試練の塔 第二の攻略 ~その2
天にきらめく地図を手掛かりに荒野を進むと、夜空に星々の光を浴びながら、発光する球体が現れ始めた。
それは木々だった。
360度を覆うように、全方位に枝を伸ばし、葉を生い茂らせる。遠目に見れば、マリモのようにも見えるが、近づけばそれが網目のように、幹と枝を張り巡らせていることに気づいた。
月光を浴び、淡く青白く葉が光り輝いている。
そう、浮遊樹と呼ばれる『浮遊植物』の一種だった。
根を持たず、空を漂う植物があるとは聞いていた。
星々から降り注ぐ魔力を糧とし、空気中の水分や窒素を吸収する。実際に、見たのは初めてだった。地球の環境には一切適応しないからだ。
目的地に近づけば、近づくほどに浮遊樹が増えていく。肉眼には急に、それらが現れたかのように見えたが、それは錯覚である。
浮遊樹には、幻惑の力が宿り、遠目には観測できない。その力は天敵から逃れるためだという。そんな浮遊樹の周囲に、蛍のような発光物が漂い、吸い寄せているにも見えた。
それらをついばむように、小魚の群れが夜空を泳ぐ。
浮遊樹と浮遊樹の間を行きかい、謎の発光物をついばむ。
小魚にとって、浮遊樹は隠れ家であり、えさ場でもあった。
異世界では、空を浮遊し泳ぐ生物が数多く存在する。
特に夜は、それらの生物が活発化し、人間を超越する生物たちが星空を支配するのだ。
幻想的でありながら、人間にはどうにもならない隔絶した壁を悟らされる。
魔術師として鍛えられた観測能力によれば、浮遊樹の全長は15m近い。
そして、今まさにその浮遊樹を巨大なクジラにも似た牙を持つ生物が、小魚ごと一飲みに砕き、飲み込んだ。浮遊樹にとっての天敵は、その大きさすらも喰らいつくせるのだ。
逃げ回る小魚の群れを、気にすることなく、雄大に巨大クジラは遊泳する。
飛行魔術は、異世界では移動手段として多用されないという。
それは、空は人類にとって危険地帯に他ならないからだろう。
「恐ろしい世界だ」
私は、この試練の塔が嫌いだ。
ここは幻想的で美しさすら感じる。
だが、それ以上に、私にとってこの地球ですらも、異世界であることを思い知らされる。もう私は元の世界に、前世の世界に帰ることが出来ないことを実感させる。
恐ろしいほどの孤独感、ひどい無力感。
私は早く帰りたいのだ。
こんな怪物だらけの世界から。魔術などという異端な力にあふれる世界から。
「あまり飲み込まれるなよ、陽介」
テイラーがそう言った。
ネズミがしゃべるということも、非現実的ではあるのだが。
そうは思っても、テイラーの声に安心感を覚える。そんな自分自身が、嫌いになりそうだった。
ああ、駄目だな。
どうも試練の塔の中は、私の精神を不安定にさせる。
それはきちんと自覚したほうがいい、と己を見つめなおすことにした。
「そうだね、テイラー。 私は自分のなすべきことに集中するべきだ」
たどり着いたのは、遺跡に見えた。
石造りの階段が小高い丘を形つく入り、その周囲を加工用に鳥居のようなものが立てられる。さらに墓石にも似たオブジェや、朽ち果てた柱や壁が散在していた。
スタート地点にも、よく似ている。
だが、これは……。
「遅かったね」
青い外套に身を包んだ男が、たたずんでいた。
肌は浅黒く、ターバンのように巻かれた青い布から、漆黒の髪がわずかに見えた。なにより、印象的だったのが、その瞳もまた海のように深く、底の見えないような青さを有していた。
違和感があった。
満月が3つも並ぶ夜といえど、人の顔がこうもはっきり見えるものかと。
そして、どこかで見た顔だった。長年のなじみを見たかのような、しかし、まるで名前が出てこないような奇妙な気持ち悪さがあった。
「……人間ではないな」
テイラーがつぶやいた。
亡霊の類のかもしれないと、直感的に思った。
異世界では、死者は亡霊として力を有し、害をなす。
「おや、警戒をさせてしまったようだね」
青い外套をまとった男は、かすかにほほ笑んだ。
注意深く見なければ、わからない程度に、わずかな差異だった。
