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僕の落とした左手を  作者: 宇野 伊澄
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 私は満開に咲き誇る桜の並木道を駆け抜けた。手には一輪の花。卒業式で生徒全員に配られたものだ。

 ローファーで地面を蹴り、何度も通ったアトリエの前で足を止める。明りがついていた。長い階段を登りきり、鍵を解除する。ドアを開けるなり中に飛び込んだ。


「水無瀬さん!」


 勢いよく上がりこんだ先で、水無瀬佑は座ったまま壁にもたれ掛け、首を垂れていた。


「寝てるの?」


 返事はない。そうっと近づき、佑の前で腰を降ろした。下から顔を覗く。目を瞑っていた。思わずふふっと笑みがこぼれる。

 もっと寝顔をみようと思った。視界を遮る彼の髪をゆっくりとはらい、さらに近づく。愛おしい顔が、目の前にあった。頬が熱くなるのを感じる。もっと、もっと、もっともっと近づいて、その唇に――


 ふと、目があった。


「わあっ」


 私は反射的に跳ね除け、尻餅をついてしまった。どうやらあのタイミングで目覚めてしまったらしい。佑は目を擦り、大丈夫?と微笑んだ。


「だ、大丈夫です……」


 きっと顔は真っ赤になっているだろう。恥ずかしくて顔も背けてしまった。

 この後どうしようかと頭の中をぐるぐる巡らせていると、背けた視線の先に、部屋の壁にギリギリ収まるくらいの大きなキャンパスを見つけた。


「え、これって」

「あぁ、要ちゃんの卒業祝いにと思って。ちょっと大きすぎたかな」


 そう言って笑う佑の横で、私はごくりと喉を鳴らした。

 三角座りで頭を埋める絵の中の少女。その背中には今にも飛び立ちそうな大きな翼が生えている。背景には桜の花びらがあらん限りに舞っていた。視界いっぱいに広がる鮮やかな景色は幸せなくらいずしりと重い感動に沈んだ。


 少女にはたくさんの可能性が秘められているのだと感じさせるような一枚だった。約束されていない未来が輝き、希望の入り口が見える気がした。


 もう立派に飛べるよ。


 そんなことを、言われているようで。どうしようもなく笑顔が絶えなかった。


「張り切ってこんな大きいもの描いちゃった。今日が待ち遠しくてさ」

「水無瀬さん」


 佑は首を傾げる。私は振り返り、力強く言い放った。


「さいっこうに感動しました!」


 そうして満面の笑みを向ける。佑も笑みを返してくれた。


「うん。要ちゃんの笑顔も含めて、最高の作品になった」


 私は照れつつも静かに頷き、そしてまた絵に視線を戻す。彼がこの絵を書いているとき、どんな表情だったのだろう。わくわくしていたのか、それとも真剣に向き合っていたのか。知りたくて知りたくて、また絵に夢中になった。


 しばらく眺めていると、ふいに右手に触れるものがあった。吃驚して振り返る。

 彼が私の手を握っていた。


 何度も繋いだことのある手なのに、一瞬で顔が沸騰したようにまた熱くなった。お互い見つめあったまま、佑はさらに手をゆっくりと引く。握られた手は熱く、優しかった。

 だんだん二人の距離が近づいていく。私は引き寄せられるままに体を預けていた。息があたるくらいまで顔が近づいて、すでに彼がなにをするのか想像できた。想像できたから、心臓がうるさく音を鳴らしていた。


 寸前で目をあわせる。佑の頬も赤く染まっていた。

 唇が触れ合う。


 ぎこちない二人のキスは、長く続いた。握られた手はいつの間にか、お互いを求めあうように絡められていた。

やがて唇が離れる。


「ただいま」


 佑の耳に囁く。

 嬉しくて嬉しくて、なかなか口元に現れた笑みは抑えられない。佑は握られた左手をそっと離し、私の頬に浮かんだえくぼに手を添えた。それはとても幸せに溢れた表情だった。


「おかえり」


 そう言って、あたたかく私の体を包み込んだ。

 抱きしめあって顔いっぱいに浮かんだ二人の笑顔は、いつの日か宙に描いた笑顔とそっくりだった。

最後までご覧いただきありがとうございます。

ご感想・アドバイス等いただけると嬉しいです。


次話で最終話となります!

後ほど更新いたします。

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