帰りたくない帰り道
悲しいお話しが含まれてます。苦手な方はお戻りください。
「おじさん、どうしたの?」
途方にくれる俺に無邪気な声で話しかける声がした。こんなご時世だ。中年の男が、その辺の子供に声をかけようものなら、不審者扱い、変質者扱いで通報案件だよ。
大げさだって笑っていられた時代はマシだったよ。たとえ迷子で帰れない子供が一人で泣いていようが、爽やかイケメン高校生男子くらいまでなら許されるが、くたびれたスーツ姿の不細工なおっさんは駄目だ。
偏見が凄いなんて言うなよ。事実なんだから。心配そうに声をかけて来た子供は明らかに女の子だ。絶対会話したら駄目なやつだな。さあ、知らないおっさんなんか放っておいて、とっとと帰れよ。
俺はわざと不機嫌そうに怒りの雰囲気を漂わせた。さっさと離れないと泣くことになるんだぞ。
「おじさん、居場所がない人なんでしょ。わたし知ってるよ?」
ドキッとした。なんでこの子はそんな言葉を知っているのか。見た所、まだ小学生になったかならないかくらいの子供だろうに。
この年になってみると会社でも家でも、居場所なんてどんどんなくなって行くものだ。帰りたくないと思った日なんて、今日だけじゃない。いままで腐るほどあったものさ。
「おじさんが居場所がないって、どうしてわかったんだい」
あたりに人がいないのを確認して、子供に話しかけて見た。どこかで見た気がする。
「だって、ここの公園はお父さんが帰れなくなった公園だから」
ああ、そうか思い出したよ。この子の父親は、この公園で亡くなったんだ。いまの俺と同じように、ベンチに佇んで。
帰りたくても帰れずに、確か心労が重なってなくなったんだとか。そうか、それから迎えに行くようになったんだな。お父さんに会えるんじゃないかと、公園に来てしまう女の子を心配して。
残念ながら君のお父さんが帰って来る事は二度とない。俺はそれを知っている。だって見てみろよ、あの心配そうな不細工なガキんちょの必死な顔。
物騒になり始めた世の中で、大好きな幼馴染みの女の子が心配で心配で。
女の子は泣きながら帰って行った。俺は何もしてないぞ。だってこれは、ただの追憶。心配しなくても、あの頃の俺は自分の事にかまけてる余裕なんてなかった。この子のために俺がずっと一緒にいるんだって、約束したんだからさ。
◇◇
追憶の後で俺は帰りたくなかった気持ちを、家に帰って正直に妻に告げた。仕事が忙しさを言い訳にしたこと。疲れて帰って来たのに、あたりのキツイ妻が嫌になり、いつしか帰りたくないと思うようになっていたと。
公園で佇んでいた時に、まるで白昼夢を見ているかのように、あの頃の事を思い出した話しをした。
妻は、あの頃のままだった。泣かせてしまったけれど、俺を許してくれた。幼い頃の誓いを、俺はなんで一番大事な気持ちを忘れていたのだろうか。
そっと抱きしめて、思い出させてくれた追憶の中のあの子に感謝した。間に合って良かった。今度は俺が後悔とともに泣く番だろう。
◇◇
俺は、再びあの公園にいた。
「居場所が戻って来ても、帰りたくないこともあるんだな」
待つもののいない家。いてくれるだけでありがたかったと、失くしてから気づいた。しばらくバタついていて全て片付いた後に、俺はまた気づく。妻と二人で暮らした家は、今の俺には大きすぎると。寂しさと後悔に押しつぶされそうになるのだ。
でも、それは俺の自業自得だ。もっと寂しい思いを俺は彼女にさせていた。だから、仕方ない。どれだけ帰りたくなくても、帰りを待つものはいないのだから。
ただ妻の葬式が終わり、いろいろと片付けた後に、ふと気になったことがある。
あの時に俺は誰と話していたのだろうか、と。いや、違う。どうして彼女と俺が話していたのを追憶などと思ったのだろうか、と。
彼女の父親? いや違う。彼女は知らないおじさんに話しかけていた。お父さんが亡くなったのを知っていた。
あの不細工な少年に、公園にいたの霊魂が憑いたとでも言うのなら、彼女が話していたのは幽霊という事になる。
◇◇
いまはもう時間だけは無駄にあった。だから、思い出せる記憶の糸をゆっくりと手繰り寄せる。
そもそも俺が公園に迎えに行くようになったのも、彼女本人から理由を聞いてからの事だった。お父さんが帰って来るかもしれないから待ってるんだって言っていたと思う。
誰かと会って話したなんて、そんな話しはしてなかった。
いったいいつから俺は自分の記憶にない話しを、記憶するようになった?
追憶なんて場面、俺は見てないはずだ。たとえあの頃の幻を見るにしても、彼女と俺が会話をしているのはおかしくないか。会話して、不細工なガキんちょと一緒に泣きながら帰る彼女を見送って記憶から還る····。
「あなたは帰っておいでよ」
ようやく思い出した。まだ妻と結婚したばかりの頃に、彼女の父親が亡くなった理由を話していた時にそう言って話していたのを思い出した。
知らないおじさんが、帰りたくても帰れなくなったお父さんの話しをしてくれて、あなたはそうならないように帰っておいでよって言ってくれたんだ。
「あなたが帰って来られるようにわたしも待っているから。だから帰れなくなる前に、この話しを思い出してね」
そう、ずっと妻は、あの子は俺に暗示をかけていた。優しい暗示。いつでも帰れるように、辛くても帰っておいでと記憶を美化して。
本当のところはわからない。ただ帰りたくなる暗示のおかげで今際の際には間に合った。
◇◇
知らないおじさんは、彼女の父親を発見して救急車を呼んでくれた人だった。公園に来てしまう彼女と迎えに来る俺を見て、話しをしてくれたんだ。
「君のお父さんや僕のように帰りたくても帰れない、君たちはそうならないようにね」
最後に会った時に、おじさんはそう言って帰るつもりのない街の中へ消えて行った。それからは、一度もそのおじさんとは会っていない。
忠告してくれたのにな。俺も妻も大人になって思い出を美化する中で、都合の悪い部分の記憶を省いたり塗り替えた。
そうやって仲良く夫婦円満に役に立つなら、おじさんも許してくれただろうに····。
◇◇
あの頃よりさらに時代はかわり、公園で一人寂しく佇む人間に、心配してお節介に話しかけるような者などいなくなった。もうすぐ子連れのママさん達が幼い子を連れて、暇つぶしのお喋りをしにやって来る。
子供のいない妻は幸せだったと言ってくれたが、この中に旦那へ毒づきながら楽しく笑う未来もあったのかも。最後まで、彼女は優しかったんだと思い知らされた。
全てを思い出して、枯れたはずの涙が止まらなかった。
「おじさん、どうしたの?」
懐かしいはずの声が聞こえる。でもそれは幻聴でも、幽霊でもなく受け入れなければならない現実だ。
「なんでもないさ。ママのところに戻りなさい」
俺はなるべく優しく子供に話しかけると、帰る気のない家に向かって街の中へと帰っていった。
心配しなくてもちゃんと帰るさ。今度はまっすぐ君のところに······
公式企画十一作品目となりました。今企画は最後の投稿になります。
十作目の【望みしもののメッセージ】は、作品に注意深い人が気づいてもらえるかどうかをテーマに作りましたが、あまり読まれず気づかれずしまいでした。
この作品は逆に、帰り道、帰ることをかなり強調した作品にしました。ホラーというよりも、別離の悲しみが強いかもしれません。
公式企画夏のホラー2023 作品、お読みいただきありがとうございました。