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「厄介者」―名前すらないそうだ―は、街の外れの板小屋の中に住んでいた。ただ五つの板を釘で打ち合わせて、犬小屋のように入口を丸く開けただけの代物だった。申し訳程度に上半分に分厚い布がかけられていた。
「居るかい?お嬢ちゃん。」
少しの間のあと、銀髪の娘がすーっと顔を出す。不思議なほど生気が感じられないのも、今では納得がいく。よく聞けよ、と俺はにこやかに言った。
「俺は人さらいだ。今からお前をさらおうと思う。さらわれていいならこの手を取れ。」
娘はしばらく俺の顔を眺めていた。ほとんど顔には出なかったが、胸中には様々な思いがあるに違いなかった。俺はそれを確信した。心配は要らない、この娘は多分俺についてくる。
長い長い間があったが、娘はゆっくりと俺の手を取った。そして、笑ったのかなと思えるくらいに唇を動かした。
「よし。」
俺は彼女の手を握り返して、握手をした。
「よろしくな。」
娘は頷いた。
街を出る前にやることがある、と俺は娘に言った。
「ついてきな。」
俺が歩き出すと、黙ってついてくる。俺は昼間のおばさんに聞いておいた町長の家を訪ねた。小さいが住み心地のよさそうな家だ。おそらくはこの街で唯一だろう、鍵のかかるドアがついていた。俺はそのドアをノックした。
「どなたかね。」
「昼間、広場であった騒ぎを聞いてるか?」
少しの沈黙のあと、鍵の外れる音がしてドアが開く。
「あんたかね、あの盗賊団をやっつけたってのは…。」
小柄な割に顔と鼻のでかい年寄りだった。
「そうだよ。」
待っててくれ、と言うと彼は中にいったん引っ込み、すぐに戻ってきた。
「貧しい街でね。少ないけれど、謝礼だ。受け取ってくれ。」
俺は袋を受け取った。金貨30枚程度、といったところか。
「金のほかにもうひとつ、もらっていきたいものがあるんだが。」
なにかね、と言いながら外に出てきた町長は、俺の後ろに居る厄介者に気づいた。
「あんた…。」
「厄介者なんだろ?俺が頂いたってかまわないよな?」
「しかし…。」
「言い伝えのことなら心配要らんよ。」
「それはどういう…?」
「呪いは終わる、今夜には。確実にな。」
「あんたにはその確信があるのかね。」
「ああ。」
「…わかった。だが、本当だろうな?」
俺はちょっとだけ目に力を込めた。
「保証するよ。確実に終わる。」
俺はそう言うと町長に別れを告げて、娘を連れて街を出た。町長は少しの間俺たちの後姿を眺め、静かにドアを閉めた。
一時間ほどして、陽も完全に落ちたころ、俺たちは街を見下ろす崖の上に居た。
「街の中で大体のことは訊いたよ。だが、お前自身に確かめておきたいことがある。」
うん、と娘が頷く。
「あの街の中に、お前を殴らなかったものは何人居る?」
娘はすぐに首を横に振った。
「あの街がとんでもない事態になって滅びるとしたら、嬉しいか?」
娘は微動だにしなかった。だが、目の中に一瞬宿った光を見て、俺は確信した。俺は笛を吹いて鬼蜘蛛を呼んだ。
「また食いものが欲しいのか?」
「いや、お前にたらふく人間を喰わせてやる。」
「おい、そりゃほんとかい。」
「この崖の下の街だ、食いきれないなら女と子供は残していい。ただし…」
俺は後ろに居る娘を手招きして呼んだ。無表情な娘も流石に鬼蜘蛛にはビビっているようだった。
「この娘と同じ血のにおいがするものは全部喰え。喰らい尽くせ。」
「訳アリってやつか。」
俺は頷いた。鬼蜘蛛はのそのそと崖を降りて行った。
「俺は悪者だからな。」
と、俺は娘に言った。
「あの街はどうも気に入らない。根絶やしにする。いいな?」
娘は初めてにっこりと笑って、頷いた。笑いながら、大粒の涙をぽろぽろとこぼしていた。