「ここに来たものは皆そうだ。 これから、何が始まるかを考え、己の出来ることを考える。 しかし、心配はいらないよ、私が君を傷つけることなどないのだから」
試練の塔にきて、初めて人間のような何かに出会えた。
少なくとも、言葉を交わせる存在は、この男が初めてだった。
「あなたは何者だ?」
ありきたりな問いだった。
だが、独創性を発揮するより、目の前の男が敵かどうかを、はっきりさせておくべきなのは明らかだった。
「私は、この迷宮の管理者の一人にして、君の試練の案内人」
その言葉に先に反応したのは、テイラーだ。
「迷宮の管理者だと?」
「ああ、そうだ。 『蒼』と呼んでほしい」
テイラーは考え込み、沈黙した。
信用に足らないが、疑う必要もない。私は理性ではそう考えた。
これを試練の塔における案内人として捉えたときに、罠として設定するのは、試験として不自然だし、破綻が大きいように思えた。一方で、理性以外の、自分自身の何か直感というべきものが、蒼と名乗るこの男に不快感を抱かせた。
「あなたのような案内人が、全員につくのか?」
「ああ……。 まあ、そう言える。 少なくとも、正規の挑戦者には、ふさわしい案内人の役割を持つ幻影がつくだろう」
「幻影?」
「実態のある幻影。 それは過去にいた誰か。 あるいは、あったかもしれない出来事。 いたかもしれない可能性。 そういったものが、ここでは現れる」
「言っていることがよくわからない」
「ここは現実であって、現実ではない。 過去を再現しているように見えても、過去そのものではない。 言ってしまえば、ここ自体が幻のようなものだ」
「そんな馬鹿な。 暑さ寒さ、この喉の渇きが偽物だと? 前回来た時には、傷を負って治療まで受けたんだ」
「そうだ。 ここの幻影は人を喰らい殺す」
蒼がそういうと、次々と巨大なクジラが夜空に現れ、浮遊樹を喰らいつくしたのだ。
いつでも、人間ですらこのように殺せると見せしめにしたのだ。
蒼は、その間、まばたきひとつしなかった。
そうだ、先ほどからこの男は呼吸もしていない。
作り物めいた人間なのではなく、人の形をしているだけの作り物なのだ。
「可能な限り、そうならないように我々管理者が存在する。 だが、あまり無謀なことはしないことだね。 我々とて、万能ではないのだから」
私は、その蒼の言葉を鼻で笑った。
「今さら、死など怖くない」
既に経験していることに過ぎない。
ただ、また赤ん坊から意識をもってやり直すことは恐ろしかった。実際なところ、強がりは多分に含まれていた。
結果から言えば、その強がりは無意味だった。
「だが、君はこれ以上、『前世の記憶』とやらを失うことを恐れているだろう?」
私は、すぐに言葉を紡ぐのをやめた。
心の中を見透かす仕掛けがあるようだと、そう考えたからだ。何もかも見透かしたうえで、会話をされているように思った。ならば、言葉を口にする意味などない。
すると、蒼はその考えを否定した。
「厳密には違うよ。 こちらも全てを読めるわけではない、なので出来れば言葉を使ってほしい」
やはり、蒼は不愉快な男だった。
そこかで見たその顔と、人を人とも思わぬその態度が気に入らなかった。
「君の欲しいものは、この迷宮。 今は『試練の塔』と呼ばれるこの場所にある」
「……私の欲しいものだって?」
「そうだ。 君は『前世の記憶』と考えている、その頭の中に眠る情報が欲しいのだろう?」
「ああ、そうだ」
「ならば、この迷宮にそれはある。 迷宮は挑戦者の能力や精神に反応し、ふさわしい試練を与える。 誰にとっても、困難な道のりとなる。 同時に、その過程で眠る記憶にも共鳴することだろう」
「つまり、ここの試練をこなすほどに記憶がよみがえると?」
「深い階層であればあるほど、その効果は望める。 古き英雄や神々の血を持つ者は、この迷宮で力と記憶に目覚めた。 ……君の場合は、特にその『前世の記憶』として認識する情報に、影響が及ぶことだろう」
それは、私にとって図らずも望み通りのことではあった。
同時に、この『試練の塔』への疑問を深くすることにもなった。ここは一体、何のための施設で、なにによって作られたものなのか?
