独占欲
話を聞いた後は、なんだか僕らしくなかった。
薄笑いも浮かべられず、ぼんやりと母親が話す言葉を耳に入れる。
お茶会では、フランチャスカ侯爵夫人とエルバーラは馬車の事故で、王子よりも遅れて到着していたらしい。やって来てからは、エルバーラは大人の方に混じって王妃様の話に加わっていたこと、王妃様はエルバーラを第二王子の婚約者としてなるべく早く公表したいと思っていることなどを、上位貴族の婦人たちに率直に語られていたらしい。
どうりで幼獣たちの間をいくら探しても、見つけられなかったはずだ。
そこまで聞いて気持ち悪くなった僕は、腹の底にたまる澱みの卵を抱えて早々に部屋に戻った。
それから何日か、気持ちも体調もぐちゃぐちゃになったままだった。
頭の中は彼女との少ない記憶でいっぱいだった。
繰り返し思い返せば、全身がギリギリきしみ熱を持った。腹の底が重苦しく、気持ち悪いのに頭の中では彼女のことばかり考える。
なんの呪いだろうか。
それとも特殊な魔法にかかってしまったのか。
クリス母さまはもちろん、母親にも父親にも相談できなかった。自分でもよくわからなかったからだ。
彼女が第二王子の婚約者だと知ったくらいで、こんなふうになる自分が本当に不思議だった。
彼女のことを考えないようにしようと思ってもできずに、それを何度も繰り返すうちーー僕はとうとう熱を出して寝込んだ。
そして何日も熱に浮かされ、ある真夜中に目がぱちりと覚めた。
そして床のラグの上に、何かがいるのを感じた。
見なくても〈ソレ〉の存在が分かったのだ。
履物よりは大きくない。黒い生き物。
僕は熱が引いてようやく軽くなった身体を起こし、ベッドから降りて〈ソレ〉に近づこうとした。でも〈ソレ〉は逃げるように素早く動きラグから、ベランダに出る硝子の扉に張り付いた。
外からの月明かりで無気味に浮き上がった〈ソレ〉は、黒い蜥蜴のような長細い体をしており、背にトゲトゲの針山を背負っていた。
「魔物?」
見たことのない生き物だった。それなのに、コレは僕の腹の中にいたモノだと、なぜか感じる。
もっと良く観察しようと近づいた時、部屋のドアがノックされ、返事をする前に誰かが勝手に入ってきた。看病してくれた侍女かと思ったら、それは外出着を身に着けたままの父親だった。戻って来たばかりなのか。
「テ、ドさん?」
父親は今まで一度も僕の部屋に来たことがない。しかも見たことがないほどの厳しい表情を浮かべていた。
驚いてそれ以上言葉をかけられずにいると、父親が部屋をズカズカと横切る。硝子に張り付いた〈ソレ〉を右手で鷲掴みつつ、左手を窓の外にかざした。
その瞬間、窓の外を覆う六角形の光の網目が浮かび上がる。手で探っていた父親が光が薄れている場所を見つけて魔力で塞いでいった。
「家の結界が・・・?」
「結界が破られればクリスの命は終わる。たとえ息子の君でも、クリスを害するならば許しません」
いつもの控えめな父親とは迫力が違っていた。全身から溢れ出る魔力と怒りの威圧に、僕は冷や汗がにじむ。
ごくりとツバをのみこんだ。
「ーー結界があるって知りませんでした」
「なら、知りなさい。君の魔力暴走でクリスは簡単に死にます」
「クリス母さまが!?」
血の気が引く。僕がいったい何をしたのか。
「まずは魔力制御ですね。本来なら学園でじっくり習うものなのですが、コレを産み出した君ならもう可能なのでしょう」
家庭教師に教わるようにと言って、父親は掴んでいた〈ソレ〉を僕の腕の中に放した。
ジャラリと音がするので確かめると、蜥蜴の尻尾に金の鎖が巻き付いており、そこから父親の魔力が感じられた。
「コレはーー君の〈独占欲〉です」
いつもの雰囲気に戻った父親が、僕の頭に手を置く。
悲しげに僕を見ていた。
「明日、改めて時間を取ります。体調を整えて、話をしましょう」
今日はもう寝るように、と言われてベッドの中に戻った。
出ていった父親の背中は、やはりいつもと違うように見えた。
そして〈独占欲〉ーー針山みたいな黒蜥蜴は、ほとんど身動きせず、枕の横でじっと僕を見ていた。