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亡国の子  作者: 我妻 春秋
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◆灯火の章  うしなわれた日◆ 1

◆灯火の章  うしなわれた日◆ 1


 四方で火の手が上がっている。

 剣戟の音と叫ぶ声。狂騒の中で、惨劇を覆うように黒煙が立ち込めていた。

 焼いてしまっては元も子もないと、消せ、という声が聞こえる。

 

 混乱に乗じ、身体ごと奪うように引きずられ強引に押し込められた狭い通路を抜け、隠された小さな隧道の出口から這い出でる。切り立った崖に茂る草木に隠れて隧道があるとは、さすがにすぐには気付かれないだろう。

 戻ろうとする身体を無理やり掴んだ腕に、強引に上へと引き上げられた。油と物体の燃える悪臭が鼻をつき、煙を吸い息切れした肺は悲鳴を上げている。

 谷底から吹き上げた風と共に火の粉がちらちらと舞った。込み上げる感情に理解が追い付かないまま、呆然と空を見上げる。あれほどに懐かしく美しかった城壁は炎で煤け、眼前は滲んでもうその姿が見えない。朝まではいつもと変わらない穏やかな日常だったのに、どうして今はこんなにも目を覆うような酷い有様なのだろう。

 笑顔は失われ、鮮やかに輝いていた景色は血と涙、炎と叫び声がこだまして、愛しかったすべては見る影もない。

 何故こんなことになったのか、いくら考えたところで彼女にはわからなかった。瞬きもできず見つめた先、城壁の上からからまろび落ちる何かを見て、すぐにそれが肉塊であることに気付く。

 先ほどまで生きていた人間の、なれの果てであった。

 

(――ロシュ)

 

 逃げろと自らの背を押した手の主の、その姿を想う。

 

「嫌だと、言ったのに……」


 父のように慕っていた宰相のロシュも、ラスタ王の十剣と謳われた幾人もが王を守るために、私を逃がすために自らを捧げた。

 

「リリアン……クルーガー……」


 囀るように歌うように自分の世話をしてくれた侍女たちも、厳しくも優しい女官たちも、時には荒々しく剣の相手をしてくれた騎士たちも、野花を摘んでくれたあどけない子供たちも、もういない。

 

「どう、して」


 ささやかな幸せに溢れた、小さな国だ。

 国の半分以上を森林と水路が覆う。中央には城都があって、その裾野に大小いくつかの街がある。特殊な立地と事情から、小さな国ではあるが大国にも引けを取らない力を持っていた。また、そういった小さな国々をまとめて連合を組み大国の脅威に備え、補い合えるような仕組みを作ったのもこの国の王の発案だった。

 幾度と争いを仕掛けられたことはあっても、過去の教訓から二度とこの美しい国を焼くことはすまいと、独自の政策で切り抜けてきた。


「それなのに、どうしてなの。この惨劇はなに」


 城内の人間はそう多くなく、ほとんどの顔を見知っている。親しかった者たちを失う恐怖が足元から沸き立って、少女を襲う。

 どうしてこんな事になったのか、いくらそう問いただしても今となってはそれも全く無駄なことであった。

 美しかった城も最早、ただの墓標となりつつある。

 

「父上……ッ、トゥーラ…………!」


 彼らの最期を思い出して、とめどなく涙が溢れる。

 誰よりも尊敬していた父と小さく愛らしかった弟の、流れ出たさびた血の色。

 ゴトリ、と音を立て、冷えた石畳に沈んで行った姿。

 赤黒く染まり微動だにしない身体。

 きらきらと生気を宿していた緑色の瞳は大きく見開いたまま、もう二度と光を宿すことはない。

 叫んで掠れた喘鳴が、今もまだ耳の奥で響いている。

 

 助けたかった。誰よりも大切な小さな弟を、助けたかった。

 愛していたのに。

 

「アウローラ様、今は、どうか」

「我が王の、亡骸を……捨て置けと言うの」


 おそらくその御首級は蛮族たちによって晒されるだろう。

 

「そんなことは、許さない」


 押し留めようとするのを振り切り、来た道を戻ろうとしたアウローラを羽交い絞めにしたその男の力は強く、振り払えない己の無力さに彼女は唇を噛み締めた。

 

「命令よ、離しなさいっ……!」

「貴女まで奴らの手にかかるなど、あってはならない。どうか、お父上のお気持ちを無駄になさらないでください」


 この勇ましくも美しい高潔の姫が、卑しい男たちの手に堕ちて汚されることなど絶対に許されない。今戻ったら、死ぬよりも恐ろしい目に遭うことは目に見えている。奴らが騎士道精神を持ち合わせた人間だとは到底、思えなかった。

 まだ幼い王子の身体に無残に突き刺さったいくつもの剣が、それを物語っていたのだから。

 私たちの、掌中の珠。

 彼女が執務の打ち合わせのために惨劇の場所から遠く、自分たちと共に騎士団訓練場の近くにいたことは、今となっては救いであった。

 

「私はこの国を守るために存在している。このまま逃げるなど……!」


 王族としての義務――国を、民を守るために自分たちが在るのだと、そう教えられ、そしてそれを信じ自らに課してきた。泣き叫ぶ声を、祈る声を、無視して逃げる訳にはいかない。

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