5.迷子【クライス】
林の中を歩いているうちに、一匹のシマリスを見かけた。
草原に入ってから、初めて目にした“普通の”動物だった。
植物が健康に茂っているということは、当然そこに棲む生き物も存在する。
リスがいるなら、イノシシとか、アライグマとか、ヘビとか鳥とか、もっといろいろいるに違いない。
そう思うと楽しくなって、ついリスの背中を小走りに追いかけてしまった。
ぴろぴろ、リスの鳴き声を真似てみたものの、ふかふかの尻尾の小動物はぴょこぴょこと木々の間に逃げて行ってしまった。
「あらら」
山育ちのクライスは動物が好きだった。
ハンターの父親からいろいろと狩りの方法を教わるうちに、狩りそのものよりも動物たちを見ている方が楽しく感じてしまった。おかげで、弓矢以外の狩りの手法はちっとも身につかなかったのだが、それでも一応ハンターと名乗っているのだった。
クライスは後ろ頭をぼりぼり掻いて、じゃあそろそろ戻るかとまわれ右する。
見たことのない景色になっている。
連れの姿も見当たらない。
「……おかしいな。さっきまで地面は平らだったはず」
いつのまにか立っているところは斜面である。
「上ってきたのかな、下りてきたのかな?」
上下を見てみて様子を確かめるが、どうにも判然としない。
「……うん。上って来たなら疲れるはずだよな。今疲れてない、ということは」
直角に方向転換し、緩やかな斜面を上り始める。
「さっきは下って来たんだ。うん、たぶんそーだろう。よーし、戻るぞ」
* * *
「よーし」
斜面を上り切って水平な地面を踏みしめ、一息つく。
「うん、これはどーも……戻ってないな」
暗い緑色の葉をたたえた喬木が重々しく立ち並んでいる風景には、やはり見覚えはない。
かと言ってせっかく上ったのをすぐに下りてしまうのはなんとなく癪で、木々の間をすり抜けてとりあえず進んで見る。
「どーすっかな。またはぐれてしまったクライス。――むっ」
ふと、何かの気配に気がつく。
耳を澄ますと、左手側の深緑の向こうから物音がする。
音の方へぬき足さし足に近づいて、幹の隙間からひょいと顔をのぞかせる。
わお、と小さく声をもらした。
急に目に飛び込んできたのは、真っ白な石の柱と壁。
二十歩ばかり先、白い石でできたアーチの向こうに、石敷きの床と壁に囲われた小さな広場があった。
差し込む光を浴びて輝く白は、神秘的な雰囲気をまとっている。
ぼんやりと見とれていると、今度ははっきりと、声が耳に入ってきた。
「いちもうだじん、というわけですね!」
物騒な発言である。
小さな子どものような透き通った声だ。
「そうそう、袋のねずみだよ」
いくぶん奇妙な声がそれに答えた。シューシューと空気の漏れるような声。
見渡すと、会話の声の主と思しき影が確かにそこにいた。
「あれは……」
きらきらと太陽と光を受けているのは、一対の透明な羽。
明るい色の髪を揺らして軽やかに宙を舞っているその姿は――
「よ、妖精だ妖精だっ」
思わず身を乗り出しかけ、あわてて引っ込む。
クライスは妖精に知りあいはいない。しかし、あれはどう見ても父から話に聞いた、“妖精さん”そのものであった。
「おお。妖精って初めて見た」
よく見れば妖精の周りに、青白い生き物がうごめいている。
白いヘビのように見えるが、少々、巨大だ。
鎌首をもたげた高さは、おそらくクライスの腰ほどまであるだろう。
「魔物だよなあ、でかいし。や、でも……」
妖精の表情はずいぶん晴れ晴れと楽しそうだ。攻撃的なようにはとても見えない。
ところが、妖精たちのかわしている会話はこんなものである。
「よくまあ、まんまとやってきますねえ。だから餌食に事欠かないんですね」
「そうさ、人間なんて自分たちが恐れられてるもんだと高をくくってやがる」
「早くせいふくしちゃえばいいのに。なんでまだここにいるんです?」
「人間ってやつはずるがしこいからな。傲慢な部分につけこんでこっそり取り囲み、気がついたら手遅れってとこまで追い詰めるのさ」
「へえー。戦略ってやつですねえ」
「お前もちゃーんと仕事しろよな」
「だいじょーぶです、任せてくだせぇ!」
攻撃的以外のなんでもない。
クライスは一旦顔をひっこめて幹に寄りかかり、息をつく。
「これはまずい会話をきいたかな……」
と、ひとりごちた瞬間、低い声が響いた。
「近くに人間がいやがるぜ」
文字通り、跳び上がる。
どきどきしながら気配を殺そうとする。
新しく現れた二、三の重い足音が、背後に近づいてくるように感じる。
弓をとろうかと一瞬思いついたものの――
一目散に、逃げ出した。




