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海神を蹴る

作者: 不破焙

 私は嘘つきだ。天涯孤独の大法螺吹きだ。

 最初の嘘は両親に。次の嘘は先生に。

 やがて友人たちへと伝搬し、巡り巡って自分を殺す。


 しかし誰も私を「嘘つき」だと非難はしない。

 理由は単純、今もまだ……この嘘はバレていないから。


 ――――


 この島の夏には神が来る。

 天に暗幕が降りる時、荒波たててソレは来る。


 それは小さな島の古い伝統。

 台風とか洪水とか、水害を神に例えるアレ、だ。

 昔は黒い話もあったみたいだが、

 私の時代には既に御伽噺にまで風化していた。


「いいや。海神(わだつみ)様は本当にいるさね。」


 幼き私を撫でながら、母は笑顔をこちらに向けた。

 それは母が私に吐いた唯一の嘘。

 教訓を御伽噺なんかに折り込むアレ、だ。


「私の小さい頃にねぇ。

 なんか全部嫌になって、そこの海に飛び込んだの。

 そしたらおっきな影が私を掬ってくださった。」


 幼いながら、私はそれを嘘だと直感した。

 それでも何も言わず、黙って聞きつづけていた。

 嬉しそうに話す母の顔を、見ていたかったから。


「その時……言われた気がした。

 まだコッチに来るんじゃ無い、ってね。」


 今になっても覚えている。母の笑顔が好きだった。

 母だけでは無い、父も先生も、近所の大人たちも、

 この島に住む、全ての人の笑顔が好きだった。


 ――だから私は、嘘を吐いた。


 ある時、学校で先生に聞かれた。

 皆さんの将来の夢はなんですか?と。

 よくある学校行事。後で壁に飾るのだろう。


 クラスメイトは思い思いの職を語る。

 プロサッカー選手。宇宙飛行士。

 日本なのに大統領と宣言する奴もいた。


「アハハ……まずは国のシステムから変えなきゃねー。

 さて、と! それじゃあ次に発表してもらうのはー。」


 私の番が来た。けれど私は回答に困る。

 なりたいなど夢は漠然としていた。

 だから適当に答えればそれで良かったのに、

 大真面目な私は回答に困り泣いてしまった。


「あらあらー。分かんなくなっちゃった?

 じゃあこれは宿題! おウチに帰って考えてみて?

 提出は気が向いたらでいいから。良い夢見つけよ!」


 その日、私は両親にこの事を話した。

 父は酒瓶片手に笑い飛ばしたが、

 そんな父を真剣な眼差しで母は叱ってくれた。


「真剣に悩んでるのを笑っちゃ駄目さね!」


「悪い悪い! そうだなー、じゃあ大統領夫人!」


「もう! アナタは下がってて!」


 両親はいつもこんな感じだ。

 呑気な父をしっかり者の母が叱る。

 この光景が大好きだ、この笑顔が大好きだ。


「うーん……それじゃあ、ホラ!

 テレビとかでカッコいいと思った職業なんてある?」


 一つだけ、ピンと来た。

 しかし私はこれを口に出さずに押しとどめた。


「テレビじゃ身近じゃ無くて実感湧かんよ!

 どうだここはァ……島にもある職業なんてのは?」


「島にもある……? うーん、漁師? なんかなぁ……」


 ここで私は一つの質問をした。

 大真面目な私らしい小賢しい愚問を。


「え? どんな職業だと()()()()()()()か?」


 全ての始まり、最初の綻び。

 タイムマシンがあるのなら、私は幼い私を蹴る。


「俺ならァ……『医者』だな!

