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ロンレンス様へ


 三月のこと。殷墟見学ツアーのバスは、平原を覆い尽くすコーリャン畑を貫く悪路に土埃をあげ、集落の外れにある遺跡にたどり着きました。ツアーには興味深い方たちが参加なさっていました。一人は紳士で、もう一人は年輩のご婦人です。

 婦人は、生け贄の奴隷たちを目にして涙を流し、さかんに聖書の一節を唱えて祈っておられました。私が、その方に、「いかがなされたのですか?」とお声がけしました。「何てことを、何てことを……」と繰り返されます。

 伺いましたところ、貴男のお兄様とお母様ではありませんか。お兄様は、中国で牧師として布教をされていらっしゃるとのこと。貴男に初めてお会いした日のことや、お手紙をやりとりしていることをお話したら、喜んでいらっしゃいましたよ。

                                                                       シナモンより


 ロレンスの返書には、(家族の消息を教えてくれてありがとう。でもこれからは不要だ。母のことが好きじゃないんだ)とあった。一家には修復しがたい亀裂があるようだ。


 アームストロング夫人が話を蒸し返してきた。

「そういえばレディー・シナモン。殷墟へのバスツアーでロレンス母子にお会いしましたわよね。奇遇よね。あの、『アラビアのロレンス』のお母様とお兄様だったなんて! そういえば貴女、ロレンス様と文通なさっていらっしゃるのでしょ? ねえ、私にも紹介してよおっ」

 前菜が終わって魚料理が運ばれてきた。中居がフリカッセを食べている佐藤に訊いた。

「『アラビアのロレンス』……何者ですか?」

「トーマス・エドワード・ロレンス中佐。先の大戦中、アラビアで活躍したイギリスの英雄だ」

「イギリスの軍人がな何でアラビアに? 主な対戦相手はドイツでしょうが?」

「そうだ。イギリスは、ドイツに主力をぶつけたかった。主戦場から離れた敵同盟国のトルコなんぞに、貴重な戦力を回したくない。目を付けたのが、トルコの支配下に置かれていたアラブ人たちだ。彼らにトルコに反乱するように焚きつけ、軍事顧問として送り込んだのがロレンスだった」

 佐藤は、魚用のスプーンで蟹の身を一口食べ、話を続けた。

「ロレンスは、メッカ太守の息子ファイサル率いる砂漠の民ヴェドウインとともに、アカバやダマスカスといった重要都市を開放。圧倒的な戦力を誇るトルコ帝国を攪乱し、イギリスのドイツに対する勝利に貢献したんだ」

 中居が口に入れかけたスプーンを止めて叫んだ。

「すんげえぇっ!」

 佐藤がまた話しを続けた。

「マスコミに騒がれていてな、社交界のご婦人方のカリスマになっている。しかし、あの姫様、ロレンス中佐とも交友関係があったのか。ううむ、なんて顔が広いんだ!」

「姫様は小顔ですよ、先輩」

「うるっせえっ」

 佐藤が、拳骨をくらわせようとすると、中居はかわす。空振りした佐藤が椅子から転びそうになった。

 エドガー博士が、フォークを止めて佐藤と中居を見遣った。

「ロレンスは、もともと考古学者だった。大英博物館にいたこともある。かつての同僚だ」

「えっ、ロレンス様をご存じでしたのね? 私、あの方に出会ったから考古学を始めました。オクスフォード大学に入学したのは、あの方の母校だったからです!」

 シナモンは、大発見をした童女のように目を大きくして老紳士をみた。中居は、佐藤に小声でいった。

「姫様って、ミーハーなんだなあ」

「ミーハー? ただのミーハーがオクスフォードにいくかよ」

 老紳士は話しを続けた。

「ロレンスは旅行好きな若者だった。高校生のときフランスを自転車で、大学生のとき中東を徒歩で旅行した。当時、学界では、中世の城郭について、『十字軍がヨーロッパに中東の様式をもたらした』という定説があった。これについてロレンスは卒業論文で反論を書いている。逆に、『十字軍が中東にヨーロッパの様式をもたらしたのだ』とね。論文には、高校・大学の旅行で撮った東西城郭の写真が添付され比較されていた。見事な論証だ。一介の学生の卒業論文が、学界にセンセーションを巻き起こしたんだ」

「すんげえぇっ!」

 中居がまたまた叫んだ。

 アームストロング夫人が割り込んできた。

「ロレンス中佐には、いろんな話があるわよ。エリザベス一世の愛人だったウオーター・ローリー卿がご先祖だったとか。准男爵であらせられたお父様はその遺伝子を継いで不倫癖があった。娘の家庭教師だったセアラさんと駆け落ちして、お生まれになったのがロレンス兄弟。おほほほほ……」

 夫人は、孔雀羽の扇子で口を隠して笑い、話を続けた。

「お母様は厳格なカソリック信者だった。お父様との関係はトラウマそのもの。はけ口をご兄弟に向けたそうよ。児童虐待よね。ロレンス中佐は、おかげで女の人には興味を持たなくなった。『ホモ』って噂もある。あら、やっだあっ。私ったら、はしたない」

(まるでゴシップ雑誌だ)

 シナモンたちは、すっかり閉口した。


 魚料理から肉料理になった。夫人は、食べることに専念しだしたので、姫君とその「騎士」たちにしばしの平安が訪れた。シナモンは、左隣にいるエドガー博士の長い指先が器用に動き、ナイフやフォークで、芸術的なまでに骨のついた雉肉をさばいていくのを何気なく眺めた。それから食堂を見渡した。

 船長は、乾杯の音頭をとってからすぐに司令ゴンドラに戻っていた。「将軍様」一行も泥酔中とのことでまたいない。妖しげなサングラスの日本人、それにチャイナドレスの中国人は、離れた席に着いていた。

 食後、佐藤と中居が、「口直しに下部デッキにあるバーにいきませんか?」とシナモンとエドガー博士を誘った。


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