「だが、気を付けることだ。 死に近い状態から、回復することを続ければ、記憶や精神……情動がどんどん失われることになる。 行きつく果ては、何も感じなくなった抜け殻のような自分だ」
私は、冷たい液体が血管に注ぎ込まれたかのような悪寒に襲われた。
それは、本当の意味での死なのではないか。
いや、死ぬことよりも、恐ろしいなにかだ。
「前回の挑戦で、君はマンティコアと戦ったね。 あの時の戦いもまた、君の記憶や精神を深く傷つけている」
「……じ、じゃあ、私の記憶に大きな欠損があるのは」
「すまないが、その先の真実は、君がその手でつかむべきものだ」
蒼は、私を祭壇へと促した。
それは、見覚えのあるものだった。
うすうす感じていた。先ほどから、この遺跡の雰囲気に既視感があったが、その祭壇は、私が『試練の迷宮』に入るときの魔法陣が、よく似ていたものが描かれていた。
「この魔法陣に触れ、念じると良い。 『先に進みたい』とね」
私の望みが、この先で叶う。
重要な点は、もはやその部分だけだった。
蒼とこれ以上話しても、有用な情報が得られるとも思えない。
だが、私の肩に座るテイラーは、尋ねた。
「ひとつ、聞きたい。 ここはそもそも『塔』ではないのか?」
蒼は、またかすかにほほ笑んだ。
「その問いには答えられない」
やはり、ここではこれ以上、情報は得られないのだ。そう確信した。
私は、自身の記憶を取り戻すために、歩みだした。テイラーもまた、蒼の返答に抗議することもなかった。
私が魔法陣に触れると、輝きが辺りを包み込む。
光が収まったと認識した時には、石造りに囲われた小部屋にいた。
辺りを見回す、入り口は一か所のみ。ひび割れた壁から植物の根が突き出し、葉に覆われている。明かりが用意されているわけではないが、植物が淡く発光することにより、視界を確保できていた。
どことなく、エジプトのピラミッドを思い出させるような内装である。
「フム、一瞬であったな」
「変に時間がかかっても、面倒くさいだけだからね」
そう答えながら、転移による影響の可能性も踏まえ、体に変化がないか確認する。
妙な違和感があった。利き手を握りしめては、開く動作を繰り返す。いつもと何かが違う。そう考えていると、何かが頭に流れ込んできた。
『この階層では、死は訪れない』
『体の傷が限界を迎えるとき、この部屋に戻される』
頭に声が響いたというよりは、その認識そのものを入力されたような感覚だった。
なぜなら、その情報を疑おうとは、全く思えなかったからだ。
「これは……、ここで死んだとしても、リスクはない。 ということかな?」
テイラーは、私の指示を待たずに解析を始めていた。
自身の肉体はもちろん、私の装備にも目を向けている。いや、それだけではなく、周囲の物体にも目を向けた。
解析能力や探知能力は、魔術における基礎中の基礎だ。私も単独である程度は可能だが、その能力は圧倒的にテイラーが勝っている。
「どうやら、魔力体に近い状態になっているようだな」
テイラーが出した答えは、私と同じだった。
「魔力体……、亡霊とほぼ同じ肉体のアレか」
魔力で再現構成された肉体。それが魔力体。
死者の魂が実体化した亡霊は、普通の物理攻撃は一切通用しない。魔力を伴う攻撃でなければ、一切傷を負わせることは不可能だ。
さらに、亡霊は破壊しても、原因を取り除かない限りは時間とともに再構築される。故に不死身の怪物として、恐れられている。
