城の人々は、あっけにとられている。ヘルメットを脱いだ男が、「トーマス・エドワード・ロレンス」と名乗った。一同はまた驚いた。
「ロレンス? あっ、あの、『アラビアのロレンス』か?」
神出鬼没のロレンスは、スピードの信奉者で、こよなく乗り物を愛した。少年時代は自転車、アラビアではロールスロイス・シルバーゴストの装甲車、イギリスに帰国すると快速艇、さらには飛行機にも乗った。地上ではオートバイで、どこまでも駆け抜けていく。まさに風の妖精シルフィーのような男であった。
──子供時代の楽しい夢だった。
サイドテーブルの上には、白く塗られた黄金意匠の置時計がにある。そして朝を迎えた。