侯爵と侯爵3
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「死ななくて良かったぁ~でも背中がイタイよ」
狂猪に押し倒された僕は、必死に手足をバタバタさせている内に、ご先祖様の短剣が狂猪の急所を刺してくれていた。
その結果僕は、狂猪の下で魔物の血を浴び背中に打ち身を負った。
今はフランチャスカ侯爵家の客間で湯を借りているところだ。
『気持ちわるいなぁ。血の匂いってこんなにキツイのか』
そう考えるのは〈俺〉だ。さっき思い出した僕の前世。
前世の僕は、この世界と違う日本という国に住む26歳の成人男性だった。普通大学を卒業して、弁護士になる為のロースクールに再入学が決まったばかりだった。浪人もしていたので、日々のアルバイトと六法全書しか頭にない、平和なインドア男だった。友人も少なく喧嘩すらしたことがないという、おとなしい男。
そんな〈俺〉は戦うことそのものを嫌悪していて、浴びた魔獣の血がとにかく気持ち悪いと強く感じている。
ちなみに〈僕〉が感じるのは、初めて魔獣を倒したことの安堵と、ちょっぴりの興奮だ。
「だけど、どっちも〈僕〉だよね・・・」
〈俺〉も〈僕〉も、同じ僕であることに変わりない。二重人格ではなく、時々考えることや思い出すことが、僕の経験に基づかないものだというだけだ。
それに前世の全部を思い出したわけではない。名前や顔など細かいことは思い出せない。
「ずっと子供っぽくないって言われていたのは、知らないうちに〈俺〉の影響を受けていたからかな?」
だからって何かが変わる気もしない。
前世を思い出したあの瞬間は、衝撃を受けて混乱したが今は大丈夫そうだ。
僕は頭を振って、水気を払うと浴室を出た。
外ではフランチャスカ侯爵家の侍女さんが待っていてくれて、新しい服をくれたのだが、着替えの手伝いは断った。
だって恥ずかしいだろ?って感じるのは5歳プラス26歳の弊害だろうか。きっと自宅に戻っても、もうアンナに身体は拭いてもらえないと思う。
「よぉ!スッキリしたか?」
客室に出ると、ジェムニールがソファで寛いでいた。
「どうだよ、魔獣の肉を斬った感じは。気持ちよかっただろ、なぁ?しかも魔獣の熱い血を浴びるなんて、お前勇者だぜ」
「残念ながらほとんど記憶にないよ。ツノに当たらないように腕を突っ張ったから、腕も背中も痛い」
「あーあ。襲いかかられて、踏みつけられた昆虫みたいにバタバタしてたなぁ。あれは面白かった、ひひひっ」
「笑うなよ!剣を握ったのさえ初めてだったんだ。必死だったんだぞっ」
「怒るなって。間抜けでも魔獣を殺したのはお前だろ。心臓をグサッとひと突きにして、それでも暴れた狂猪から短剣引き抜いて、ブワッと吹き出した魔血に染まったお前は、本気で最高だった!
今までの奴ら、誰にもできなかったんだぜ。誇っていい。お前は面白い奴だよっ」
ジェムニールはうっとりとした表情で、僕が狂猪を斃した様子を語り誉める。でもその言葉に僕は色々引っかかる。
「・・・今までの奴ら?」
「学園にいる俺の下僕な」
「・・・」
「安心しろよ、お前は別だ。俺と同じ侯爵家の嫡男で、年下のくせに立派に魔獣を倒した勇者だ。怯えて服を濡らしただけのあいつらと違う」
じわりじわりと、ジェムニールの性格の悪さがにじみ出てくる。
今までも、招いた友人に無理やり武器を持たせて、魔獣退治をさせようとあの鉄箱の中に連れ込んだのだろう。
やっぱりやり慣れていたのか。俺は迷った末、あからさまに顔をしかめた。
「ーーいい経験だったと思い込むことにする。でも不意打ちは好きじゃないんだ」
「悪かったよっ、もうしねぇから。
それよりお前、ちゃんと剣を習え。剣の練習しろよ、そんで俺と狩りにいこうぜ」
「まさか魔獣狩りっとか言わないよね?」
「それ以外にあるのか。強い敵ほど倒したときが最高に気持ちいいんだ、お前にも分かるだろぉ!?」
キラキラした純粋な瞳に、ただの脳筋バカにはない残虐さが見える。
同意を欲しがる相手を拒絶した結果、逆上する異常者の怖さを〈俺〉は法廷見学で何度も見たことがあった(らしい)。僕は慎重に返事を返す。
「すぐは無理だよ。足手まといになる」
「じゃあ俺が教えてやるっ」
ジェムニールがまた突拍子のないことを言い出す。
「一緒に練習したほうが上達が早いぞ!よっし、ブンドルに聞いてくる」
「ブンドル?」
「護衛騎士で剣の家庭教師だ」
鉄箱の中にいた2人のうちのひとりだろうか。
「俺、聞いてくるからっ!」
「えっ!?決定?じゃあなくて、テドさんに許可もらわないとーー」
俺の言葉さえ聞かずにジェムニールは飛び出して行った。
勢いで客室のドアが半分空いたままになっている。自然にため息が出てきた。
「・・・これも目標達成の一部かな?」
僕は引き止めるのを諦める。
考え方を変えれば、これでこの館に来る口実ができたわけだ。
剣は好きでも嫌いでもないが(〈俺〉は嫌いだが)習っておくにこしたことはない。成長するにつれて、エルバーラの命は狙われるはずだから、魔法に頼るだけの力の付け方はしたくない。護るためには色々な力がいる。
それにかなりヤバイ奴だが、利用しがいのあるジェムニールという友人ができた。きっと先々いろんな役に立つはず。
結果的にいい事ばかりじゃないかと、僕は笑いがこみ上げた。
「『ぼくはしなせずに、てにいれる』」
自分に刻むように、何度か小さく呟いた。
その時、開いたドアの向こうから女性の鋭い叫び声が聞こえた。




