僕の婚約
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〈モーグ家の病んだ人々の日記〉は読み進めるのが難しい。
たぶん後世に読まれることに抗ったそれぞれの工夫の結果なのだろう。
普通の心情を綴った記述が、途中から古代語や外国語、神殿語などを混じえて書かれていたり、魔導具の設計で使う専門用語や法廷で使う畏まった言葉、数式や記号などが、無造作に散りばめられているので、読むだけでもかなりの学習になる。
全部を完読するにはそれなりに時間がかかるだろう。
せめて貴族学院を卒業していたらなぁ、もう少しスムーズに理解できたのかもしれないのに。
『お前、好きなんだろ』とジェムニールに自分の気持ちがバレて、色々未熟だと実感している。
なるべく早く自在に秘密のオリジナル魔法を使えるようになりたい。それがきっとうまく立ち回るために必要だと思うから。
だから夜はほとんど〈あの部屋〉に籠もって日記の解読をしていた。
「ギーヴ君、根を詰め過ぎですよ」
この部屋は作業部屋のような隣の続き部屋以外は、窓も扉もない。使用人も知らない場所なので、静かに集中できる環境なのだが、突然声をかけられるとビクッと驚く。
「テドさん、おかえりなさい」
振り返ると転移魔法陣の上に父親が立っていた。テドさんは、今日は夕食後の団欒に間に合わなかったのだ。
「もうそんな時間ですか?」
「寝る準備をする時間だとアンナが言っていました。ですが少し相談があるので、執務室に来ませんか?ハナさんがお茶を用意してくれています」
「執務室ですか?」
クリス母さまの『花園』じゃあなく?
不思議に思いながらも、僕は椅子から立ち上がり読んでいた日記を棚に戻した。
「順調に、剣術も魔法も習得しているようですね」
「剣術はまだまだですが、魔法制御はだいぶ分かるようになりました」
「オリジナル魔法も使えたようですね」
僕は頷く。
「理論が分かるとオリジナル魔法の方が起動が早いのはなんででしょう?」
「それはモーグの人間が必要な部分以外を徹底的に削ぎ取っていったからですよ。
ですが長い詠唱も起動に時間がかかるだろう魔法構文も、それはそれで魔法学においては意味があるのでしょう。特にモーグ家のオリジナル魔法は威力の大きさや自己防衛と言う観点からは危険なものです。目的を達成するためだけに特化していますからね」
諸刃の剣という言葉が浮かんだ。便利だからと多用すれば、いつの間にか自分の首を絞める状況に陥るーーそんな自分が容易に想像できそうだ。
「なるべく通常魔法を習って使います」
「その方が賢明ですね」
そんな短い会話を交わしながら、執務室に転移すると、ソファに座ったハナさんが待ち構えていた。
「遅い〜お茶が冷めちゃうわよ!」
「ハナさん、夜ふかしは美容に大敵なんじゃあ?」
「今日はいいのよ。ギーヴくんの一大事なんだから」
「僕の一大事ですか?」
テドさんはハナさんの横に座り、僕はその向かいに腰掛ける。
そのタイミングでハナさんがカップにハーブティーを入れてくれた。
テドさんが起きていれば必ず側に控えている執事が今はいない。ハナさん自ら、お茶を入れてくれるのはすごく珍しいことだ。
人払いが必要なほどの一大事なのだろうか?
