モーグチート
「ギーヴ君、きみにはハナさんに似てほしかったんです」
執務室で対面のソファに座るなり、父親はうつむき加減ののまま、ようやくちびっさい声でそうのたまわった。
親のどっちかに似る似ないは、5歳児でしかない自分に言われてもどうしようもない。はっきり困る。
しかも勝手に悲壮感漂う父親にハテナハテナだ。めちゃくちゃ引きつりながら、いい子の僕は言葉を引きずり出す。
「・・・本音の毒づき方は、ハナさん譲りだと思うんですが」
「そ、そういうことじゃあないんですよ」
はぁと、父親がため息をつく。
こういうところは父親に似てる、と僕は気づく。
「ーーとにかく行ってから話そうかい」
「どこに?」
父親が立ち上がるので僕も立ち上がる。父はドアではなく、執務机の後ろに回りながら僕を手招きした。
執務用の年季の入った椅子を横によけると、床に魔法陣が彫られていた。彫った部分の溝が丸くなり、ところどころ文様や文字が不自然に詰まっている。
「古い転移陣です。代々ここにあって、当主になった者が追加したり、新しく変えたり」
「王宮や神殿で見るものと違う気がします」
「モーグ家秘密のオリジナルですから」
秘密のオリジナルって、と僕は呆れる。
魔術ってそんなに気軽なものですか?魔法ってそんなに自由自在に変えられるものですか?
違うって、家庭教師のベニス教授に聞いたばかりなのですが。
「さぁ、乗って。君の残念な〈象徴〉の鎖も解くから、自分で意識するんですよ」
父親は、僕の肩に半身をぶら下がっている黒蜥蜴もどきに、手をかざす。
黒蜥蜴もどきの尾に絡まっていた鎖が消える。瞬間、腹の底がかっと熱くなった。この間みたいに気持ちが悪くなることはなかったが、何かが引きずられそうになり拳を握る。
「行くよ」
魔法陣の中心に二人で立てばブンっと、魔力が肌を撫でる。
一瞬で、周りの風景が侯爵家の当主の執務室から、古い本棚に囲まれた部屋に切り替わる。
「ここは、書斎ですか?」
「・・・や、病んだ代々の当主のね。周りにあるのは本ではなくて、その当主たちの暗い日記だよ」
「病んだ当主たちの日記ですか?こんなに病気に?」
本棚に並んだ日記の数は、100冊を超えていた。
こんな人数が病気とか、侯爵家特有の病気があるのだろうか。
その予想は半分あたりで、半分ハズレていた。
「1人1冊ではすまないから。あ、ギーヴ君が想像する肉体の病ではないですよ。精神の病の方。侯爵家の当主や嫡子は高確率で精神を病むんです。君のひいお祖母様の日記がここに、僕の日記がそこの棚にあるから自由に読むといいです」
「テドさんの!?僕が読んでいいんですか!?」
父親の日記を読むのはなんだか気恥ずかしい。
「ここの知識を使う代償ですから。病んだ初代が定めたルールなのです」
父親が自分の日記の隣から新しい背表紙の1冊をとりだし「これがギーヴ君のです」と、何も書かれていない日記帳を僕に渡してくる。
「僕も書くんですか!?」
「5歳で病んだのは君が初めてですね」
まさかの病み認定、しかも初日記。
「でも記述が難しければ、書ける言葉を連ねるだけでもいいと思います。うん、ルールには抵触しません」
父親にそう言われて、僕の矜持がやんわりうずく。
5歳児という年齢のわりに僕は話し方やマナー、考え方が大人びているとよく言われる。7歳になってやっと使えるようになるという魔法も、回復魔法だけだが少し使える。
でも、文章を書くことだけは年相応に苦手だった。文語は口語よりずっと難しい。だけど、できないと言いたくなかった。
「いえ、ちゃんと書いてみますーーでも何を?」
「それは君の〈独占欲〉について、ですかね。
実は・・・ハナさんに聞いたんです。ギーヴ君はフランチャスカ侯爵のお嬢さんをどうしたいですか?」
「どうってーー」
僕が本気で戸惑うと、父親が頭をぽんぽんと叩く。
「モーグ家はーー昔から法律家の家系でしてね。几帳面で真面目でルールを破ることを嫌う家風なんです。ただでさえ上位貴族の家柄で、遡れば他国の姫君が降嫁してきた由緒正しいカビの生えた家系なのに。自由にならない事の方が多いのですよ」
穏やかに話しながら、部屋の中央に置かれているソファに座るように促された。
「無理をして、心を病む者が出ましたーーでも、ただ病むだけではすみません。心を壊しながら暴走するので、それをコントロールする知恵として、この部屋が作られました」
父親の薄い表情がだんだんなくなっていく。
「人の夢を操る術、人を魅了して操る術、人を闇空間に落とし込む術、病巣を植え付ける術、薬や毒といった便利のいい道具を病んだまま、ふふふ、自在に創り出してきました」
「あの・・・テドさん。それって禁呪とか黒魔術とか言うものではーー」
「モーグ家秘密のオリジナルですよ」
きっぱり言い切られ、僕は言葉を失う。
「日記を読めばわかるでしょうが、モーグ家の血筋は魔力量が多く、真面目に極めるので、オリジナル魔法を生み出しやすいのです。ですので、出来た魔法は既存の方法とは異なるのです」
「もしかしてテドさんもーー魔力量すごいのですか?」
父親は不幸そうにうっすら微笑む。
「ーーどれくらい?」
興味本位で聞いてみる。
僕がわかる範囲でも、敷地全体に不可視で結界を張りつつ修復し、その後に僕の黒蜥蜴もどきにも魔法を使っていた。他にもクリス母さまの回復魔法を毎日かけていることを考えると、相当な魔法量ではないかと思ったのだ。同時にいくつも魔法を重ねるのは難しいと、家庭教師に習ったばかりだった。
「もしかして国で五本指とか十本指とかに入るぐらいとか?」
「・・・量でいえば、僕より多かったのは君と死んだお祖母様ぐらいしか知りません」
それって魔術師長よりも?王族よりも?まさか国一番っていうんじゃあーーと思い至って、僕が目を見張ると父親は威張るどころか小さくなる。
しかも、僕!?
「ギーヴ君、たくさんあってもね、使い方が問題なんですよ。僕達モーグはそういう意味で真面目で融通がきかない。病んでいてさえ真っ直ぐに、自分の欲望以外に興味がないんですよ」
「病む・・・」
「君にもわかりますよ、この虚しさが。ここの日記に記された数々の身勝手さが」
仲間のように言われて、嬉しくない。だがここにある日記を読めば、オリジナル魔法を知ることができるのは分かった。
魔法制御を覚えれば、使えるようになるのだろうか。
そこでようやく気づく。
「この黒蜥蜴ーーもしかして僕のオリジナル魔法でできたものですか?」
自分の才能に期待してワクワクと尋ねると、あっさり首をふられる。
「それは病んだ〈象徴〉ですーーそれを教えるためにここに呼んだんです」
そう言って父親は立ち上がり、続き部屋の古いドアを開けた。