 酒で倒れた時でもすぐに観て貰えて便利だ!」


「縁起でも無い! ……けど医者ねぇー。」


 両親の中での感触は良かった。

 島の診療所には何度か行った事もある。

 医者は多くの人間を助ける偉大な仕事。


 もし娘が医者になったらの想像を語り、

 両親の会話に花が咲いていた。


 収入が良いから生活には困らない。

 それなら結婚するのも問題無いだろう。

 島の診療所に来てくれればとても助かる。


 その会話を私は笑顔で聞いた。

 笑ってはいない、ただ笑顔を貼り付けて聞いていた。


 だってとても嬉しそうだったから……

 だってとても楽しそうだったから……

 昔から――()()()()が好きだったから……


「どう? お医者さんは?」


 ……私は元気よく頷いた。

 お医者さんになる、と明るく騙った。


 ――――


 私自身、まだ吐いた嘘に気付いては居なかった。

 理由は分かる。当時の私にとっては事実だったから。

 医者になる、と話すたびに島の皆は笑顔になった。


 頑張ってねと励まされた。

 良い夢だと褒めてもらえた。

 激励された。賞賛された。応援された。


 自覚の無い嘘は嘘では無く、ただの妄言だ。

 罪悪感や後悔が無ければ嘘という()は心を傷つけない。


 ――その猛毒はトロけるほどに気持ちが良かった。


 そんなある日、母が死んだ。病死だった。

 島の診療所ではどうしようも無い重い病気。

 まだ高校生の私には早すぎる死別だった。


「なぁ……小さい時の話……覚えているか?」


 葬儀も終わった家の中、父はポツリと呟いた。

 いつもよりも低い声。赤い瞳がこちらを見つめる。


「医者になりたいって話だ……」


 私はあの時以上に力強く頷いた。

 そしてまた騙る。私は医者になりたいと。

 父は泣いて喜んだ。それがやはり嬉しかった。


 この話を知る人はまるで美談のように扱う。

 悲劇の主人公の如く、大成すると確信する。


 だがこの時、既に心には違和感があった。


 将来の夢を聞かれる度に医者と答えてきた。

 最初は問題無かったはずなのに、

 次第に心の『揺らぎ』が見え始めたのだ。

 本当に医者になりたいの?と自分が自分を問いただす。


 しかし、母の死を以て――私の運命は鎖に繋がれた。


 父は酒を断った。

 私を良い大学に通わせるために汗を流す。

 それだけでは無い。島の皆も()()()になっていた。

 小さな島だ、訃報の届く足は速い。


「娘さん本土の有名な大学に行くそうよ。」


「お医者さんなんだってねぇ……偉いわぁ!」


「まぁ当然よね。母親を病気で亡くしたし、何より――」


 コレは私の吐いた(ウソ)

 最初の(ウソ)は両親に。次の(ウソ)は先生に。

 人を惑わす甘美な猛毒。巡り巡って自分を殺す。


「――()()()()()()()()()()()()()()()()!」


 ――――


 更に月日は流れていった。

 私は我武者羅に突き進み大学三回生になっていた。

 学部は当然医学部。難関と言われる狭き門を潜る。


 だがここで、私のエンジンは停止した。


 大学生として過ごす内にふつふつと、

 心の奥底から知らない感情が湧き上がる。

 本心との乖離(かいり)。胸を絞める心の揺らぎ。


 本当にやりたいことはコレだった?

 ……うるさい。


 本当になりたいものはコレだった?

 ……うるさいっ!


 この先もそうやって嘘を吐きつづけるの?

 ――うるさい黙れ……ッ!


 嘘を吐き続けたのは(おまえ)だろ!?

 自分を騙し続けたのは(おまえ)だろ!?

 今更出張ってくるな……私はお前(わたし)が大っ嫌いだッ……!


「どったの? 荒れてるね~」


 友人の声が響く。大学で仲良くなったサークル仲間。

 いつでもどこか飄々とし、のらりくらりと単位を落とす。


「なんかあった? 相談しなよー。」


 別に何でも無い。そう私は呟いた。

 相談など出来無い。本音の話し方なんて知らないから。

 彼女はふうんとだけ呟くとギターを手に取り椅子に座る。


「てか次の発表会(ライブ)夏期休業空けでしょー?

 ダルくない? 長期休暇中も練習しなきゃじゃん。」


 大変だねー、と話を合わせた。

 大変なのは私の方だが、ご存じの通り嘘は得意だ。

 何も悩みなど無いように取り繕うのもお手の物。


「そういえばアンタ、部長からソロ曲任されたんだって?

