2.スライムとの遭遇【ビオラ】
魔法使いのビオラは、魔物の世界に足を踏み入れるのは初めてではない。
この草原に立ち入ってビオラ達を出迎えたのが、何かおかしい気配だということを感じ取ることができた。
どうやら待ち伏せをされていたらしい。
この森が人間の世界との境界であることを分かって、そこを通り抜けてくる人間を攻撃せんと待っていたのだ。
最初に姿を現したのは、水色のスライムだった。
スライムは元々人間に対して無害な存在だ。知的レベルは低く、魔力を発揮することはあるものの、好戦的な種族ではない。
だが――ビオラが二、三歩近づくや、それは身体の一部を飛ばしてきた。
ビオラは後ろに飛びすさりながら臙脂色の表紙の魔法書を取り出し、炎の呪文を唱えてスライムの攻撃を相殺する。
熱した鉄に水を垂らしたようなジュウ、という音。
異変に気づいたオズモが、槍を構えてこちらに近づいてきた。
彼はスライムを見るのも、魔法の力を目にするのも初めてなのだろう、困惑した視線がスライムとビオラを行き来する。
ビオラのブーツの先、みずみずしく茂る短草の上で、無害であるはずの青い魔物はうねりながら再び攻撃してこようとする。
何かがおかしい、と思わせた。本来ここに棲んでいるはずの魔物が持つ雰囲気とは、明らかに異なっている。
ビオラは再び炎の呪文を唱える。緑の目の奥に火花が散り、掲げた手に誘われるように炎の玉が飛ぶ。
紅蓮の炎に包まれた魔物は、金属質の耳障りな断末魔を上げながら、やがて小さくなって消えていった。
「わあっ」
その次に聞こえてきたのは、ずいぶん人間らしい悲鳴だった。
ビオラも、立ち竦んでいたオズモも、声の方に目をやる。
「な、な!? ええっ」
意味を為さない言葉を口走りながら、クライス少年が奇妙な踊りを踊っている。
イバンは愉快そうに、ルキは不愉快そうに、その様子を見て何か言っていた。
ビオラは一息ついて、オズモ、と隣の男を呼ぶ。
彼とは会って間もない。そして声を聞いたのは、数十分前に彼が名乗ったとき、ただ一度だけだ。
だが、彼の目は口よりもずっと雄弁だった。褐色の瞳が揺れるのを見れば、彼が葛藤していることは充分すぎるほどに分かる。
「待ってました、ってところみたいね」
そう言って、さらに姿を現した数体の魔物たちに目をやる。オズモも同じ方向を見つめた。
先ほどビオラが燃やしたスライムと同じく妙な雰囲気をまとっている、いくぶん大きめのスライムと、青白い鬼火の魔物であるウィスプ。
それらを目にしたオズモが、槍を構え直す。未知の存在を前にしたときの戸惑いは、先ほどよりもずっと薄くなっているようだ。
彼には背中を預けられる、とビオラは直感した。彼は優しい人間だ。いざとなれば自らの身を挺しても、ビオラのことを守ってくれる。
「大丈夫ね?」
ビオラが囁きかけると、オズモが不意を突かれたような表情でこちらに目を向ける。
話さないことはビオラにとって大した問題ではない。彼は自身の心の中を一つずつ手に取ってみないと、納得ができないのだろう。
「考えるな! 感じろッ!」
向こうで高らかに叫んだのは、きっとあの男だ。