その食材の名は
『誰も食べたことのないものを、食べたことがある』。
この時代で『ステイタス』と言えばそれで、貴族でも王族でも、誰でも、珍しいものを食べたことさえあれば、それは自慢できるし、他者から一目置かれる要素となるのだ。
だから、とあるサロンで、五人の男性貴族たちは語り合う。
「卿は『モッピロッキナホナール』というものを食べたことがあるか?」
「『モッピロッキナホナール』? ……お、おお! あの、伝説の……」
「そ、そうとも。いやあ、食べたことはないが……噂だけは、聞いたことがある」
「うむ、うむ。たしか、えー……肉、肉だったかな?」
「いいや、果物ではなかったか?」
「そうだ! 肉のような味わいの、果実……そう言いたかったのだ」
「なんでも濃厚な味わいだとか……しかし淡泊でもあり……」
「う、うむ、まさしく……」
「たしか……食べると力が湧く……のだったか?」
「そう、食べた者が、たちどころに一つの国を滅ぼしたという伝説が……あるような、ないような……」
複数人の貴族たちが、口々に『モッピロッキナホナール』について語り合う。
そこに――一人の男が現れた。
テーブルを囲んで話していた貴族たちは、その男を見て、おどろきの声を挙げた。
「『グルメ卿』!」
貴族たちよりそう呼ばれたのは、片メガネをかけ、髪をオールバックになでつけた、鋭い印象の男だった。
神経質そうな足音を響かせ、彼は貴族たちに近寄り――
「『モッピロッキナホナール』と言ったか?」
貴族たちは「ああ」「まあ……」などと、どこか端切れの悪い返事をする。
グルメ卿は「ふむ」と怜悧に目を細めうなずき、
「それは濃厚であり淡泊で、食べると力が湧く、肉のような味わいの果実……ふむ、情報をありがとう。興味が湧いた。それでは」
グルメ卿と呼ばれた男は、礼を述べると早足で去って行く。
残された貴族たちは口々にささやきあった。
「……その……『それ』は、本当に存在するものなのか?」
「……いや、その……」
「……本当は、ないのか。やれやれ……また多くの食材ハンターたちが振り回されるな」
貴族たちは気まずい空気を押し流すように、次の話題へ移っていく。
彼らはたった今話していた『モッピロッキナホナール』のことを忘れ、他愛ない話に花を咲かせていった……
◆
数日後。
「『モッピロッキナホナール』の用意ができた。卿らももちろん、召し上がるだろう?」
グルメ卿がそう言って貴族たちを集めた。
貴族たちはいぶかしむ――『モッピロッキナホナール』とはなんなのか? とざわめく者ばかりだ。
……他愛ない会話の中で出た、冗談のような名前だ。その名を最初に産み出したのが自分たちだということを、彼らはまったく覚えていない。
招かれるまま、グルメ卿の持つ『夕食城』へ向かう。
グルメ卿は朝食用、昼食用、夕食用、夜食用にそれぞれ城を持っており、それぞれ、食事時間によって城を使い分けている。
庶民のあいだでは『いちいち移動が面倒くさそう』と噂されている。
ともあれ招かれた五名の貴族たちは、夕食城のドレスコードに従い、色の濃い夜会服を身にまとって参上する。
夕食城一階をすべて使った夕食用ホールには、長いテーブルの最上座に、すでにグルメ卿が待ち受けていた。
首もとに真っ白いナプキンをつけて、座ったまま貴族たちを席に招く。
五人の貴族たちは序列に従いグルメ卿のそばの席に着き、うかがうようにホストの男を見た。
全員が着席し、彼らの前に食前酒が出されたのを見て――
グルメ卿が口を開く。
「本日は、みなさまより情報をいただいた『モッピロッキナホナール』を召し上がっていただこうと思います」
「……お、おお! そうであったな! なあ?」
「我らが噂していたのだ! ……そ、そうだな?」
「うむ。ええと、どういう話をしていたか……」
「たしか、えー……に、肉……だったかな?」
「う、うむ。そうだったような……」
貴族たちが引きつった笑顔で話題をパスしあっている。
グルメ卿はそんなやりとりを気にした様子もなく、食前酒を口の中で転がし――
「それは肉のような味わいの果実……濃厚であり淡泊で、食べただけで力が湧くという……」
貴族たちが一斉に『そうだ』とうなずく。
グルメ卿はここで初めて口元に笑みを浮かばせ、
「なかなか見つからず苦労したが、苦心のすえ、ようやく発見した。――さあ、召し上がっていただこう!」
グルメ卿が高らかに叫ぶと、どこからともなくメイドがカートを押しながら出現する。
そのカートの上には六つの皿があり、皿には一つ一つ、銀色の蓋がかぶせられていた。
音もなく全員の前に皿が給仕され、メイドは一礼して去って行く。
蓋は、外されなかった。
「ではお集まりのみなさまがた、お手数かとは思うが、手ずから蓋をとり、『モッピロッキナホナール』の見た目を、香りを、味を楽しんでいただきたい」
招かれた貴族たち五名は、互いに顔を見合わせた。
そして、ゴクリと緊張から生唾を呑み込み、うなずき、一斉に――目の前の皿にかぶさった、蓋を取る!