 作詞作曲まで完全オリジナルの激重演奏やるんでしょ?」


 オリジナルソング。

 それはニ回生の頃からいくつか作っていた。

 あくまで趣味の範囲だったのだが、

 先日それが部長の目に止まったらしい。


「アンタの歌って中々ロックっていうか……

 ヤベェ歌詞の『侮蔑ソング』って感じだよねぇー。」


 侮蔑ソング。

 私の歌を聞いた友人の中で流行った単語だ。

 半ば蔑称だったが、私は嫌な気はしなかった。


「まぁ色々大変そうだけど、頑張ってね。

 アンタの歌。あたし結構好きだからさ。」


 軽い友人のいつもと違う口調の激励(エール)

 訂正しよう。平静を装うのは下手だったらしい。


 ――――


 夏季休業が始まり学生たちは思い思いの時を過ごす。

 大学の三回生。多くの学生が就活に忙しい時期。


 だが私は島にいた。

 帰省という名の逃避行。波打ち際を孤独に歩く。

 私の中である想いが(くすぶ)っていたからだ。


 ――テレビとかでカッコいいと思った職業なんてある?


 母の言葉が脳裏に響く。

 今でもはっきり覚えている。

 私はその時、ミュージシャンを連想した。


 キラキラとした姿。眩しい姿。

 可愛くて、格好良くて、人を笑顔に出来るヒーロー。

 憧れた、憧れていたんだ。無意識の中で、ずっと。


 私が本当になりたいものは――ソレだった。


 父にもちゃんと伝えよう。自分の気持ちを。

 帰省前は考えた。本心に正直になろうと。

 人の減った夜行バス。袖を濡らしながら考えた。

 けど……島に戻れば意志は揺らぐ。


「あらぁ夏休みかねー? どう、お医者さんの勉強は?」


「大変だでねー。けど逃げ出したらアカンよ?」


「キャベツいるかい? 未来のお医者さま!」


 言えない。本心など幼いあの日に置いてきた。

 期待は重くのしかかる。善意ゆえにタチが悪い。

 いや……悪いのは最初から私だったか。


「お帰り。どうだ、大学の方は?」


 問題無い、とまた嘘を吐く。


「そうか、お前は本当に偉い子だ。」


 手の掛からない「良い子」。

 幼い私が自分自身に課したキャスティング。

 父の中で、それは今も変わっていない。


「? どうした、何か言いたいことでもあるのか?」


 ううん。何でも無い……ありがとう。


 ――――


 私は今、海にいる。大法螺吹きは天涯孤独。

 自分を晒す(すべ)すら知らず、心は勝手に壊れていった。

 他人は誰も悪く無い、誰も恨めないからこそ最悪だ。


 この数ヶ月、感情が揺れすぎた。

 自責、嫌悪、乖離、恐怖。

 苦悩、決断、孤独、虚無。


 正直もう……疲れたね。


 気付けば私は波打ち際の高台にいた。

 辺りは暗く、虫の喧噪一つも無い。


 その時ひゅうと風が吹く。

 愚者の背中を押すように冷たい夜風が海へ逝く。

 遺された人々は私のことをどう思うのだろう?

 この死に一体どんな理由を付けるのだろう?


 思えば私にも理由は良く分からない。

 人間関係? 心労? 自己嫌悪?

 将来への不安? あぁ、一番近いかも。


 ……いや違う。これはきっとこれは『逃走』だ。


 相談することから逃げた。医者の勉強から逃げた。

 自分自身の本音から、目を逸らし逃げ続けた。


 夜風は更に強くなる。早く墜ちろと私を急かす。

 もう少し余韻に浸っていたかったのだが、

 世界が急かすのだから仕方が無い。


 私は――手すりを乗り越え海へと身を投げた。


 体が一瞬で濡れる。痛いし、寒いし、怖い。

 だが今更怖じ気づいても意味など無い。

 体には重石。沈む感覚。月が遠い。


 やがて苦しさと共に意識が遠のく。

 瞼はゆっくり閉じていき、思考は真っ黒に淀んだ。

 揺らぐ意識と思考の中、私は走馬灯を見ていた。


 ――なんか全部嫌になって、そこの海に飛び込んだの。


 そんな話もあったっけ?

