9.魔物の違和感【ビオラ】
「えっ、あれってスライムじゃないの?」
無邪気な質問に、ビオラは笑う。
先程のルキたちのいざこざにすっかり委縮してしまっていたクライスは、ビオラの話を聞いてけろりと気分を変えたようだ。
「だっていわゆるスライムって言ってたぜ、イバンが」
「いわゆる、ね」
ビオラは、好奇心たっぷりといった様子のクライスに向かって笑う。
「でも違うわ。あのウィスプも――どこか違う。自然の生き物じゃないみたい」
クライスは口を半開きにして、首をかしげる。
「自然の生き物? でも、魔物だぜ」
「忘れたの? ここは魔物の世界なのよ。私たちの暮らしていた世界で人間が自然と存在するように、この世界では魔物が自然にいて、普通に暮らしているの」
そういうもんか、とクライスは素直にうなずいた。
彼がものすごく柔軟なたちであるということは、重々理解できている。きちんと説明すれば納得してくれるし、思ったことはそのままぶつけてくれる。
それが扱いやすいと言えるかどうかは、別の話ではあるが。
「でも、じゃあ自然の生き物じゃないってのはどういうこと?」
「普通の生き物なら、あんなふうに私たちに向かって攻撃はしてこないわ」
「そうかなあ。オレ、カラスに襲われたことあるよ。動物ってテリトリーに入ったら怒るもんだろ」
「おんなじ種族なら、テリトリーを作るのは確かに自然ね。でもさっきの魔物たちは、オークをリーダーに、スライムとウィスプとが同居してたもの。それにオークは明らかに、私たちに対して敵意を持って攻撃しているようだったでしょ」
「うーん、確かに……」
クライスは一所懸命、頭を働かせているようだ。
ビオラは微笑んだ。
素直であるということは、本人よりも相手を利することの方が多いものだ。
クライスにすべてを説明しきるつもりはなかった。複雑な話だからだ。
自然と思えない、というのはその通りだが、オークとスライムは違和感の種類が違った。
魔物とて、生き物であることには違いない。
知的レベルの高低はあれ、生存本能や仲間意識を持って、意志に従って行動するものだ。
しかし、草原で遭ったスライムやウィスプには、“意志”が感じ取れなかった。
なんの感情も意識もなくただそこに存在し、まるであらかじめ決められた動きをするかのように、淡々とビオラたちに攻撃をしてきた。
森で遭遇したガーゴイルもそうだ。
本来のガーゴイルは人間を襲うものではない。知性を持ち、誇りを尊ぶ種族が、獣のように狩りをすることなど考えられない。
一方、アレスと名乗ったオークは、知的レベルが高すぎた。
通常のオークはあれほど流ちょうに人間の言葉を使わないし、別の種族を率いて行軍するようなことはもちろんしない。
何かがおかしい。
意志のない魔物と、人間に近すぎる魔物が、不自然に存在している。
森でイバンが口にした『バランスが崩れた』という言葉が思い出される。
そう、これは自然のバランスではない。
それを崩しているのが――“魔王”に相違ない。
「おわっ」
クライスの驚いた声は、草原を抜けたからだろう。
今の今まで永遠に続いているかのようだった地平線が、唐突に途切れたのである。
小さな川と、そこにかかったアーチ状の橋。
その向こうに立ちあがるようにして現れた木々の間に、白い道が延びている。
振り返るクライスにつられて、ビオラも背後に視線を向ける。
教会堂のあった広大な森は、もはや影も見えなくなっていた。
「歩いたなあ……」
呟いたクライスの声は、イバンの嬉しそうな二度目のお昼ごはん宣言にかき消されてしまった。