極端な話、魔術文明が地球を征服するには、大量の亡霊を連れてくればいいという話もある。実際、ヨーロッパやアメリカでは、亡霊との戦いが起きているという話もあった。
そして、一定のレベルを超えた魔術師は、その肉体の在り方をほぼ再現できる。
地球の文明・技術だけでは、魔術師を討伐出来ない理由の一つが、この魔術体化のテクノロジーだった。
地球の兵器では、一定レベルを超えた魔術師に傷をつけることはほとんど出来ず、例えその肉体を破壊しても、時と共に再生を許してしまう。
殺傷せしめるには、やはり亡霊に対してと同じく、魔力を伴う攻撃により、その魔術を発動させている核を破壊する必要がある。
その魔術体化の技術は、私もぜひ習得したいものではあったのだけれど……。
「今の私は、幽霊みたいなものということかい?」
「フ―ム、どうかな。 余の見立てでは、一定の条件付けが行われているように見えるが」
テイラーの情報分析能力は驚異的だ。その演算は、彼の脳だけで行われているのではない。支配下に置いているネズミの群れ全てを、計算に使用している。
常に無数のCPUを利用しているコンピュータのようなものだ。彼は、ネズミの群れを計算機器として利用し、任意に必要な情報を処理させ、自身の判断に有効に活用しているのだ。
それこそが、第二秘匿魔術『ハーメルン』の基礎となっている。
私は遺跡の石壁を触る。
どうやら、すり抜けることは出来ないようだ。
「ええと、魔力体だと石壁ってすり抜けられるんだっけ?」
「なぜ、其方はその知識をネズミが持っていると考えたのだ?」
「だってきみ、物知りじゃん」
ネズミに聞こうとする魔術師とは、間抜けな構図だが、プライドは頼りにならないので捨てた。テイラーの記憶力は、私の比にならない精度を持っている。
「……確か可能か不可能かで言えば、可能だ。 難易度は、厚さと材質、構造によるところではあったはずだが」
「ただの石壁なら?」
「少なくとも、表層部分にめり込ませるくらいは出来るのではなかったかな」
「でも、私にはできないね」
石壁を何度か叩いてさらに確認をした後、地面の石ころを拾い上げる。軽く、その石をつまんで自分の腕に当てたり、離したりを繰り返した。
「これは……魔術を伴わない攻撃が通る肉体という設定で、作られている?」
「おそらくはそうなのであろう。 その辺の石ころでも、ダメージを負う可能性は残ったままだ」
より現実的な生身に近い条件下での戦いを求められている。
「そんなことができるのか……。 いや、いまいち魔術体化の理屈をわかっていないので、それがどれくらい難しいのかわかってないのだけど」
「重要なのは、その肉体が破壊されたとしても、再生されてこの部屋に戻ってくるだけということだ。 先ほどとは違い、生命の安全を保障されたエリアというわけだな」
「……さっき、結構脅してきたわりに親切じゃないか」
死ぬことが許されている迷宮。
……そんなことができるなら、なぜ最初からそうしない?
「さっきから意図がわからないな」
『試練の塔』を作った人間は、いったい何を考えて、こんな構成にしたのやら。
単純に死人を出したくないなら、最初から最後までこの状態にしたらいいじゃないか。
大成した魔術師は通常の攻撃を無効化できるようになるのが、当たり前になるのだから、魔術師向けの試練なら、完璧な魔術体化の戦闘をさせてくれてもいいと思うのだけど。
「まあ、考えても仕方ないね」
私は刀をいつでも引き抜けるように、警戒しながら歩きだすことにした。
やや薄暗いが、私もテイラーも暗闇に不自由することはないのだ。