あらわれたもの、それは!
「おお、丸い……!」
「いや、これは三角ではないか?」
「ああそうだ! 言われてみれば、三角でもある!」
「ずいぶん大きいな……それに、この色は一体……? 腐っているのか?」
「いや、質のいい魚卵を思わせる光沢がある」
「見た目だけでは味がわかりませんな。実食しましょう」
「う、うむ……食器はどれを使えばいいのだ……?」
「ナイフとフォークでしょう。この組み合わせは万能です」
「しかしスプーンで食べるもののような気もしないだろうか?」
「ああ、確かに、言われてみれば!」
「……いや、これは、スプーンとナイフでは?」
「なるほど! たしかに、言われてみれば、スプーンとナイフだ!」
わいわいと言葉を交わす貴族たちを、グルメ卿は満足そうに見ている。
なにも語らない――彼が珍しい食べ物を他者にふるまう時はいつもそうなのだが、『見たことのない食材に、初見の者たちはどう対応するか』を観察する傾向がある。
だからグルメ卿は、貴族たちを促した。
「……さあ、私はすでに一ついただいております。みなさま、遠慮などなさらずに。合わせる飲み物も実に様々なものをご用意してございますので、ご自由に、未知の食材をお楽しみください」
貴族たちはまた顔を見合わせる。
そして、手に手に望んだ食器を持ち、実食を開始した。
ある者がナイフを『モッピロッキナホナール』に突き入れて言う。
「なんという柔らかさ! ナイフを入れればすぐに切れる!」
ある者がスプーンを突き刺して言う。
「なんだ、この弾力は!? 金属のスプーンがうまく通らんぞ!」
またある者は、フォークでつつきながら、
「ふむ、これは……こすれば、糸のようなものが表面からボロボロと剥がれ落ちる……これはひょっとして、皮であって、食べる部分は中にあるのではないか?」
ならば、とある者がナイフとフォークを用いて『モッピロッキナホナール』を真っ二つにしながら――
「……おお、たしかに! 中にまったく見た目の違うものが詰まっている!」
その声を聞き、貴族たちは大慌てで『モッピロッキナホナール』を真っ二つにしていく。
そして――
「ドロリとこぼれる乳白色のこれが、実なのか?」
「いや、このプルプルとした感触は……」
「むむむ……角度によっては黄色くも黒くも見える……」
「それになんだ、この、実らしき部分を露出させた途端にあふれだす、かぐわしい香りは……! 花のような……」
「……いや、これは、発酵した食物特有の、濃厚でネットリとした香りでは?」
「と、とにかく、食べてみよう」
全員でうなずき、それぞれ、『実』らしき部分を口に運んだ。
「……おおお! なんという香ばしさ!」
「しかし、苦い……! あまりに苦く、エグく、渋い……!」
「わかる、わかるぞ……! だが、それでいて、やはり甘い!」
「……たしかに。口内で転がせば、香ばしさと甘さが渾然一体となり、なんという不可思議な味わいか!」
「……どうしたことだ! 無性に体がほてってきた! 噛めば噛むほど、甘みとうまみが広がり、同時にどんどん体に力がみなぎっていく!」
貴族たちはたまらず、夜会服の上着を脱ぎ捨てる。
それからはもう、夢中で『モッピロッキナホナール』に貪りついた。
「うまい! サクッとした食感がたまらない!」
「なんという……このグネグネした、噛み切れないような弾力の中にこめられた、奥深い滋味……このような食物は食べたことがない!」
「噛み切る際にパキンと弾けるこれは、いったい……小さなつぶつぶのようなこの食感、これが弾けるたびに、濃厚な甘みが口いっぱいに……」
「あふれだすこの味は、たしかに肉を思わせる! 一流の料理人に焼かせたステーキのように、サクリとした表面の中にすべての旨みが閉じ込められ、口の中で爆発する!」
「おおおおおおお! おおおおおおおおおおおおお! 力が! 花の香りと酸味のある後味を楽しんでいると、無性に力が湧いてくる!」
貴族たちがもはや食器さえ捨てて『モッピロッキナホナール』にしゃぶりつく様子を、グルメ卿はニコニコと微笑んで見ていた。
すっかり、皿が空になったころ――
グルメ卿が口を開く。
「みなさま、『モッピロッキナホナール』は楽しんでいただけましたかな?」
貴族たちから、同意とも歓喜とも獣の声ともつかぬものが上がる。
グルメ卿は満足げにうなずき、
「それでは、食後のデザートとして、『トゥルリクイニッヒ』を召し上がっていただきましょう」
貴族たちが咆える。
こうしてグルメ卿の名は、また謎多き料理名とともに有名となっていくのだった――