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僕の落とした左手を  作者: 宇野 伊澄
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 カタカタと、やかん蓋が揺れだした。


 それを合図に、あらかじめ茶葉を入れておいた急須にお湯を注ぐ。

 湯気で台所は真っ白になった。

 白くなった空気を手で払い、視界が良くなったところで湯呑みを二つ取り出す。それらを居間まで一つ一つ移動させ、全部終えるとコタツで足を温めながら急須のお茶を湯呑みに均等に注いでいく。


「ばあちゃん、はいお茶」


 ばあちゃんはコタツの向かいに座り、新聞を広げ、老眼鏡をかけて読んでいた。

 声に反応し、目だけを湯呑みに向ける。


「はいはい」


 新聞を半分に折り、老眼鏡を外して首から下げる。

 片方の湯呑みに手を伸ばして軽くすすった。


 交通事故で両親を亡くした僕は、中学三年の夏から大学に入るまでの約四年間、ばあちゃんの家でお世話になった。だからたいていの手伝いはできるつもりだ。

 急須の入れ方も片手じゃ無理だと思っていたが、何度も練習するとできるようになるものだ。今ではなんなくこなせるようになった。


 久しぶりに訪れたばあちゃんの家は、昔と何も変わっていなかった。

 部屋もそのままにしてあるし、和室の隅に置かれたそれっぽい熊の置物も相変わらずだった。


「で」と、ばあちゃんは湯呑みを置いて、真正面から向き直る。


「あんたはいつになったら働くとね」

「大学卒業したらだよ」

「大学だってろくに行っとらんくせに」


 やはりばれていた。あまり隠す気もなかったけれど。


「それは、ごめん」軽く目線を外した。


「それより、食事なんかはどうしとん。バイト代だけじゃ持たんやろ」

「まだあの時のお金残ってるんだよねぇ」


 ばあちゃんは鋭い視線を向ける。外した目線が戻すに戻せなくなった。

 やがてばあちゃんは諦めたように湯呑みに視線を戻し、ふぅとため息をついた。


「過去に頼りすぎばい」


 ずずず、と音を鳴らす。


 あの時のお金、というのは僕が「奇跡の右手」で有名になってから事故に至るまでに絵で稼いできたものだ。当時中学生だった僕にはひとつ絵を描くたびに入ってくる収入があまりに大金すぎて、今までまともに使ってなかったのだ。

 アトリエを購入したところでいくつかケタは減ったが、それでも大学生にあがった今になっても余るほど持っていた。


「もう、絵は描かんのやろ?」


 今度は、ばあちゃんは目を見ようとはしなかった。

 これが、この人なりの心配の仕方なのだ。

 心配されているとわかっていても、嘘はつけない。


「うん、描かないよ」


 そうかい。と小さな声でつぶやき、ばあちゃんはまた新聞紙を広げた。

 老眼鏡はかけていない。

 僕はすでに冷めたお茶を飲みほした。


「そういえば」僕は湯呑みを置いて一息ついてから話す。

「昨日も、同じ質問された。知らない女の子に」


 ばあちゃんは新聞紙をめくる手を止めた。


「知らない子?誰だい、それ」

「公園でたまたま知り合ったんだ。僕の、絵のファンだって」


 要と出会ってから現在に至るまでの経緯をひとしきり話す。

 聞き終えたばあちゃんは、片眉を吊り上げて変な顔をしていた。


「あんた、知らない女子高生を家にあげたと」

「断れなくて、さ。でもサボってたから、もっと不良っぽい子かと思ってたけど、普通にいい子だったんだよね。なんでサボってたんだろう。僕でも高校は行ってたし」


 ばあちゃんは、今度は悲しそうな顔をしていた。

 ころころと表情が変わるなぁといつも思う。

 そういうところは、少し要に似ている気がした。


 ばあちゃんはそのまま、ゆっくりと語りかけるように言った。


「どんな家でも、思いがけない秘密を持っとるもんよ。うちみたいに」


 ばあちゃんは後ろを振り返った。僕もつられて首を向ける。

 両親の遺影と目を合わせた。


「そうだよね」


 うちを例に出されちゃ、納得するしかなかった。

最後までご覧いただきありがとうございます。

ご感想・アドバイス等、ぜひお待ちしております。



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― 新着の感想 ―
[良い点]  優しい物語で走りながらも、奥底にある闇に近い悲しみが表面に浮き出ている良い作品だなと思いました! [一言] ツイッターでの企画参加ありがとうございました! これからも素敵な作品を書き続け…
[良い点] 文体が柔らかくスラスラ読めます。作者さんの表現したい世界を優しく包み込んでいるような印象でした。 [気になる点] その分、地の文で一人称と三人称が混在しているのがもったいないと思いました。…
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