エピローグ
ナミは甘ったるい倦怠感の中に、時々不安がよぎるのを不思議に思った。
夏休みはほんの三日前に始まったばかりだ。課題は進学校という名目のもとでどっちゃりと出されたけれど、そんなのはどうだってよかった。それにコウスケくんのことだって……。親友の亜美の話す、『最近の推し』のことだって—亜美にはどうやら好きなひとがいるらしく、聞いているナミの方まで楽しい気分になるのだ—。
ぎゅっと目をつむった。蝉がうわんうわん鳴いている。
再び目を開ける。
目を開いた先には藤の花が咲いていた。ナミはその下のベンチに仰向けになって横たわっている。
肩は微かに上下し、しなだれた素足のつま先がぴんと張る。
なんの不安だろう。
そっと自問してみた。片っ端から考えてみるけれど、どれも答えになりそうにない。卒業後の進路のことや気になっていた男の子のことや、シャネルやディオールのリップがナミの若い心をどれだけときめかせるかということ、明日起こるかもしれない地震のこととか……。ナミの関心をひくようなものはない。今は素晴らしく美しい夏で、それらすべてから遠く離れた場所にいるのだ。
しばらく藤棚の日陰で空虚な感覚に酔いしれた後、体を起こしてベンチから立ち上がった。めまいがして、色づいていたはずの世界が無彩色になり、蝉の鳴き声が耳の奥で屈折しながら遠ざかってゆく。立ちくらみがした。