5.あのときのこと【ビオラ】
ビオラも旅をしてこの町に来た。
ゆえに、黒いマントの男と同様、この教会堂に一晩屋根を借りることになった。
褐色の髪の青年はどうやら町に泊まる場所があるらしく、表情でそれを語って無言のまま去っていった。明朝集合、というのは心得たようだった。
にこやかに食事をふるまってくれた老僧ボルダーに対し、金髪の僧女の方は愛想というものが一切ないらしい。ビオラとまともに言葉も交わさぬまま、自室に引っ込んでしまった。
ビオラは一人、狭い客室の寝台に横になる。明日からは、しばらくこうして安全に眠ることはかなわないかもしれない。
不思議なことに、僧侶たちは今日起きることを知っているかのようなふるまいをした。
いや、今日という日――森を抜ける戦士たちが現れる日――が訪れたときにどうするのかを、あらかじめ決めていたのかもしれない。
金髪の僧女が「待っていた」と口にしたのは、まさしくその証ではないか。
だが彼らもきっと、この旅がどのような結果に終わるのかまでは知らないに違いない。
――お前さんには目的があるようだ。
魔物に出くわしたあの森で、黒いマントの男が言った言葉を思い出す。
ビオラにとって、目的ほど明確なものはない。唯一欲するものであり、決して揺れはしない確かな存在。
しかしどうやらこれは、今日出会った同行者たちとは分かち合えない感覚のようだ、と思う。彼らはおそらく、自らの心の奥底までを支配してはいないのだ。ただ、それが彼らを導くものであるのには相違ない。
――ただ。
あの男だけは、そうなのだろうか。
ビオラは思い出す。
過去の情景はいつも、ありありと再び鮮明に蘇る。
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大木の根元にうずくまるようにじっとしていたその怪物は、ゆっくりと首を動かし、ビオラを見据えた。
黒い翼、筋張った皮膚、深紅の双眸。
魔物は赤黒くそまった歯をむき出し、喉を震わせた。
ビオラはただそれを見て、立っていた。
魔物はねばつく血液にまみれていた。狩りを終えたところなのだろう、鮮やかな色は人間の血、そして魔物自身も暗い色の体液を垂らしていた。
これは“生きて”いるのか? それともただの獣か?
生き物ならば、殺戮に対して、何を考えている?
ただの本能か? 嫌悪か? それとも愉悦か?
これはガーゴイルではない。
ビオラには未だ、知る必要がある。
人が近づいてくるのは分かっていた。それも、猛烈な勢いで。
ビオラは恐れてはいなかった。
『あなたも南から来たんでしょう? どこに行くの?』
ビオラの目の前で魔物を殺した黒いマントの男は、剣をおさめると何気なく返事を返した。
『察しているかと思うが。もちろん、この森を抜けるのさ』
『ふうん……。何も知らないから、そんないいかげんな言い方するのかしら。それとも、何もかも知っているの?』
ビオラは“死”骸となった黒い怪物を、じっと眺めながら、尋ねた。
彼が何と答えるのか、知りたかった。
『“いいかげん”って言葉、どうも使うのに抵抗があるなあ。“なおざり”って意味だと分かっていても、どうも“ちょうど好い加減”なのかと頭をよぎる。言葉ってのは変わっていくものだなあ。いや、諸行無常か。変わらんものなど何もない。……しかし俺は変わってないんじゃないかな。子どものときから同じようなことを考えていたような気がする。子どものときはもっと可愛かった。今はこんなに立派になって……』
そんなことをのらくらと答える男に振り向いてちょっとにらんで見せたところ、彼は弁解するように肩をすくめた。
『別にはぐらかすつもりはないぞ。できることならイエスかノー、黒か白、有罪か無罪、はっきり答えたいと思っている。いいか、俺はきみが“何もかも”と言うのがどれくらいか判らん程度には、ものを分かってる。どうしてそんなことまで知ってるのかと訊かれたら――困っちゃうけどね』
彼の答えは、本人が自負するほどにははっきりとしていなかった。
『……はぐらかす気まんまんなのね』
『そう?』
あきれ顔をして見せると、彼はくすぐったそうに笑った。
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死とは、と、あのとき彼は語った。
誰に言うでもない、ただ彼は自分の命じるままに従ったのだろう。
彼は話すことが楽しくて仕方ないらしい。
ビオラは目を閉じる。
きっとそこに、真理のようなものが横たわっている。