「遅くまで起きてるとお腹空いちゃうわねぇ」
ハナさんは徹夜を楽しむ女子高生のように、用意していた茶菓子のクッキーをつまんでいる。
「で、僕の一大事って何ですか?」
紅茶を飲みひと息ついたところで聞く。
ハナさんとテドさんは気まずそうに顔を見合わせた。
「ギーヴ君に婚約の話がきたの」
「・・・こんやく?」
「はっきり言うわね。相手はマナリーナ王女さま」
「えっ、まだ2歳の?」
お披露目されていない、非公式の姫君である。王家のひと粒真珠と言われ、シャルモン王子の妹姫にあたる。
黙り込んだ僕に向かって、テドさんが淡々と説明した。
「王家からの正式申し込みですので、ギーヴ君には拒否権がありません」
「なんで僕なんですかっ、他に有力な貴族がいっぱいいるでしょう!?」
「ギーヴ君、この間フランチャスカ侯爵家で第二王子の侍従に会いませんでした?」
「殿下の側にいた人ですか?」
常に第二王子の行動を促していた年配の侍従を思い出す。
「彼は元1級魔術師で、モリラート王の懐刀のひとりです。会ったときに君の魔力量に気づいたようです。もともと王家は中立派のモーグ家と縁を結びたがっていたので、今回ギーヴ君が王族派のフランチャスカ侯爵家の嫡男と親しくしていると知って、これ幸いと父上にーーモーグ公爵家に申し入れがありました」
モーグ公爵は僕にとって父方の祖父にあたる。テドさんの兄が亡くなったせいで、祖父が引退すればテドさんが後を継ぎ、繰り上がりで僕が侯爵家を継ぐことになっている。間に養子を入れることも考えられるが、モーグ家が特殊であるために直系を殊更尊重しており、この予定が変わる可能性はない。その為、侯爵家においても、テドさんより祖父の方が決定権を持っていた。
「でも僕はーー婚約したくありませんっ」
自分が貴族の嫡男であることは自覚している。婚約話がただ嫌だ、で通る話でないことも分かっていた。いつかは妻を迎え子をなす義務があることも。
それでも、今の自分はエルバーラしか見ていないし、エルバーラしか守りたいと思っていない。
〈あの部屋〉に連れて行ってくれたことで、いつの間にか父親に自分の気持ちを認めてもらった気になっていた。なんとなく裏切られた気分になってうつむく。
「こんなこと言うとアレなんだけど、お相手はまだ非公式の姫君だし、3歳までの子供は突然命を落とすことが多いわ。それに成人までの間に、情勢が変わって他国に嫁ぐことになるかもしれないし、他の貴族の横槍だって入るかもーーつまりね、これから先、いくらでもこの婚約が白紙に戻ったり破棄されたりする可能性は沢山あると思うの」
「可能性は可能性ですっ。それに足枷をつけられるのはごめんですっ。なんとか断って頂けませんか?」
ただでさえ、エルバーラの婚約者は第二王子のシャルモンなのに、面倒事すぎる。
「断れません。ギーヴ君、王家を隠れ蓑にするぐらいの気概がなければ、運命は捻じ曲げられませんよ。欲しいものもその手で独占できません」
「そうよねぇ、もっとしたたかでないと」
「ギーヴ君、〈あの部屋〉の初代の日記は読み終えましたか?」
「いえ、まだ・・・」
テドさんがハナさんを見て頷く。
「実はですね、このような事は過去にいくらでもあったのですよ。でもどれほど王家に望まれようと、モーグ家は王家と結びつくことを望みません。忠誠も誓ってはいません」
「忠誠も?」
「なぜか分かりますか?」
僕は首を振って両親を見る。
「ーー初代が暗殺したのです、当時の王を。復讐だそうです」
「・・・暗殺!?」
国法を重要視するモーグ家の女侯爵が!?ご先祖何してる!?
「詳細は日記を読んでください。ただ、初代以降も邪魔になる度、オリジナル魔法を駆使して王家の権力を、それとなくこっそりと排除していたようです。つまり中立でいることは大変で、王家に関わらずに家を残すのは『完璧なモーグ家』でも綺麗事だけではすまない、ということです」
「テドさん・・・」
「そんなわけなの。真っ直ぐに後ろ暗いモーグ家の気持ちはギーヴくんと一緒で、王家に関わらず中立のままでいたいんだけど、王様の命令には建て前上、逆らえないから。可哀相だけどギーヴくんには『姫様と婚約決定よ』としか言えないの。でも、ギーヴくんがそれが嫌で邪魔なら、ご先祖様の残した知恵を活用して、白紙でも破棄でもしていいわよってこと。でもくれぐれもバレないでね」
あっけらかんと軽く話をまとめるハナさん。
真面目な顔で王権に逆らう許可を出す両親に僕はいつもの呆れを発動する。
ーーなんでモーグ家ってこんなに面倒くさくて自由なんだろ。
ぼやきつつ、僕は仕方なくご先祖の所業を日記で調べ尽くすことにした。