 あはは……今の私と同じだ。


 ――その時……言われた気がした。

 まだコッチに来るんじゃ無い、ってね。


 あれ……誰だっけ? お母さんにそう言ったのは?

 お父さんじゃなかった。島の人でも無くて……確か――



 荒波たててソレは来る



 グンッと体に異変が起きる。

 突如重圧が肉体に押し掛かった。

 突然の苦しさ。閉じた瞼も再び開く。



 天に暗幕が降りる時



 何も分からなかった。

 感じるのは速度と、息苦しさと、光。

 遠のいていたはずの美しい月明かり。

 あぁそうだ。御伽噺と馬鹿にしていた――



 この島の夏には神が来る



 ――――


「ゴホッ!? ケホッ!!」


 私は体は呼吸を再開する。

 死を望んでいた体が生きるという事を再開する。


「はぁはぁっ……! 何が……!?」


 私は周囲を見回した。そこは島から少し離れた沖。

 何も存在していないはずの海の上。

 いや、より正確には私と……コイツがそこにいる。


「何、この生き物……? ……クジラ?」


 大きさは確かにそれに近いのだろう

 しかしその容姿にはクジラに無い禍々しさがあった。

 表面はゴツゴツと固く、髭のような突出部が数本。


 こんな化け物を見れば誰だって思う――海神(わだつみ)様だと。

 その海神様は私を乗せたまま島の方向へと進んだ。


「確かにこれは……まだ死ぬなって言われた気もするっ!」


 最初こそ恐怖心もあったが、今は高揚感の方が強い。

 私は高ぶる心臓の鼓動をリズムに海神の背に立った。

 自然と笑いがこみ上げる。世界はこれほど愉快だった。


 ――だからいい? よーく覚えておいて?


 脳裏には再び母の声。あのときの続き。

 海神様の御伽噺を締めくくるのに欠かせない教訓。

 私は今これを、私の声に乗せよう。


「――辛い時には逃げたって良い、負けたって良い。

 けど……全部終わってしまう逃げ方だけはしないで。

 世界には貴方の知らない物なんてまだまだ沢山ある。

 だからせめて……目標を決めてから逃げ出して。」


 ……島がすぐそこまで近づく。

 もうじき浅瀬。海神様は頭部を僅かに沈め始めた。


 私にはそれが何の前触れか分かった。

 しっかり掴まり、膝やつま先に力を込める。


「ありがとう、そしてさようなら。海神様。」


 ブゥオオという鳴き声と共に、

 海神様は頭部を島へ向けて跳ね上げた。

 それにタイミングを合わせ私は――海神を蹴る。


 刹那、イルカショーの如く私は飛んだ。

 冷たい夜風を斬り裂き月夜の海を飛び越えた。


 ――――


 十数年後。私は友人と共に電車に乗っていた。

 ギターケースを片手に揺れるつり革に掴まりながら。


「ねーそういえば聞いたー? あのニュース?」


「ん、ニュース? ごめん見てない。」


 願いは叶う、とは言わない。

 だが少なくとも、本心に嘘を吐いて何になる?


「今日からこの国大統領制になるらしいよ?」


「マジか……」


 苦しい時はあるだろう。

 誰にも相談出来ない事もあるだろう。


「まあアタシらには関係ないっしょ!

 だって国がどうなろうと音楽を楽しむだけだし!」


「いや、呑気すぎ……でもまぁそうだね!」


 だがその場で人生を閉ざしてはならない。

 逃げ道でもいいから、常に模索しつづけろ。

 これは――かつて同じ選択をした者からの忠告と激励だ。


『それでは続きまして! 今人気の「侮蔑ソング」!

 若者から共感出来ると話題の女性二人組ユニット!

 何と今回は新曲を披露してくださるとのこと!』


「はい。私の生まれた島に伝わる海の神様。

 あのクジラに、私なりの感謝を込めて。

 それでは聞いてください――『海神を蹴る』。」



 ~fin.

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