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小一時間ばかりのティーパーティーが終わると、佐藤と中居、それにエドガー博士の三人は自室に戻った。シナモンは残って船長の昔話につきあっていた。
「邪魔者はいなくなった。ふっふっふっ。姫様に飛行船を操縦させて差し上げよう。いざ参られよ」
船長が片目をつぶって、黄金の髪をした若い貴婦人を飛行船深部に案内した。
厨房を通り過ぎて船体後方に向かったあたりだ。薄暗がりの視界に、巨大な肋骨のようにもみえる鋼鉄構造物が出現した。天井には、いくつもの大きな風船があった。気嚢と呼ばれるものだ。網が被せられ、縦に連なり、一つ一つは仕切り板で区切られ収まっていた。
「凄い! 鯨にのまれたピノキオが見た風景はこんな感じかしら──」
シナモンは大きく目を開いて顔を上げた。滅多には見られない光景だ。前に進むには、人がどうにかすれ違うことができるほどの、細い橋脚を行かねばならない。橋脚には、手摺がついてはいるのだが、頼りなげに感じてしまう。そこをまた奥に進んだ。船長が振り向いた。
「貨物室だ。飛行船を動かすには莫大な経費がかかる。とても乗客運賃だけでは採算がとれない。そこで高速郵便で穴を埋めるというわけだ。貨物室にあるのはすべて葉書と封書さ」
「貨物室の後ろにも乗務員用のお部屋があるようですね?」
「そうとも、整備士や機関士の部屋だ」
整備士や機関士は、飛行船船体やエンジンの点検、故障したときの応急処置をするのが任務だ。天井裏のアームに命綱をつけ張り付いていた整備士たちが手を振っていた。
「船長、そのお嬢さんが例の姫様ですか?」
「そうだ。デートの最中だ。羨ましいだろう?」
「羨ましいなんてものじゃない。とんでもない役得だ。船長、今夜は部屋に鍵をかけておいたほうがいいですよ。みんなで寝込みを襲いに伺いますからね――」
シナモンが長いスカートの両裾をつまんで会釈した。
「おおっ!」
歓声が上がった。
「気のいい奴らだよ」
「一体、乗務員は何人いらっしゃるのですか?」
「乗客二十五人に対して、乗務員は九十人だ」
「そっ、そんなに?」
シナモンが目を丸くした。
「それがサービスってもんだ」
船長は、にやり、と笑った。
「ときに、姫、十八歳の誕生日おめでとう。さあて、操縦室に行くぞ。回れ右、ここから二百メートル先にあるんだ」
「少佐、私を騙したのですね?」
「いや、ちょっと、奴らに君を見せびらかしたくって、回り道をしただけだよ。わっはっはっ……」
船長が早歩きぎみにして行く。シナモンが小走りして後を追った。
黄金の髪の貴婦人は、船長に連れられて、「鯨の肋骨」のような胴体内部を貫く橋脚状をなした一条の長い通路を抜けて、一度プロムナードデッキに戻った。そこからさらに先に向かった。操縦室があるのは、飛行船船体前部にある司令ゴンドラだ。
二人が入室しようとしたとき、何者かかが物陰に隠れたような気がした。船長は首をかしげて橋脚の下をのぞいた。暗くてみえない。
「気のせいか……」
司令ゴンドラは、客室のような装飾はなされておらず、鋼鉄のフレームが剥き出しになっていた。メーター、ハンドル、レバーといった計器類が、部屋のいたるところに配置されていた。
「誰がこんなことを――」
船長がつぶやきレバーの一つを押し上げる。だが姫君のほうに向き直ったとき無理に笑みを浮かべた。
シナモンは、あえて訊きはしなかったのだが不自然に感じた。
室内の正面にはフロントガラスがあり、手前に船の舵輪によく似た形をしたハンドルが二つあった。
「ちょっとだけですよ、船長」
操縦士たちは、渋々ハンドルを明け渡した。その際船長は、二人いる操縦士の一人に、例のレバーを指さし耳打ちする。操縦士の顔色が変わった。操縦士たちは足早に部屋から外へ出ていった。
船長は、大げさに笑いながら、操舵のハンドルの一つを取ると、シナモンを手招きした。
「儂は左のハンドルを担当するから、姫様は右のハンドルをお願いしたい」
若い貴婦人は、船長の指示を忠実に実行し、飛行船を操縦した。
「姫様、なかなか上手ですな。考古学者なんか廃業して飛行船乗りにならんかね?」
「素晴らしいお話し。考えさせて戴きますね、少佐」
船長は嬉しそうに横にいる若い貴婦人をみやった。
「姫様と、こうして飛行船を操縦していると思い出すよ。儂の戦闘機小隊が、哨戒中にドイツ軍機に奇襲されたときのことをね。忘れもしない一九一七年四月のことだ。奴の名はリヒトホーフェン。隊伍をなす機体は、どれもこれも紅い色に染められていた」
「撃墜王レッドバロンのことですね。父がよく話していました」
船長がハンドルを回した。飛行船は高度を下げていく。
シナモンを尻目に、ハンドルをもつ船長が遠い目をしていた。